ページ24 映画、その2

「雅先生~」


 待ち合わせの場所に着いたら、えりこは盛大に手をぶんぶんと振っていた。


 人にばれないようにするためか、彼女はマスクをつけている。


 同じくマスクをつけている皐月翔は清々しい顔で腕を組んでいる。


 ほんと、えりこの前でかっこつけすぎ……


 そう思ったけど、口には出さなかった。


 若手イケメン俳優である皐月翔は実は純情の男の子だってことは俺だけが知っている。


 そう思うと、むしろ可愛く思えてくる。恋敵ライバルなんだけどね。


「嘘! 雅と一緒に映画見に行く人ってえりこと皐月翔なの!?」


 道中、琴葉の圧がなんだかすごかったから、一緒に映画見る人ってえりこと皐月翔のことだって切り出せなかった。


 さすがの琴葉でも、この状況には面喰っているみたいだ。


 人と映画を見に行くって言って、その相手がトップアイドルと超人気俳優だったら、だれでもびっくりするよね。


「まあ……そうだな」


 琴葉の気持ちを察しながら、俺は少し誇らしげな気持ちになった。


 だけど、それを敢えて抑えることでクールな自分を演出する。


 いつも俺を一人で映画館に行くようなかわいそうなやつだと思っている琴葉にはこれくらいしても罰は当たらないだろう。


「ところで、雅くん、この子って?」


「あっ、翔くんとは初対面だったか。この子は七海琴葉、俺の幼馴染で、駄々をこねてどうしても来たいっていうから連れてき……」


 琴葉、お前今ヒール履いてるから、かかとで踏まれるとすごく痛いんだけど。


「あれ? えりこさん、ずっと映画のポスター見てるけど、この子のことは気にならないの?」


「うん?」


 俺に呼ばれて、えりこはポスターから視線を外して振り返る。


 どうも合流してから、琴葉のことを気に留めていない様子で、俺なら知らない人が来たらめっちゃくちゃ気になるんだけどね。


「この子だよ。この子。もしかして、面識でもあるの?」 


 琴葉を指差して、えりこに聞いたら、えりこは急にハッとして、早口でしどろもどろにしゃべり始めた。


「えぇっ、えっ!? ち、違うよ? 面識あるはずないじゃない!? しょ、初対面だよね、ねえ、七海さん!」


「あれ? 琴葉の名前知ってたの?」


 そう聞いたら、心なしか、えりこの額に汗が滲んできた。


「えっとー、その、あっ、そうそう、皐月さんに紹介してたのを聞いたから!」


 すごいな、ポスターを見てたのに、ちゃんと俺らの会話を聞いていたのか。さすがアイドル、スペックが高すぎる。


「……はい、初対面です」


 琴葉は律儀にえりこの質問に答えた。


 こいつ、俺からえりこと皐月翔の話を聞く時はえらそうに上から言ってくるくせに、いざ本人たちを目の前にしたら、緊張してるのは俺でも分かる。


 案内小心者かもしれな……いたっ!


 なんで踏んでくるの? 琴葉さん! もしかして表情に出てた? 出てたんですか!?


「琴葉ちゃんか。君かわいいね!」


「……そ、そんなことないです」


 あの琴葉が動揺しているだと!?さすが女たらしの若手イケメン俳優……琴葉もなんだかんだイケメンには弱いんだね。


 でも、まずくないか? 


 いくらえりこの前では軽い男を演じないとうまくしゃべれないとは言え、本人の前でほかの女の子を口説くような真似をしたらいくらなんでも良くないよね……ここは敵に塩を送る気持ちで注意しておこう。


「翔くん、ちょっと……」


 皐月翔に向けて、手招きをする。


 すると、彼がどうしたの? みたいな顔をしてこっちに歩いてきた。


「えりこの前で、ほかの女の子に可愛いって言うのはまずいんじゃないの?」


 皐月翔だけに聞こえる声量で、俺は彼の耳元でささやいた。これって絶対腐女子が見たら喜ぶやつだなと思いながら。


「なんで?」


 出た。この天然ナルシストめっ。


「翔くん、お前そんなに鈍感で大丈夫なのか……」


「僕、鈍感じゃないと思うよ?」


「鈍感な人はみんなそういうんだよ……いいか。琴葉をほめたら、えりこにチャラい男だって思われるから」


「あっ、そっか!」


 やっと気づいてくれたのか。


 女の子にとって、軽いとチャラいは似て非なるもの。雲泥の差があるからね。


 鈍感すぎるから、恋敵ライバルでありながら、変なプロデューサーに騙されないか心配だ。皐月翔さんのマネージャーがいい人だといいけどな。


「雅くん、あなたっていい人だったんだね!」


 それもいまさら気づいたんですか。感謝してるつもりかもしれないけど、こっちとしては少し寂しい気持ちになるからやめてほしい。


「ところで、今日なんの映画見るの?」


 俺が聞くと、えりこはさっき見ていたポスターを指差した。


 嫌な予感はしていた。


 あの天然ナルシストでえりこにべた惚れの皐月翔からの映画の誘いだから、なんとなくこうなることは予想していた。


 これって皐月翔が主演の映画じゃないか!!


 映画のポスターの中で決め顔をしている皐月翔。そして、その映画を勧めてくる彼のナルシストぶりは筋金入りだな。


 かっこいいけど、ファンのみんなが彼のほんとの性格を知っていたらどう思うのかな。


 いくらえりこにアピールしたいとは言っても、これはさすがにやりすぎだと思うよ。


 道理で、えりこが助けを求めてきたわけで……そういえば、さっきポスターを見ていたえりこの瞳に輝きが消えていたような……


 なんかこの戦争、皐月翔に勝てる気がしてきた。


 俺が俳優だったら、まず恥ずかしくてとても自分の出る映画を見ていられない。ましてそれを他人と一緒に見るなんて、拷問以外の何物でもない。


 なのに、皐月翔は自分の映画を見に行かないかとえりこを誘ったのか……


 俺とは別の世界の住人というか、別の生き物のように感じられた。


 あと、琴葉さん、いつまでそこであわあわしているつもり?


 もう映画始まるから……




 劇場の中に入り、俺たちは琴葉、俺、えりこ、皐月翔の順で座った。


 俺と琴葉、えりこと皐月翔の間にはでかいポップコーンが置かれている。


 俺は映画見るときジュースのみ注文する人間だから、「ポップコーンっているのかな」ってつぶやいたら、琴葉とえりこに睨まれた。


「雅、あんた、可哀そうね……」


「雅先生、何を言ってるの!?」


「よく一人で映画見てるだけじゃなくて、ポップコーンのおいしさも知らないなんて、私泣きそうかも……」


「映画にポップコーンは不可欠ですよ!」


「ですよね! えりこさん、映画見るときはポップコーン必須ですよね!」


「はい! 七海さん、気が合いますね! ポップコーンのない映画鑑賞はしょうゆのないラーメンと一緒です!」


 いつの間にか、琴葉とえりこの会話は俺へのたらたらとした文句から、ポップコーン談義になっていた。すっかり意気投合している。


 それにしても、えりこさん、しょうゆのないラーメンはラーメンじゃないみたいな言い方やめたほうがいいよ。ほかにも豚骨ラーメンや味噌ラーメンがあるから。そういったラーメンが好きな人から怒られるから。


「では、僕が二人の分を奢るよ」


「「えっ、いいの!? じゃ、一番大きいサイズで!」」


 皐月翔が紳士ぶって奢るって言ったら、琴葉とえりこの声は見事にハモった。


 女の子ってほんとに甘い食べ物に目がないのだね。


 その華奢の体のどこにLサイズのポップコーンを収納する場所があるんだろう。


 スタッフは微笑ましい目で見てくるので、ほんとに恥ずかしい……


 てか、皐月翔、お前なにちゃっかり好感度稼いでんだよ。こっちがめっちゃくちゃ言われたというのに……




 せっかくポップコーン買ったんだし(皐月翔の奢りだけど)、俺もたまにつまみながら映画を見ていたけど、両サイドからはポリポリとポップコーンを食べる音が絶えやしない。


 この二人は本気だ。本気で上映時間の二時間内このとてつもないほどでかい箱に入っているポップコーンを食べきる気だ。


 にしても、えりこと皐月翔が同じポップコーンを食べているのが少し気に食わない。


 さっき塩を送るんじゃなかった。


 今になってめっちゃくちゃ後悔してる。


 上杉謙信もきっと武田信玄に塩を送ったことを後悔していたはずだ。


 そもそもこの席順も皐月翔が誘導したものだしな。


 もしかしてあいつ天然のふりして、実は策士なのでは?


 そんな疑問が俺の脳裏に浮かんだ。




 映画の内容はいたってシンプルなものだった。


 主人公とヒロインとのすれ違いと二人の心が通じ合っていくさまを描いたものだ。


 ストーリーで観客を集めているというより、皐月翔のかっこよさを全面的に押し出して、それを売りにしている感が拭えない。


 この映画の後ろに貪欲なプロデューサーがよだれを垂らしているところを、不覚にも想像してしまった。


 そして、二時間経って、皐月翔がいかにかっこいいのかを解説してくれるプロモーションビデオが終わった……




 なぜか、帰りに、琴葉と皐月翔が並んで前を歩いていた。


 琴葉はしきりに皐月翔の演技をほめていて、それに対して、皐月翔は「ありがとう、琴葉ちゃん」と鼻の下を伸ばしてやがる。


 ほんとにいいの? 本命のえりこをさしおいて、琴葉と話し込んでも。


 まあ、そのおかげで、俺はえりこと並んで後ろを歩いているけどね。


 やばい、また緊張してきた。


 好きな女の子とは何度会っても慣れないもんだな。


 俺の『冴えない僕とアイドルな彼女』の宣伝について議論するときはなんとかうまく話せたけど、今日みたいなプライベートな時間で会話するとなるとやはり緊張する。


「雅先生~」


「うん……えっ! ああ」


 考え込んでいた時に、ふとえりこに声をかけられたので、俺は思わず変な声を漏らした。


 恥ずかしい……穴があったら入りたい。その、変な意味じゃなくて……


「今日はありがとうね。来てくれて」


「い、いや、大したことじゃないし」


「うふふ、雅先生ってやさしいんだね」


「そんなことないよ、普通だよ…………えっ!?」


 急に頬に温かい感触がしたから、俺はまた思わず声を漏らした。


「あの……お礼です」


 えりこの方を見ると、彼女は何もなかったかのように歩いている。


 まさか……俺は今えりこにほっぺにキスされた?


 いや、そんなことはありえない。


 そう、そんなことはありえないのだ。


 きっと、虫かなにかだろう。もう夏だし、虫が頬に付いてもおかしくないから。




 夕暮れに染まっているえりこの横顔は少し渚さんに似ていた。

 




 


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