ページ25 マッサージ
「もっと下!」
「……」
「もっと力を入れて!」
「……」
「気持ち良い〜」
俺のベッドでうつ伏せになり、強い口調でしきりに俺に指示をしてきたのは、あいにく琴葉ではない。
じゃ、誰かと言うと……渚さんである。
俺は渚さんの指示で、彼女の肩を揉んだり、親指で背中を押したりしている。
なぜこんなことになったかというと、『一ノ瀬くんが熱出した時にめっちゃくちゃ心配したんだからね』と渚さんが急にRINEで不満をこぼしたからだ。
『ごめん……』
謝ってはいるものの、結構前のことなのに、今更怒られてもなという気がしない訳でもない。
女の子は結構根に持つ生き物である。そう聞いたことはあるが、まさか渚さんも当てはまるとは思わなかった。
俺は心のどこかで渚さんは不平不満とか怒りとかとは無縁な女の子だと理想のようなものを抱いてるみたい。
けど、渚さんの怒りは「ごめん……」という言葉で収まるわけもなく。
『それで許してもらえると思ってるのかなー? そのとき連絡つかないと思ったら、いきなり七海さんが一ノ瀬くんの携帯で一ノ瀬くんが熱で倒れてるって送られてきたときはほんとに心配したんだからね!』
『心配させてごめんなさい』
俺はさらに理由を付け加えて、丁寧に謝罪の返信を送った。
どこで知ったのか忘れたけど、謝る時は具体的に何について謝ってるのかを明らかにした方が相手に許してもらいやすいらしい。
文脈から察するに、俺が渚さんをすごく心配させたことが彼女を怒らせてる原因だから、ご丁寧に「心配させて」という1文を付け加えた。
これなら、誠意が伝わるというか、許してもらえるんじゃないかなと俺は高を括っていた。
にしても、渚さんがこうやって拗ねてるところ案外初めて見たのかも。
心配させたのは悪かったが、それはどうしようのないことだし、だから俺からしたら渚さんは時間差で怒れてきたというより拗ねてきたように感じた。
『だーかーら、謝るだけで許してもらおうと思ってるのが姑息だって言ってるんだよー』
渚さんは一体なにがしたいのだろう。
彼女とRINEのやりとりは普通に嬉しいよ? ただし、それは今みたいに授業中で文句を言ってこなかったらの話で。
先生の目を掻い潜って、机の下で携帯を操作する俺の気持ちを考えて欲しい。
授業中で携帯いじってる後ろめたさといつバレる分からない緊張感が相まって、俺は一刻も早く渚さんの機嫌を直したかった。
だから、彼女の提案に、俺は特に何も考えずにオーケイしてしまったのだが。
『じゃ、一ついうことを聞いてくれたら、許してあげるよ?』
『なんでもいうこと聞くから、だから許して!?』
許してというのは、授業中でこれ以上責めてくるのを勘弁してほしいという意味合いも含めてたりする。
だって、先生は俺の方を見て不審に思い始めたもん!
『じゃ、今日の放課後一ノ瀬の家に行くから、マッサージしてくれる?』
携帯のバイブレーションが鳴ったとたん、俺は画面も見ずにスタンバっていた親指を動かして、うさぎが親指を立てているスタンプを送ったのだった。
その結果が今の状況である。
俺が帰宅してまもなく、渚さんがやってきた。
もちろん、お母さんは快く彼女を家に上げたのだろう。
そして、渚さんは琴葉のようにいきなり俺の部屋のドアを開けて入ってきたから、最初は琴葉だと思って無視して宿題の続きをやっていた。
「一ノ瀬くん?」
「えっ!?」
琴葉じゃない誰かに呼ばれて振り返ったら、そこに渚さんがいたので、びっくりして思わず声を漏らした。
「な、渚さん!? なんで俺の部屋にいるの?」
「うん? 一ノ瀬くんがいいよって言ったじゃん?」
俺がいいよって言った?
なんのこと?
「ほら〜」
俺の心中を察したように、渚さんは携帯を取り出し画面を俺に見せてきた。
ほんとだ。
家に行ってマッサージしてもらうって渚さんのRINEに対して、俺は思い切りオーケイ感全開のスタンプを送ってる……
これからはちゃんと文章読んでから返信しようと、俺はこの瞬間に誓った。
渚さんが制服じゃないってことは、一旦家に帰って着替えてから来たってことかな。
ていうか、マッサージってなに?
俺の知ってるマッサージなのか……?
それってまずくない?
つまり、それは渚さんの体に俺が触れるってことだよな。
ちょっと待って……想像したら鼻血出そう。
「じゃ、失礼します〜」
そう言って、渚さんは無遠慮に俺のベッドの上に上がって、うつ伏せになった。
ポカーンと口を開いたまま見ていたら、渚さんは「早く!」と手招きしてきた。
「私を心配させた罰なんだから! 早く上に乗って!」
心無しか、渚さんは強気だ。
上に乗るってなに?
どこの上に乗ればいいの?
「えっと……」
戸惑っていたら、渚さんは自分の太ももを指さした。
もう夏に入っているから、渚さんは丈の短い白いスカートを履いている。
困ったな……
直接肌に触れないように配慮してスカートの上に乗ったら、位置的にますい。
かと言って、スカートから少し下の、渚さんの太ももの上に直接に乗ったら、ズボン越しに、渚さんの太ももの感触が伝わってきて、理性を保っていられる自信は俺にはない。
ビジュアルを取るか、フィジカルを取るか……
「なあ、やっぱマッサージしなきゃだめ?」
思考を逡巡させていたら、日和っちゃった。
どう考えても両方ともやばいじゃん!
もし渚さんの上に座って、「ちょっと、なんか硬いのが当たってるんだけどー」なんて言われたら、しばらく立ち直れない自信はある。
それどころか、せっかく渚さんと仲良くなったのに、今の関係が一瞬で崩れるかもしれない。変態の烙印を押されると共に。
「だめ!」
ほんと、今日の渚さんは強気だね。
なんか新鮮で可愛い……って、こんなこと考えてる場合じゃないんだった!
今は俺と渚さんの関係、そして俺の社会的生命の危機なんだ。
ほんと、渚さん、なんでこんな無茶ぶりを……
「……分かりました」
でも、渚さんに逆らったら、多分またすごく拗ねられそうだから、俺はいよいよ観念して、ベッドの上に手を載せた。
そして、ぎこちない動きでベッドの上に立って、渚さんのお尻の真上に移動してから、少し後ずさり、座った。
「お、重くない?」
「平気ー! 一ノ瀬くん意外と軽いね〜」
それは褒めてるのだろうか。女の子相手なら間違いなく褒め言葉なんだろうけど。
「じゃ……行きます」
「はーい」
意識をできるだけ下半身からそらして、恐る恐る渚さんの肩を掴む。そして、ゆっくりと力を入れていく。
次の瞬間、胸の奥底から熱い気持ちが込み上げてくる。
感動した。女の子の肩ってこんなに柔らかいんだな……まるで肉の代わりにマシュマロを詰め込んだそんな感じ。
「なーにサボってるの! 手止まってる!」
余韻に浸っていたら、渚さんに怒られた。
渚さんって拗ねたらこんなになるんだな。強気だけど、それがそこはかとなく可愛い……
「肩はもういいよ〜 次は背中をお願いね!」
渚さんに言われて、手を下に動かす。
それがまた俺に新しい感動を与えてくれた。
なぞるように手を渚さんの肩から背中まで持っていくと、彼女の体温と柔らかさが手に染みる。
これって罰というか、ご褒美なんじゃないかと一瞬思ってしまった。
まあ、マッサージって意外と疲れるし、今の状況はとてつもなく恥ずかしいから、強いて定義すれば、罰ゲームなんじゃないかと俺は思う。
「もっと下のほう!」
「……」
「力加減が足りない! もう少し力入れてよ!」
「……」
ほんと、くすぐったい気持ちになる。
俺のために心配してくれて、その日は看病までしてくれた。
そして随分経つのに、心配させられたことを根に持って拗ね出す。渚さんは案外普通の女の子かもしれない。もちろんいい意味で。
なぜか分からないが、あの日さくら橋で出会った時から、俺は渚さんを特別な女の子と思っていた。
いきなりからかってくるし、俺が変なこと言っても怒らない。そしていつもえへへと天使のような笑みを浮かべている。
俺は心のどこかで渚さんがほんとに天使なんじゃないかと思っていた。
でも、こうやって感情的な一面を見せられると、やはり普通の女の子なんだなって今更思い知った。
そう思うと、心をくすぐられているような感じになった。
「気持ち良い〜 あれ? 一ノ瀬くん、顔赤いよ? あっは、分かった! お姉ちゃんの体触って興奮した? ねえ、興奮したでしょう!」
「ち、違うから」
渚さんは急に振り返って俺を見るから、思わずドキドキしてしまった。
相変わらずお姉ちゃんぶるところが渚さんらしい。
「はいはい、そういうことにしとくよ〜 一つ貸しね!」
ナチュラルに恩着せないで貰えますか、渚さんよ。
手を動かしながら、ふと思った。
渚さんは俺にとって一体なんだろうって。
遊園地に誘った時の気持ちは嘘じゃない。彼女と一緒にどこかに行きたい気持ちは確かにあった。
彼女が俺の誘いに応じた時は、嬉しくてたまらなかった。
そして、遊園地で彼女と観覧車に乗っていた時は胸を締め付けられた。
でも、俺はその後えりこと出会った。えりこへの恋心を自覚してしまった。
現に、俺は今皐月翔の宣戦布告に乗ってしまっている。
なんだかんだ言って、えりこに自分の恋人になって欲しいと思わなかったら、適当な理由つけて、断ることも出来た。
でも、えりこが他の人と付き合うところを想像したら忍びなかった。
俺は渚さんとどうしたいのだろう?
ずっと今みたいな仲良しの関係でいたいのかな。
自問自答しても、俺は渚さんへの気持ちをはっきりさせることができなかった。
もし、えりこと出会わなかったら、答えは出ていたのかもしれない。
渚さんは、俺が皐月翔の宣戦布告に応じて、えりこを恋人にしようとしていることを応援してくれている。
だから、分からないんだ。
渚さんにとって、俺は一体どういう存在なのだろうか……
カシャ。
うん? カシャ?
音のするドアの方を向いたら、そこには携帯を掲げている琴葉の姿があった。
「ねえ、琴葉さん、まさか今のを写真に撮ってませんよね……?」
俺が恐る恐る尋ねると、琴葉はにんまりと笑って、携帯の画面を見せてきた。
俺が渚さんの上に馬乗りになって、彼女の腰を手で掴んでいる光景がばっちり映っていた。
「七海さん!」
さすがの渚さんも動揺して、口をあわあわさせている。
「さてと、雅、渚さんのマッサージが終わったら、次は私ね〜」
「……はい」
俺は琴葉に逆らうことはできなかった。
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