ページ26 ハンカチ
「まだ~」
「あと少し……です」
「ふーん」
手を渚さんの体に当てて、しばらくどうやったら琴葉が撮った写真を消せるかについて必死に考えていた。
すると、琴葉が催促してきたから、俺は時間稼ぎのために返事してから、あたかも真剣にマッサージしてますよ、というふうに手に力を込めて動かしていく。
「きゃあ! いやん、そんなところは……」
今度は渚さんの悲鳴に似たような声で我に返った。
渚さんの横顔は少し赤らんでいて、手足をもぞもぞさせている。
そんな彼女の様子を変だと思った俺は視線を自分の手の方に落とす。
やばい……セクハラどころではないぞ。
気づいたら、俺は渚さんのお尻を鷲掴みにしていた。
考え事しながらマッサージしていたらこうなっていたなんて、事実だとしても言い訳にしか聞こえないから、俺は事態がさらに悪化することを恐れて、慌てて渚さんのお尻を掴んでいる手を離そうとするが……なぜか手がピクリとも動かなかった。
考えられる理由はたった一つだ。人生初めての女の子のお尻の感触をもっと楽しみたいと、手が俺の言うことを拒んだから。
あまりにも柔らかくて、手を動かしてはぷるんぷるんと揺れ、少し押し込んでは弾き返してくれるような渚さんのお尻の誘惑的な感触に、俺の理性はボイコットをしたのだ。
こんな感触を心行くまで堪能しないともう働きませんよ! と俺の理性が俺に訴えかけてくる。
「ちょ、ちょっと一ノ瀬くん!? 私のお、お尻はおもちゃじゃないよ……!」
そして渚さんも涙目で訴えてくる。
不幸中の幸い、琴葉は床に座って携帯をいじってるから、俺らの現状に気づいてないみたい。
もしこれが琴葉にばれたら、それこそどんなことが俺を待っているのか想像することすら恐ろしい。
いつもは足で俺を踏んでくるけど、今回はもしかすると俺の頭を太ももの間に挟んできて、窒息させられるかもしれない。
それってちょっといいかも……ってよくないよ!
いくら琴葉の太ももは柔らかそうで魅力的だとしても、窒息寸前まで追いやられるのはごめんだ!
でも、どうすれば……目の前のえりこにそっくりの美少女のお尻から手を離すなど、果たして思春期の男子高校生である俺にできるのだろうか。いや、できない。
ならば、最終手段だ。
「こ、これはあくまでマッサージだから、ほ、ほら、お尻の筋肉も疲れているだろうし」
そう、渚さんにいつもからかわれているお返しってことにすればいいんだ。
噛んだのはしょうがない。悪徳エステの店主みたいな、普段絶対言わないようなことを言っているのだから。
「えぇぇっ!? これがま、マッサージなの……?」
「左様でございます」
気のせいだろうか、俺の口調はますますそれっぽくなっている。
そして、いやらしい気持ちは全くないよと主張するように、俺は堂々と渚さんのお尻を揉みほぐし始めた。
「そ、そんな真剣な顔で言われたら、お姉ちゃん、困っちゃう……」
人を騙す前はまず自分がそれを正しいと思わないといけないから、俺は頭の中でしきりにこれがマッサージだと唱えていた。
そのせいか、渚さんから見た俺は真剣な顔つきをしているのかもしれない。
あーあ、幸せ。手がとろけちゃいそうだ。
って、困っちゃう……ってどういうこと?
嫌なら、俺にやめるよう言ってくれればいいはずなのに、なんで困るの?
もしかして……そんなにいやじゃないから、どうするべきか悩んでいる?
相手が俺だから?
そう考えるとじーん胸と体の一部が熱くなり、俺は思わず前かがみな姿勢になって両手を自分の大切なところに当てた。
これが余計にやばい状況を作り出したのだが。
「い、一ノ瀬くん? なんで私の上に覆いかぶさってるの? 琴葉ちゃんもいるよ……?」
えっ? 琴葉がいなかったらいいの?
渚ってば、さっきから紛らわしいことめっちゃ言ってくるんだけど。ほんとに勘違いしたらどうするんですか。
「ごめん、少しこうさせてて……」
やばい、ほんとは俺の大切なところが鎮まるまでこうさせててって意味で言ってるんだけど、よく考えたら別の意味に聞こえなくもないよね。
これじゃ、渚さんのことは言えないな。俺も思いっきり勘違いさせるような発言を現在進行形でしてしまった。
「……えっ?」
気のせいか、いや、間違いなく、この角度から覗ける渚さんの顔がすごく赤くなっている。
体が密着しているから? それとも俺の言葉が原因?
「……私でいいの? えりこじゃなくて?」
次の瞬間、渚さんの口から出た言葉を俺はしばらく理解できなかった。
『……私でいいの? えりこじゃなくて?』
どういうこと?
普通、男にこんな態勢で迫られたら、怒って突き放すものじゃないかな。少なくとも俺が女の子だったら間違いなくそうしてた。
なのに、渚さんは一体なにを言っているのだろうか。
『……私でいいの? えりこじゃなくて?』
渚さんの言葉が脳内でぐるぐると再生される。
そして、しばらくして、俺はやっと彼女の言葉の意味が理解できたが、なんて答えたらいいか分からなかった。
ここで「渚さんがいい」なんて言ってしまったら、彼女はどんな顔するのだろう。俺らの関係性が変化するのだろうか。
でも、俺には言えなかった。それが言えない理由が俺にはある。
俺はえりこが好きだ。ずっとえりこを見てきたから、この気持ちは長年の「好き」の沈殿によってできているもので、簡単に消しそうにない。
渚さんの質問―『……私でいいの? えりこじゃなくて?』はあくまで、えりこのことはもういいの? という意味合いが含まれている。
だから、「渚さんがいい」と答えるのは嘘になる。この答えは「えりこより渚さんがいい」という意味になってしまうから、今の俺がいうとそれはただの嘘になる。
そう考えていたら、先ほど火照っていた体の一部が鎮まって、俺は上半身を起こした。
「ごめん……今はまだ答えられない」
「そうか」
渚さんは顔を枕に
ほんと、よく分からないな。渚さんのこと。
渚さんはいったい俺のことどう思っているのだろう……
「まだ~!?」
声のするほうに向いたら、そこには携帯に飽きて、俺と渚さんをガン見している琴葉の姿があった。
あっ、すっかり琴葉のこと忘れてたな……やべえ。
渚さんは琴葉と場所をチェンジして、床に体育座りで座った。
そして、琴葉は腕を枕にうつぶせの姿勢になる。
「早くして〜」
待っていたとはいえ、なぜか琴葉は上機嫌だ。
ちょっと待って? なんでそんなにじろじろと見てくるんですか? 渚さん。
さっきは琴葉が携帯いじってたから、なんとなく普通にマッサージを続けられたけど、こんなふうにまじまじと見られたら流石に恥ずかしい。
なんか行けないことをしている感が高ぶる。
「な、渚さん? そんなにこっち見ないでほしいな……」
「えっ? さっき私にどんな風にマッサージしていたのかちょっと気になって」
渚さんは簡単に退く気がなさそうだ。
「さっきと違う手順でマッサージするから、見てても意味ないと思うよ?」
俺も退かずに言葉を続ける。
「えっ? それならもっと気になるかも! 両方見比べて今度どういう感じでマッサージしてもらうか参考にしたい!」
渚さんを説得するつもりが、かえって彼女の中の火をつけてしまった。
しかも参考にするって、またいつか俺にマッサージしてもらうおつもりですか?
もし、万が一、俺はえりこに振り向いてもらうことが出来て、晴れて恋人になったら、おそらくもう渚さん、君にマッサージをする機会はなくなるだろう。
そう考えると、なんだか悲しいような寂しいような気持ちになる。
「もっと力を入れて!」
だが、琴葉は俺にそんな気持ちに浸る時間をくれるはずもなく。
俺は琴葉に言われたまま、拳に力を込めてポンポンと琴葉の背中を叩いていた。
渚さんに違う手順でマッサージをすると言った手前、普通に肩揉んだり、親指で背中を押したりすることもできず、俺は琴葉の背中を無心に叩いていた。
でも、これってかえってよかったのではと思い始める。
叩くだけなら、そんなに密着しなくて済む。渚さんがじーっと見ていても平気かも。
そして、俺は琴葉の頭の横にある彼女の携帯に手を伸ばして……マッサージにうっとりして、琴葉の警戒心が薄れた今なら、彼女の携帯からさっきの写真を消せるかも。
そう思ったのだが。
「みーやーびー! なにしようとしてるのかな〜」
「いやっ!」
次の瞬間、琴葉が立ち上がり、琴葉の上に座っていた俺は勢いのままベッドの上に倒れ込んだ。
そして、琴葉は足で俺の体を蹂躙し始めた。
時に胸を踏んだり、時にお腹を踏んだり、そして時に……
角度が角度なだけに、琴葉のスカートの中の白いパンツがちらっと見えたのだった。
「琴葉、そこはほんとにやばいから!」
「うるさい! 私の携帯をこっそり取ろうとした罰だよ! ていうかロックかかってるから取れたとしても写真は消せません!」
「そんなっ!」
諦めて横を向くと、そこには両手で紅潮している顔を覆っている渚さんの姿があった。
ですよね。そういう反応するよね。これ傍からどう見てもアレなプレイだもんね。
「はあはあ」
肩で息をしながら、琴葉は俺のベッドの上で大の字になっている。
どうやら、俺を踏んでいたのがよほど疲れたようだ。
いや、どちらかという、俺の方がしんどかったけどね……あそこを踏まれた時は、もう婿には行けないと思ったし。
「渚さん」
「はい!?」
上半身を起こし、渚さんに声をかける。
すると、渚さんはしっぽを触られたウサギのように跳ね上がって、正座して両手を膝の上に置いた。
いや、大した話じゃないから、そんなに真面目な姿勢にならなくてもいいんだけどね。
まあ、しょうがないか。俺と琴葉のスキンシップ(?)を見てたら、心中穏やかなわけないよね。
俺はゆっくりとベッドから降りて、机の引き出しを開いた。
「ずっと返せてなかったけど、今ならちょうどいいかなって」
「あっ」
俺は大切にしまい込んでいた渚さんと出会った日に拾った彼女のハンカチを取り出し、渚さんに渡した。
渚さんは少しハンカチを見つめて、しばらくすると口を開いた。
「うーん、やっぱりこれは今受け取れないや」
「えっ? なんで」
渚さんの言葉に疑問を抱かずには居られなかった。
「えりこに振り向いてもらうんでしょう? これは恋のお守りとしてしばらく一ノ瀬くんに貸してあげるよ」
「……」
「もし、めでたくえりこと恋人になったら、その時に返してね」
そう言って、渚さんは俺の手を取って、手のひらにハンカチを置いた。
『……私でいいの? えりこじゃなくて?』
渚さんはさっき俺に聞いてきた。
なのに、今、彼女が俺とえりこを応援している。なぜかその気持ちに嘘はないように感じてしまう。
じゃ、なんで俺にそんなことを聞くの? ほんと、渚さん、君は俺の事一体どう思ってるの?
そう思いながら、俺はハンカチをまた引き出しの中に戻した。
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