第6話

 目が覚めると、見知らぬ天井が目に入った。どうやら、異世界に来てしまったのは夢じゃなかったらしい。明かりは点いていないが窓から陽の明かりが差し込んで部屋の中は明るい。窓を開けてみると、澄んだ空気が部屋の中に吹きわたり、鳥のさえずりが耳に届いた。昨日の疲労感もなく、すがすがしい朝だ。


 俺は扉を開けて寝室を出た。リビングへ向かうと、テーブルで何か作業をしているカトレアがいた。


「おはよう。よく眠れたかい?」


 カトレアは俺の気配を察すると、顔を上げて俺に目を向けた。


「ああ、ベッドを貸してくれたおかげでばっちり眠れたよ」


「そうかい、それは何よりだ」


 そう言うとカトレアは再び手元に視線を落とした。


「それで、薬草の採取だっけ? 具体的には何をすれば良いんだ?」


「ちょっと待ってね……。良し、できた。じゃあまずこれを持ってくれ」


 カトレアはたった今完成したといった様子で工作物を手渡してきた。それは刃が比較的大振りで薄青色をした綺麗なナイフとその鞘だった。


「綺麗なナイフだな。今作ったのか?」


 俺は柄を握った手を返しながらナイフの刃をまじまじと眺めた。


「まあね、君の初仕事のために切れ味の良いナイフを用意してあげたよ」


「別に草なら毟(むし)ってくれば良いんじゃないか?」


 俺はナイフを鞘に納めてそう言った。


「根っこから抜くとかさばるだろうし、葉を痛めるとだめだから、毟るより茎をナイフで切った方が楽だよ。それとこれとこれ、後、これも」


 カトレアはそう言ってぽいぽいと俺にものを投げよこした。


「その丸まった紙はここら辺の地図をなんとなくで書いたものだ。薬草のある大まかな場所に印をつけてある。本の方は図鑑で、薬草の絵と特徴が書かれたページに折り目がつけてあるよ。その箱は薬草を入れるやつで、それが箱とナイフを下げるベルトね」


「おお、助かる」


 俺はベルトを巻いてナイフを左腰、小箱を右腰に、地図をズボンの後ろポケットに差して図鑑を左手に抱えた。手近に鏡が無いので自分がどんな見てくれになっているのかは分からないが、まるで冒険家にでもなったかのような心地がして気分が高揚した。


「最後にこれを右手の指に着けておいてくれ」


 そう言ってカトレアは自身の中指から指輪を外して俺に差し出した。その指輪は幅が広く黒いリングの中心に紅い宝石がはめ込まれたものだった。


「なんで指輪を?」


 俺はカトレアの指輪を言われた通り右手の中指にはめようとしたが、きつそうだったため薬指に変えた。


「私のことを思い浮かべながらその指輪に念を送ってみなよ」


「念?」


 不思議に思いながらもカトレアを思い浮かべて指輪に念を送ってみる。


「あっ!」


 念を送るとすぐに指輪の宝石から一筋の紅い光がカトレアの方へ向かっていった。レーザーのような形状の光はカトレアのすぐ手前で消えている。


「それでどこからでも私のいる方角が分かる。今日はずっとここで作業しているから、帰ってくる時はそれを使うと良い」


「すげー……。便利だな」


 俺は感動してそう零したが、よく考えれば自分の位置や周りの地図が一瞬で分かるスマートフォンの方が便利かもしれない。まあ、今は持っていないし、この世界ではGPSも地図アプリも使えないのだが。


「さ、必要なものは大体渡したかな」


「ああ、ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」


 俺は玄関へ向かうと、ドアを開けて外に出た。そのままドアを閉めようとした時、中からカトレアに忘れていたと声をかけられた。


「採ってくる薬草の数はその箱の半分くらいで良いよ」


 それだけ言うとカトレアは笑みを浮かべてひらひらと手を振った。俺は今度こそドアを閉めて踵を返す。初仕事を前に胸が期待と不安がないまぜな状態になっていた俺は一度深呼吸をして一歩足を踏み出した。





 意気揚々と森へ立ち入った俺はカトレアからもらった地図を片手に歩いていた。カトレアが言うには地図の範囲内であればドラゴンや大猪のような凶暴な魔物はいないらしい。ここに来るまでに兎のような小柄な魔物や、大きめのラジコンやドローンくらいの大きさのトンボのような魔物を見かけたが、どれも襲いかかってくるどころか近づくだけで逃げていった。


「ここらへんかな」


 地図に記された目印の樹であろうものを見つけて立ち止まる。おそらくここが目的地なのだろう。俺は図鑑を開いて辺りを見回した。


「お、あれかな」


 目当ての薬草らしきものを見つけ近寄る。しゃがみこんで図鑑の絵や情報と照らし合わせてみると、おおよその特徴が合致していた。その薬草は長さが十センチ、幅が八センチ程度の葉で中心の茎から放射状に生えていた。


 俺は腰からナイフを抜いた。木漏れ日が当たり、薄青色の刀身が美しく輝く。俺は茎の部分に刃をあてがうと、すっと刃を引いて茎を切った。切れ味は良好で、いともたやすく全ての葉を切り取れた。


 俺はナイフを鞘に納めて右腰の箱に切り取った薬草を入れた。およそ一カ所の薬草を集めると、箱の二割程度が埋まるみたいだ。頼まれていたのは箱の半分だったか。思ったより簡単なもんだ。


 俺は立ち上がると次のスポットを目指して地図を開いた。




 「これで良しと」


 俺は薬草を仕舞って箱を閉めた。その中はもう七割ほどが薬草で埋まっていた。もうすでに頼まれていた分以上の薬草を集め終えていたが、上手い具合に集まり得意げになっていた俺はどうせなら箱一杯の薬草を持ち帰ってやりたいと思っていた。


「――っ!」


 立ち上がろうとした俺は、急遽付近の背の高い草むらの影に身を隠した。その草むらの横を巨大な影がゆっくりと横切っていく。草の隙間から覗いてみると、その影は元の世界で例えるとティラノサウルスのような姿をしていた。緑青ろくしょう色の体表、巨体を支える大木のような足、付け根から徐々に細くなる尻尾。俺は気配を殺してその後姿を見つめていた。


「はあ……。なんだあれ」


 ティラノの姿が見えなくなり、俺は胸をなでおろした。見た目を見ただけで咄嗟に身を隠したが、おそらく凶暴な部類の魔物だと思われる。少なくとも、あの大きな口から覗く尖った歯は肉食生物のものだろう。どうやら、俺は薬草探しに夢中になっているうちにカトレアから預かった地図の圏外に出てしまっていたようだ。とにかく、あんな魔物に出会ってしまったからには、もう引き返した方が良いだろう。


 俺は指輪に念を送り、指輪から出る光線に従って歩き出した。ティラノが近くにいるかもしれないと意識することで自然と早足になってしまう。見つかる前に帰らなければ。


 だが、足早に歩いている途中、右側から唸り声が聞こえた。正直、もう嫌な予感しかしなかったが、恐る恐るそちらへ目を向けた。その目線の先、木々の間にはやたらと巨大な口がよだれを垂らしていた。口の上部には二つのぎょろついた目が俺のことを捉えている。先ほどのティラノだ。


 突如、そいつはその口を目一杯に開けて咆哮を上げた。耳を衝く音の衝撃にひるみながらも、俺は何とか踏ん張る。ここで立ち竦んでいては餌まっしぐらだ。幸いというか、この世界に来てからドラゴンだの大猪だの大型の魔物と何度かお目見えしたことである程度巨大な魔物には慣れている。


 ティラノから目線を外し、指輪の光が指す方向へと駆け出した。俺には奴と戦う力なんてない。ここは逃げ一択だ。


 前だけ向いて全力疾走していたが、後ろから地響きのような足音がついて来るのが聞こえた。その音は徐々にだが確実に近づいてきている。


 ――このままじゃ追い付かれる!


 俺は左側の下り坂の方へ進路を変更すると、全力疾走の勢いのまま滑り降りた。ティラノも変わらずに追ってきているが、虚を突くことができたのか少し差を離すことができた。


 坂が終わるとすぐに立ち上がって再度駆け出す。ティラノとの距離を縮められないよう右へ左へ何度も進路を変えながら、奴を撒くために必死に走った。


「うわっ?!」


 不意に、地表に出ていた木の根に足を引っかけて俺は派手に転んでしまった。地面が柔らかく土が衝撃を吸収してくれたためそこまで痛みはなかったが、地鳴りのような足音はすぐ後ろまで来てしまっていた。


「ぐっ」


 俺はせめてもの抵抗と言わんばかりに腰からナイフを抜くとティラノに向かって両手で構えた。だが、相手はお構いなしといったように迫ってくる。まさに絶体絶命って感じだ。


 ――くそ! 俺に力があれば、魔法が使えたら!


 俺は異世界に来て三度目の窮地で力を欲していた。一度目のように完全に諦めるのでもなく、二度目のようにひたすら助けを求めるのでもない。自分に力が無いのを悔やみながらも、目の前の怪物と戦おうとしてナイフを握る手に力を込める。


 突然、ナイフを握る手が熱くなり刀身が輝いた。ナイフは光り出しただけでなく、バチバチと帯電しているようだった。


 何が起きているのかは分からないが、俺は縋るように、祈るようにナイフを強く握り直すと先端をティラノに向けた。次第に帯電がどんどん大きくなり、眩く弾けたかと思うと、ナイフから巨大な青白い雷が閃きティラノに直撃した。その衝撃で俺は後ろに吹っ飛び、勢いよく木にぶつかった。


「がっ!」


 背中に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめる。そのまま顔を上げると目線の先には黒焦げになったティラノが倒れていた。手元に目を落とすとナイフの刀身はバラバラに砕け散っていた。両掌は火傷のようになっている。ボロボロだが、とりあえずは助かったみたいだ。


「ずいぶん無茶したみたいだね」


 声につられて顔を上げるとカトレアが目の前に立っていた。毎度のことのようにいきなりの登場だ。


「どうしてここにいるのが分かったんだ?」


 俺は木に寄りかかりながら座ったまま話した。


「眷属の証についた魔力を辿ってね。急に魔力が君に流れていったから何事かと思って来てみたら、どうしてこんな所まで来ていたんだい?」


 カトレアは、地図から外れた場所にいた俺を問い詰めた。


「薬草集めに夢中になって気が付いたら……。ごめん」


 俺は叱られた子供のように下を向いて答えた。カトレアに頼まれていた分を採り終えてさっさと帰っていればこんなことにはなっていなかっただろう。


「まったく、心配をかけないでくれ」


 カトレアはため息を吐いてそう言った。俺はその言葉を意外に思って顔を上げて彼女の顔を見た。


「心配してくれたのか?」


「ああ、君がいなくなったら私はまた退屈な日常に逆戻りだ。せっかく手に入れたおもちゃがすぐに壊れてしまうのは口惜しいだろう?」


「ああ、そういう……」


 カトレアが口にしたのはなんともまあ、魔女らしい理由であった。ただ、勘違いかもしれないが、そう言った時カトレアは照れ隠しのように俺から目を逸らしたように見えた。


「まあでも、後々試そうと思ってたことが省けたよ。それは収穫だったかな」


「このナイフのことか?」


 俺はそう言って右手のナイフだったものを持ち上げた。刀身の部分は跡形も無くなって、柄の部分だけになったそれをひらひら振って見せる。


「そ。魔法が使えない君のために魔道具を作ってあげようと思ってね。今回は単純にナイフとして使ってもらおうとしていたんだけど、結果オーライって感じかな?」


「ああ、こいつのおかげで助かったよ。あの猪の牙で作ったってことか?」


「うん、魔力に呼応して雷撃を放出できる仕組みにしたんだ」


「魔力に呼応って、俺には魔力が無いんじゃなかったか?」


 俺はそう言って首を傾げた。


「従属の紋から私の魔力が流れ込むって言ったろ。その印を通して君は私の魔力を使えるんだよ」


 俺の質問にカトレアは自分の右掌を指さして答えた。


「え? じゃあ俺も魔法を使えるのか?」


 俺の言葉にカトレアは首を横に振った。


「魔法を使うには魔力を制御、変換しなきゃいけない。でも、君の場合は右手から魔力が漏れているだけなんだ。そのナイフや指輪みたいな魔道具は魔力を流し込むことでその道具が雷や光に変換してくれるってわけ」


「へえ」


 俺は自分の掌に目線を落とした。火傷で赤くなった右掌には相変わらず花のような模様の印が刻まれていた。


「君の印から流れる魔力は私も操れるが、普段は君の意志で量を調節できるようにしている。魔道具が無い時でも、魔力を放出すればその魔力が膜になってある程度の魔法を弾いてくれるよ」


 そう言ってカトレアは屈んで俺の両掌に手をかざした。すると、暖かな光が俺の手を包んで火傷の傷を癒していった。


「さ、帰ろう」


 俺はカトレアに手を借りて立ち上がる。カトレアはそのまま俺の両手を取った。じわりと周りを包みだした光に安心感を覚えながら俺は彼女の手を握り返した。

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