第7話

 深呼吸をして息を整える。続けて右手に意識を集中させ、しっかりとナイフを握る。すると、刀身が青白く発光し始めて電気を帯びていった。


 その状態のままナイフの先端を木の枝に吊るした的に向けた。


「ふっ!」


 的に狙いを定めて勢いよくナイフを突き出す。すると、青く輝く刀身から一条の雷が放たれ、少し離れた的に当たるとバチッと弾けた。


「ふう」


 ナイフを腰に差して的に歩み寄る。放った雷は的に当たっていたが、的についた焦げ跡は大きく右側に寄っていた。


「まだまだか」


 俺が初めて薬草を採りに行ってからかれこれ一か月もの時間が経っていた。あれから、新しい魔道具のナイフを作ってもらい、カトレアの指導の下、威力の調節や射撃のコントロールの訓練をしていた。訓練だけでなく色々な家事や雑用、おつかいなんかもこなし、この世界での生活も板についてきた気がする。


「的に当てられるようになっただけましじゃないかな」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、腕を組んだカトレアが木に寄りかかっていた。


「まあ、一か月も練習すればこのくらいはな」


 俺はそう言って的を小突いた。最初に射撃の練習を始めた時は的に当てるどころか、あらぬ方向へ飛びまわりまっすぐ飛ばすことすらできなかった。そんな状態から八割がた的に当てられるようになったため、カトレアの言うようにましにはなっているだろう。


「謙遜かい?」


「そんなんじゃないさ。それより、なんか用があったんじゃないか?」


 その言葉を聞いてカトレアは思い出したかのような仕草を取った。


「っと、そうだった。昼食の準備ができたよ」


「ああ、もうそんな時間か」


 カトレアの言葉でようやく俺は自身の空腹に気付いた。練習に夢中になっていたこともあるが、一か月ほどカトレアと暮らしていく中で、俺は時間に対しての意識が疎かになっていた。その原因は多分、カトレアの家に時計が一つも置かれていなかったからだろう。以前カトレアに理由を尋ねてみたところ、必要ないから置いていないのだと返された。時計自体は存在しているようだ。


 俺たちは裏手の練習場から歩いて家に戻ってきた。カトレアが先行してドアを開けると、中から香ばしい匂いが漂ってきた。その香りを嗅いだら、条件反射と言わんばかりに腹の虫が鳴った。俺は匂いにつられてまっすぐダイニングへと向かった。


 ダイニングへ入ると、テーブルの中心にベーカリーバスケットが置かれており、そこに積まれたパンが目を引いた。


「今日はシニギリスのパンか」


 シニギリスとはこの世界の穀物であり、元の世界で例えるとライ麦に近い。そのシニギリスを粗挽きにした全粒粉をメインにして作られたこのパンは栄養価が高いらしく、食べ応えがある。


 俺はキッチンで手を洗っていつもの席に着く。この一か月ですっかりこの場所が食事時の定位置になっていた。目の前には黒字に白い線で模様が描かれたマグカップが置かれている。それは陶器のもので、カトレアが自ら作ったらしい。個人的な感想だが、磁器のマグカップよりも陶器のものの方が温かみが感じられる気がする。


 カトレアはキッチンからティーポットを片手に戻ってきた。テーブルの前に立つと自分と俺のカップに液体を注いで、ベーカリーバスケットの横にポットを置いた。


「いただきます」


 俺はベーカリーバスケットに手を伸ばしてパンを一つ取った。そのパンは胡桃くるみ色で楕円形の見た目をしており、ほのかな温かさを感じる。


 俺は大きく口を開けてパンに齧(かじ)りついた。口に含んだパンからは、ほのかな甘みと酸味が感じられた。歯ごたえがあって美味いが、少し食べるだけでも喉が渇く。


ごくりとパンを飲み込むと湯気の立つマグカップを手に取った。そのままカップに口をつけてゆっくりと液体を飲んだ。すると、口内にふわりと甘さが広がり、鼻を抜ける香りにはほんの僅かだがミントのような爽やかさがある。元の世界で言うところのハーブティーというようなものだろうが、俺は前の世界でハーブティーを飲んだことがなかったため、このお茶の独特な味わいは初めての経験だった。しかし、渋みや苦みなどがなく、クセもあまり強くなかったためか飲みやすく、一か月も飲み続けているとこの味がとても落ち着くようになった。


「昼からは何をするんだい?」


 カトレアはそう尋ねるとマグカップに口をつけた。


「そうだな……。二階の片付けでも進めようかな」


 俺はパンを口に入れながらそう言った。半月前くらいからこの家の掃除もするようになったのだが、二階の本まみれの書斎と物置はどこから手を付ければよいのか分からないほどの散らかり具合だった。それでも、少しずつ本を整理していくうちに書斎の方は大体片付け終わり、本棚の枠が足りないため床に積んだ本はあるものの、机まではスムーズに行き来できるようになった。


「二階の片づけか。本は大切に扱ってくれよ?」


「そんなセリフを言うやつがあんな部屋にするなよ……」


 俺はカトレアを半目で見た。部屋の手前にある本はよく読まれる本なのか、手に取った後が残っていたが、奥にあったものはかなり分厚い埃に覆われていた。俺は別段本を読むたちではないが、本を大切にするなら少なくとも本棚にいちいち仕舞うものではないのだろうか。


「いやぁ、何度も読むのにいちいち仕舞うのも面倒でね。気付いたらああなっていたんだよ」


 カトレアは恥ずかしげに笑った。


「まあ、机に向かえるようにしてくれたのは助かるよ。おかげで作業できる場所が増えた」


「そりゃどうも」


 俺は一つ目のパンを平らげると、二つ目のパンに手を伸ばした。




「さて、始めるか」


 口と鼻を覆うように布を巻いた俺は袖を捲って物置の扉を開けた。相変わらず山積みの本が部屋を占めているが、ドア周りはとりあえず綺麗になっている。ひとまず、部屋の中心から徐々に片付けてくことにした。


 積まれた本を抱えて脇に寄せていく。脇に置いた本の上に本をさらに積んでいく。そうして、俺は少しづつ部屋の奥へ行く道を作って行った。俺が目指しているのは奥の方にある窓であった。


「へっくし!」


 思わず大きなくしゃみをして鼻をすすった。本を持ち上げる度に埃が宙を舞い、俺の身体はそれに反応して顔中からいろんな汁が出てくる。早急に窓を開けなければ、掃除どころではない。


 俺は一心不乱に本を移動させて、遂に窓へ到達した。ガラガラと窓を開けるとふわりと風が吹き込んでくる。俺はその風を浴びながら窓から頭を出して深呼吸をした。これで少しは片付けが捗るだろう。


「ん?」


 窓の傍で振り返った俺は、ドアの方だと本で死角になっていた場所に大きな箱のようなものがあるのが目に入った。


 傍まで来てしゃがんで見てみると、金庫のような鉄製の箱のようであった。しかし、特に鍵がかかっているわけでもないらしく、俺は恐る恐るその箱を開けてみた。


 思っていたよりもスムーズに開いた箱の中には一冊の本のみが入っていた。随分古い本のようだが、かなり綺麗に保存されている。


 俺はその本を手に取って表紙を眺めた。


「『旅路の詩』か」


 表紙を捲ってみると、前書きのようなものが書いてあった。それによるとどうやら、作者が実際に旅をしていく中で見て、聞いて、触れたことを詩として書いた本なのだそうだ。


 俺は更にその本を読み進めていった。風の吹きわたる平原、緑豊かな森林、霧の立ち込める湿地帯や眩い日が照りつける砂漠、果ては灼熱の溶岩地帯など、おそらく作者が訪れたこの世界の様々な場所が詩と挿絵によって鮮明に描き出されている。また、そういった様々な地域にある町や人の様子も描かれているため、ページを捲るごとに自分も旅をしているような心地になった。


 いつの間にか、俺は片付けそっちのけでこの本を読むことに夢中になっていた。この世界に関する本は書斎の片付けの段階でも何冊か目を通したが、この本は読み物として面白く、なおかつこの世界の情報がなんとなく分かるため、読むほどに興味をそそられていった。


「片付けサボって読書かい?」


 声に反応して顔を上げるとカトレアが傍に立っていた。


「ああ、ちょっとね……」


 家の中でいちいち転移魔法なんか使わないだろうし、俺はカトレアが部屋に入って来るのを気付かないほど本に集中していたようだ。


「あまりにも静かだったし外から覗いても君の姿が見えなかったし……ってそれ」


 カトレアは俺の手元の本に気付くと少しだけ目を見開いた。


「あっごめん! 勝手に触っちゃまずかったか?」


 俺はこの本が金庫のような箱に入っていたことを思い出して慌てて謝った。


「いや、読むだけならいいよ。ちゃんと戻してくれさえすれば」


 カトレアはあっさりとした態度でそう言った。


「そうなのか。金庫みたいなのに保管してあったし、プレミアものなのかと思ったんだけど」


「そんなんじゃないよ」


 俺のその言葉にカトレアはかぶりを振って応えた。


「じゃあ、なんでこんな大切そうに保管してあるんだ?」


 俺の問いかけにカトレアは少し間を置くとそっと口を開いた。


「……ある少女の思い出の本なんだ」


 カトレアはぽつりとそう呟くと扉の方まで歩いて行った。


「それじゃあ、しっかり片付けに励んでくれたまえ」


 カトレアはいつもの調子でそう言うと物置部屋を後にした。


「ある少女の思い出の本……」


 俺はカトレアの言葉を反芻しながら、再び手元の本に目を落とした。

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