ページ27 告白
とある日の夜。
『冴えない僕とアイドルな彼女』の第2巻について、俺は沢咲さん、そして俺のラノベを宣伝してくれるえりこと、佐渡川文庫の一室で打ち合わせをしていた。
読者のおかげで、俺の『冴えない僕とアイドルな彼女』はまあまあ人気を博し、ついに第2巻の発売が決まった。
えりこも自分が初めて宣伝を担当したラノベの続刊が決まったことが相当嬉しいらしく、打ち合わせでこっちが少し、いや、かなり引くくらい熱論していた。
「だから言ったでしょ! 雅先生の作品は最高だって〜」
「……そんなこと言われたっけ?」
「なにをおっしゃいます!? そんなこと何回も言ったに決まってるんじゃないですか!?」
ついに変な敬語を使い出す始末。
「はいはい、今日はここまでにしましょう」
沢咲さんはそんなテンションMAXのえりこを制するように、手を叩いて打ち合わせのお開きを告げた。
「さすがに私はもう眠いんで」
そうですよね。沢咲さんが他人のことを考えたりするわけないんですよね。
この人の行動基準はいつも自分だから……まあ、慣れたけどね。
「そうだね……私も少し眠くなってきた」
そう言って、えりこは口を手で隠して、小さくあくびをした。
その仕草は控えめに言って、最高に可愛い。
「それで、えりこちゃんは事務所が迎えに来てくれるんだっけ?」
「いや、今日は……」
「そうか、頑張ってね」
沢咲さんの質問に、えりこは少し頬を赤らめて下を向いた。
ほんとに仲良いな、この2人。羨ましいくらいだ。
こういうふうに秘密を共有する関係ってほんとに素敵だと思う。
もし、可能であれば、俺も……そう考えかけて、俺はえりこにキスされた時のことを思い出した。
それも一応俺とえりこの秘密なんだよね?
あのときは虫かなにかだと思ったけど、いや、思い込もうとしたんだけど、ほんとはちゃんと彼女にキスされた事実を認識していた。
怖かったんだ。渚さんと違って、俺はえりこのことをまだよく知らない。
確かに彼女の写真をたくさん保存しているし、彼女への恋心を確認できたのだが、俺はえりこと過ごした時間が圧倒的に足りない。
彼女と会うのがほとんど仕事の時だけで、だから、4人で映画を見に行った日の彼女の行動が理解できなかった。
もし、えりこが俺のことを好きだと勘違いして、そのキスは実は彼女の気まぐれだったらなんて思うと、その時は自分で自分を誤魔化すしかなかった。
ただ、そのときの頬に触れた柔らかくて暖かい感触は確かなもので、いま思い出してもやはり少し照れくさくなる。
自分の顔が少し熱くなっているのは気のせいではないと思う。
「雅先生」
「は、はい!」
えりこに呼ばれて、はっと我に返る。
キスされた張本人が目の前にいるのだから、動揺しないわけが無い。
「一緒に帰ろう?」
打ち合わせの時と打って変わって、えりこの語気が少し弱くなった。
まるで駄々を捏ねて親に怒られないか心配している子供のようだ。
好きだからかな、俺にはやはりえりこが何を考えているのかが分からない。
やっと帰宅出来ると思ってほっとして疲れがどっと押し寄せてきたのかもしれないし、なにか嫌なことを思い出して落ち込んできたのかもしれない。
彼女の感情の変動の理由なんて、俺に思いつくのはこれくらいだ。
少し寂しい。
えりこと会えるようになっても、彼女は今でも遠い存在。
俺はそんな彼女に手を伸ばそうとして、そして、渚さんはこんな俺を応援している。
「うん、いいよ」
思うことはあっても、今は彼女と向き合うしかなくて……。
えりこと佐渡川文庫のビルを出ると、夜風が肌寒く感じた。
もう夏とはいえ、夜になるとやはり冷える。
打ち合わせの時に熱弁していたえりこはさっきからずっと黙っていた。
やはり、俺の思い過ごしでもなんでもなく、打ち合わせが終わってから、えりこは元気がないようだ。
「ねえ……」
「うん?」
しばらくすると、えりこは下を向いたまま声掛けてきた。
「『冴えない僕とアイドルな彼女』の第2巻、発売が決まったら言おうと思ってたんだ……」
やはり彼女はなにかに悩んでいるみたい。
こういうとき、男にできるのは女の子の言葉に耳を傾けるほかない。
俺は視線だけをえりこに向けて、彼女の言葉の続きを待った。
「いや、ほんとは単にきっかけを作りたかっただけなのかもしれない……雅先生のラノベの宣伝の仕事の依頼が来た時、すごく嬉しかったんだ」
そう言って、彼女はこっちを向いて微笑んでくれた。
初めてえりこの心の内を聞けた気がして少し嬉しくなった。
俺のラノベの宣伝をするのが、えりこにとって「嬉しい」ことだというのが、なによりも嬉しかった。
胸がじーんとなって、少し呼吸が早くなる。
だから、彼女の次の言葉を聞き間違いなんじゃないかと思ってしまった。
「雅先生のことが好き」
それだけ言って、彼女は立ち止まった。
あまりの衝撃に、俺はフリーズしてしまった。
ずっと憧れてた。
好きだと気づいた。
彼女と付き合うことを何度も夢見た。
そして、彼女と仕事で、さらにプライベートでも会えるようになったことをすごく喜んだ。
そんな彼女に、俺の大好きなえりこから、「好き」という言葉をかけられる日が来るとは思わなかった。
えりこの目は本気だ。
それは彼女は嘘を言っていない証拠。
拳を握って小さく震える彼女は、今はアイドルではなく、ただの恋してる女の子でしかなかった。
彼女はなぜ俺の事を好きになったのかは分からない。
でも、彼女の想いがほんとなら、俺たちの想いは同じだということになる。
ここで「俺もえりこのことが好きだ」と返事すれば、俺の長年の恋は成就する。
渚さんが応援してくれた甲斐もあったってわけだ。
でも、なぜか涙がこぼれた……。
「
自分でも分からない。
嬉しいはずなのに、大好きな人に告白されて、これ以上嬉しいことはないはずなのに……俺はあのときの気持ちを思い出してしまった。
もし、俺とえりこが晴れて恋人になったら、もう渚さんにマッサージすることはなくなるだろう……。
いや、マッサージだけじゃなくて、来年の春にまた花見したり、遊園地に行ったり、夜長電話することはなくなるのだろう。
渚さんとしてきたことのすべてはえりこに引き継がれて、やがて渚さんは俺の心の中から消えていく。
いや、俺が渚さんの存在を心の中から消さなきゃいけないんだ。
渚さんの存在を内心で抱えたまま、えりこと付き合ったら、それはえりこにとっても、渚さんにとっても不誠実で許されないことなのだから。
「……
口を開くことすらままならない。
まさかこんな気持ちになる日が来るなんて思いもよらなかった。
さくら橋の上で出会って、いつの間にか仲良くなって、そして……。
『……私でいいの? えりこじゃなくて?』
なんで渚さんにそう聞かれた時に、この気持ちに気づかなかったのだろう。
俺はもうとっくに、えりこよりも、誰よりも、渚さんのことが大好きになってしまった。
それをえりこの告白によって気付かされるなんて皮肉にもほどがある。
ねえ、もし先にえりこ、君に出会ってたら、俺たちはどうなってたのかな?
その時は君じゃなくて、俺から告白してたのかな?
付き合って、恋人になれたのかな?
夏は一緒に花火大会に行って、冬はこたつの中に2人揃って鍋をつついてたのかな?
でも、今、俺がそうしたいのは……君じゃなくて、渚さんなんだ。
だから……。
「……ごめんなさい」
「え……?」
「ごめんなさい」
俺の返事に、えりこは動揺を隠せなかった。
「……わたしのこと、好きじゃなかったの?」
本人に気づかれてたのか……俺がえりこを好きだってこと。もしくは沢咲さんが気づいてえりこに教えたのかも。
でも、もうそんなことはどうでもいい。
もうどうしようもないことだから……。
「……好きな人ができた」
「好きな人?」
えりこの顔を直視出来ず、俺は歩道に敷かれてるタイルを見つめていた。
「実は、今その人のことが好きだって気づいたんだ……春に出会って、えりこさんにそっくりの子で、でも、えりこさんより髪が短くて……」
「そうなんだ」
ほんとはもっともっと渚さんへの想いを語りたかったけど、これ以上はえりこを傷つけることにしかならないから。
「わたし、負けたんだね……」
「え?」
えりこの急な呟きに、俺は戸惑いを禁じえなかった。
負けたって、それは一体どういう意味なの? えりこは渚さんのことを知ってたってこと?
「しょうがないか……」
えりこはぽつりと呟いた。
今彼女がどんな表情してるのか、見るのが怖かった。
「私のことはいいから、いますぐその子に告白してきなさい!!」
かと思うと、急にえりこは笑顔で俺の背中を押してくれた。
そうだね。ずっと憧れてた、好きだったえりこを振ったのだから、今度は俺がけじめを付けないと。
それがえりこに対する誠実さだと思うんだ……。
「今、その子に電話掛けてもいい?」
「うん」
えりこの前で、渚さんに電話をかけようとするなんて自分でも無神経だとは思うけど、正直えりこに告白されて、そして彼女を振ったことが死ぬくらい嬉しくて、そして悲しくて、そんなことに気を配る余裕はなかった。
今は気づいた自分の気持ち、渚さんへの想いを大切にしよう。
渚さんはどう思うのかな。
えりことのこと応援してくれたのに。
まるで渚さんを裏切ったみたいで、心苦しい。
それでも……。
俺は携帯を取り出して、通話ボタンを押した。
それと同時に、えりこは慌てて走り去った。
最後に俺にみせた笑顔は、やはり彼女なりの強がりだった。
そう思うと、心が締め付けられて息が出来そうにない。
「も、もしもし」
電話越しに、少し息切れしてる渚さんの声が聞こえてくる。
「渚さん、ごめん、こんな遅くに電話かけちゃって……取り込み中だった?」
「ううん、平気! 平気! なんもないから!」
「あの、今すぐ会いたい……いや、会いたいです!」
初めて渚さんに対して男らしい言い方をしたのかもしれないと心の中で自分のことを笑った。
「いいよ」
渚さんの返事を聞いた瞬間、俺は放心状態になった。
1時間後、待ち合わせの場所に、渚さんがやってきた。
ピンクのニットに白いスカートがすごく似合っていて、思わず目を奪われた。
渚さんはいつも通りなのに、俺はあまりの緊張でこの場から逃げ出したい。
でも、逃げちゃダメ。
えりこに言われたんだ。ちゃんと渚さんに告白しなさいって。
たとえ、渚さんに振られたとしても、それは仕方ない。
だって、俺はえりこを傷つけたのだから……。
自分だけ傷つくまいとするのはずるい。ずるすぎる……。
「渚さん」
「はい」
俺の真剣さに気圧されたのか、渚さんは少しかしこまった。
「そ、その質問の返事、いまならできます」
告白なんて不慣れなことしようとしてるから、思わず敬語になってしまった。
「質問?」
「うん、『……私でいいの? えりこじゃなくて?』っていう質問です……」
渚さんは目を輝かせて、俺の次の言葉を待った。
「……渚さんが、いいです」
「えりこじゃなくて?」
「はい……」
考え込むように、渚さんは下を向いた。
次に彼女の口から出た言葉が「ごめんなさい」だとしても、俺はそれを受け入れるしかない。
「そうか」
たが、彼女は肯定するわけでも、否定するわけでもなく、ただ独り言のように呟いた。
「アイドルではなく、私自身を選んでくれたのね」
私自身?
それがどういう意味かは分からないけど、もちろん、俺の答えは……。
「はい。渚さんが好きです。付き合ってください」
渚さんはぐるりと回って、俺に背中を向けた。そして、少し屈んで両手を後ろで結んだ。
それがとても愛らしかった。
「……ばか」
「え……?」
「ばか! ばか! ばか! ばか! ばか!」
かと思うと、また俺に向き直って、小さい拳で俺の胸をずっと叩いている。
「花恋って呼んでよ……」
そして、その拳はやがって止まり、消え入りそうな声で俺に訴えてくる。
「花恋……」
「私も好きです、雅くんのことが」
街灯に照らされた歩道を、俺は花恋と手を繋ぎながら歩いていた。
琴葉にこのことを言ったら、何をされるのだろう。また土下座をさせられて、踏まれるのだろうか。
翔くんには、何を言えばいいだろう。えりこを振ったって言ったら殴られるのかな。
でも、そんなことよりも、俺は今、花恋の手の温もりを噛み締めている。
この瞬間、俺は人生で一番幸せだと思った。この幸せだけは誰にも譲りたくないと思った。
「ねえ、もしわたしがえりこなんだって言ったら?」
しばらく無言のまま歩いてると、花恋はいたずらっぽい笑顔で俺の顔を覗き込んでくる。
「今はその冗談やめてよ……」
ずっと憧れていた、大好きなえりこを振ったこっちからしたら、その冗談はきついって……。
「冗談じゃないけどね……」
俺の彼女はいつもからかってくる。今もだ。
〜Fin〜
拾ったハンカチが推しのものだとは知らずに 〜偶然ハンカチを拾ったことで仲良くなった美少女だが、俺が憧れのアイドルの話をすると彼女はなぜか動揺する〜 エリザベス @asiria
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