第14話 最終話 晴れわたる



 バートがアメルにメモの説明している途中で、玄関の外側が騒がしくなった。

 馬車が急に止まる音と、複数の人の声が聞こえる。

「うるさいっ!誰の馬車を止めているか分かっているのか!」

 玄関の向こうから聞こえた声に、思わずアメルとバートは顔を見合わせた。


 大きな音を立てて玄関が開かれて、身なりの良い15、6歳くらいの少年が現れた。

「こ、困ります!面会の許可も無いのに、勝手に・・・」

 正門から追いかけて来たらしい門番が、息せき切りながら少年の行く手を阻もうとする。

「俺はジェフリー=ウィルトンだ!それでも許可が必要だと言うか!」

 ジェフリーは門番を一喝して、玄関ホールへ入って来た。


「ジェフ、ここよ!」

 アメルは身を乗り出して、手を振った。

「アメル!」

 気づいたジェフリーが駆け寄る。


「アメル大丈夫なのか?具合が悪いって聞いたぞ、寝ていなくていいのか?」

「大丈夫よ」

 心配そうに見てくるジェフリーに、アメルは笑って答えた。


「やれやれ、お見舞いならもうちっと静かに来てもらえませんかね」

 苦笑するバートを、ジェフリーはキッとにらみつける。

「何でここにクソ刑事が居るんだよ?」

「まあ、坊ちゃんと同じ理由ですよ。ただ俺の場合、そこのテレンス先生の取り計らいで、面会が許可された訳で」

 バートが肩越しに視線を向ける。

 この騒ぎに動じる事無く、脚を組んで座ったままのテレンスが居た。


 ジェフリーはフンッと鼻息荒くテレンスを見やって、

「はっ!先生とは恐れ入ったな。どうせジジイの威光使いまくりなんだろうよ」

 そう、まくしたてた。

 目の前で吠え立てる少年を、テレンスは口の端で笑う。

「・・・お前こそウィルトン家の威光を使いまくると、ケインにいらぬ恩を着せられるぞ」

 言われて、ジェフリーは「ぐっ」と言葉を詰まらせた。


 このエリザ学院はウィルトン家が経営している。

 理事長ケイン=ウィルトンは、アメルとジェフリーの叔父に当たる人物だ。

 ケインとジェフリーは、いろいろと折り合いが良くないので、そんな叔父から恩を着せられるなど、ジェフリーにとっては面白くない事だった。


 何かテレンスに言い返そうと口を開くが、結局は何も言えず、ジェフリーは苦虫を噛み潰したような顔つきで、テレンスの横にあった1人掛けの椅子に座った。


「ジェフ、もう学校に帰ってしまったと思っていたわ。だから会えてうれしい」

 アメルに笑いかけられて、ジェフリーは少し顔を赤らめてうなずいた。

 従兄いとこのジェフリーは、アメルにとっては兄のような存在だ。

 遠くの街の寄宿学校に入っているので、一度学校へ戻ってしまうと、なかなか会うのは難しかった。


「うん、これから帰るところなんだ。アメルがウィルトン本邸に来るって事だったから、寄ってみたら祖父さんしか居なくて・・・」

 機嫌良く話していたジェフリーの顔が曇りはじめる。

「俺も祖父さんに会うのは久しぶりだったもんで、話しするハメになっちまった。・・・話しったって、何だかんだで結局は説教になるんだからな・・・全く、あのクソジジイ・・・」

 不機嫌に手も足も組んで、ジェフリーはブツブツと文句を言った。

 ああ、だからあんなに乱暴に入って来たのか・・・と、アメルは思ったが、口には出さなかった。


「でもよ、あのジジイに面と向かって刃向かったんだってな、アメル」

 ジェフリーがニヤッと笑ってアメルを見た。

「ウィルトン家に入らずに、食堂で働いて身を立てるって言ったそうじゃねぇか」

 アメルはサッと顔を赤くする。

 バートが目を丸くしてこっちを見るのが分かった。


「・・・ジェフリー、それはジャックがお前に言ったのか?」

 テレンスの問いに、ジェフリーは笑いながら大げさに首を振った。

「あのプライドの高い祖父さんが、言う訳無ぇだろ。本邸でメイドが噂してんのを聞いたんだよ。食堂で働けないんだったら、本邸で働くとも言ったんだってな。どうでも祖父さんの世話にはならないって事だ。祖父さん、目を白黒させてたそうじゃないか」


「アメル、本当にそんな事言ったのか?」

 面白そうに笑っているジェフリーとは対照的に、バートは真顔で聞いてくる。

 アメルはバツが悪そうに下を向いて、

「だって・・・パパもママも居なくなったから、働かなくちゃと思ったのよ。同級生で夏から働く子も居るんだもの、わたしだって・・・」

 と、か細い声で答えた。


 公立学校は12歳の夏で初等教育を終了する。

 職人などを目指す子は、上の課程に進まないで、見習いとして仕事を始めるのだ。


 バートはひとつ大きく息を吐くと、アメルを見て言った。

「ジェーンがアーサーとの結婚を反対されて、ウィルトン家を出た事を知っていたのか?ジャック=ウィルトンがアーサーを嫌っていると思ったんだろう?」

 アメルは顔を真っ赤にして、すぐに返事ができなかった。

 はじめてテレンスが、頬杖から顔を上げる。


「お、俺は何にも言って無ぇよ!・・・多分」

 あわてた様子で、ジェフリーが手を振った。

「ジェフに聞いたんじゃないわ」

 顔を上げずに、アメルは呟く。

「・・・でも、少しずつ聞いた話を合わせていくと、そういう事なのかなって、思ってた。それで・・・お葬式の時に・・・ああ、やっぱりそうなんだって・・・」

 バートとテレンスは思わず顔を見合わせる。


 アメルの母、ジェーンがジャック=ウィルトンの令嬢だという事実は、ブライス亭の周囲で知る者は居なかった。

 だが、ジェーンとアーサーが事故で亡くなって、葬儀の手配や家の始末にウィルトン家が出て来た事から、ジェーンの出自が明らかとなった。

 一介の料理人と大富豪の令嬢が夫婦となって、大衆食堂を営んでいた。その理由を、葬儀に出席した近在の者たちが、当て推量で噂をしていたのだ。


「・・・それでわざと、ジャック氏の前でそんな事を言ってやった訳か・・・」

 ため息混じりの声で、バートが言う。

「わざとじゃないわ!パパみたいなコックさんになりたいのは本当だもの!」

 アメルは顔を上げて反論する。

 それを受けるように、テレンスの軽い笑い声が上がった。

「だが、ウィルトン家に入るのを拒んだのは、ジャックへの仕返しだったという訳か」

「そ、そんなつもりじゃなかったわ。・・・なかったけど・・・」

 その続きは言葉にならず、アメルはまた、黙って下を向いてしまう。


「・・・アメル、ジェーンとアーサーの結婚の経緯いきさつを知りたければ、他ならぬジャック本人に聞くがいい。それを信じるか否かは、お前しだいだが」

 再び頬杖を付く姿勢になって、テレンスが言った。

 下を向いたままで、アメルは返事をしない。


 バートはそんなアメルの頭をポンポンと軽く叩いた。

「アメル、アーサーのような料理人になるって言ったな。けれど、お前がアーサーに縛られる事は無いんだぞ」

「え・・・」

 アメルはその言葉に驚いて、顔を上げた。

「アーサーが死んでしまったからって、お前があいつの代わりになる事は無い。あいつの夢はあいつのもの。アメル、お前の夢はお前のものだ」

 大きな瞳をさらに大きく開いて、アメルはバートを見る。

「わたしの夢・・・」

 バートはにっこりと笑って、うなずいた。



 玄関に横付けされたジェフリーの馬車に、バートが乗り込む。

 自分の寄宿学校に戻る道すがら、バートを警察署まで送って行くのだ。

 馬車の窓からバートが顔を出す。

「今日はおとなしく部屋に居るんだぞアメル。熱がぶり返したらいけないからな。それから、署には辻馬車を使って来るといい。受付で俺の名前を言えば代金を立て替えてくれる」

「ありがとうバートさん。この住所に手紙を書くわね」

 アメルは渡されていたメモを出して、笑いかけた。


「アメル!夏休みは俺と別荘で過ごすんだぞ!海で遊ぶんだ。迎えに来るからな!」

 バートの奥の席から身体をせり出して、ジェフリーが大きく声を上げる。

「ジェフ、楽しみにしているわ」

 ゆっくりと動き出した馬車に、アメルは手を振った。


 馬車が正門を出て行くのを見送って、アメルは隣に立つテレンスを見上げた。

「テリィと会いたい時はどうすればいい?」

「・・・俺が授業のある日に教員室に来ればいい。その時に週末の話をしよう。ここで会うのが厄介ならば、ウィルトン家でも街でも、お前の良い場所で会うさ」

 テレンスの言葉に、アメルは「うーん」と、軽くうなって、

「また誰かに何か言われるかもしれないわね・・・でも」

 仕方無いというような笑みを見せる。

「嫌な事を言われても、テリィに会えない方がつらいから、そうする」

「そうか」

 テレンスは微笑みながらうなずいた。



「花嫁がお元気になられて良かった」

 エリザ学院の正門を出たテレンスに、キャスケット帽の若者が声をかける。

「・・・手間をとらせたな、オスカー」

 テレンスは歩を止めずに応じた。

「面会許可書の偽造など、造作もございません」

 キャスケット帽のつばを少し上げて、そばかすのある顔をほころばせたオスカーは、自分の主の後ろに付いて歩いた。


「それで盟主めいしゅ、どっちを狩ればいいですか?年食ってる方ですか?少年ガキの方ですか?それとも両方で?」

 学院から離れて、人気の無い裏路地に入ったテレンスは、眉根を寄せた表情でオスカーを振り返った。

「あれっ!・・・花嫁を争う相手じゃなかったんですか?」

 想定外の主の不機嫌さに、オスカーは自分の推測が外れた事を察してうなじを掻いた。


 そんなしもべに、テレンスは大きなため息をつくと、

「館に戻って休む。遠出ばかりでさすがに疲れた」

 そう言って、手近な建物の屋上へと跳び上がった。

「時には自ら参るがよい。・・・労苦をかけた」

 下に控えるオスカーは、主からのねぎらいに、キャスケット帽を胸に置いて、深く頭を下げる。

 オスカーが顔を上げた時には、テレンスは辺りに気配すら残していなかった。


「何だかんだ言っても、人が好いんだよね。・・・人じゃ無いけど」

 煉瓦れんが色の髪を手でかきあげて、キャスケット帽を被りなおす。

「・・・さて、グリニッジ卿は今どこに居たかな?アメルの事を耳に入れとかないと」

 面白そうに笑って、オスカーは瞳を朱色に光らせると、その場から一瞬で消え去る。

 時計塔が、正午の鐘を打ち鳴らした。



 アメルは翌日の月曜日から授業に出席した。

 ルイズのいなくなった教室は、やはり寂しかったが、このところ授業に身を入れてなかったせいで、授業内容に遅れてしまっていた。

 何とか取り戻さないと、と、勉強に集中しているうち、寂しい気持ちも消えて行った。


 週末は、ウィルトン家でテレンスと過ごしたり、バートと街で過ごしたり、うちの1日は寄宿舎に残ったりする事もあった。

 そのうち、寄宿舎に残っている生徒たちと交流するようになり、次第にアメルは学院生活に馴染んで行った。



 4月も半ばを過ぎた頃の事。

 授業を終えたアメルは、寄宿舎の自分の部屋に荷物が運び込まれているのを見る。

 部屋の窓に向かって、少女がひとり床に座り込んでいた。周囲には沢山の本が積まれている。


 少女は、アメルに気づいて振り返った。

「ねえ、ここの部屋の本棚はこれだけなの?本が入りきらないんだけど」

 長いブルネットの髪を背中に垂らして、緑色のシルクのリボンを付けている。黒いはっきりとした瞳が印象的だった。


「良かったら、わたしの場所も使っていいわよ」

 窓の両脇には本棚があって、かつてルイズが使っていた方の棚は、すでに隙間無く本が納められていた。

「え、本当?ありがとう」

 少女は嬉しそうに笑うと、さっそくアメルの側の棚に本を納め始める。

 その背表紙に書かれた題名に、アメルは目を奪われた。


「『世界の秘術』『妖精の存在証明』・・・面白そうな本ね、これ全部あなたの?」

「そうよ。・・・本が好きなの?」

「ええ。でも本は高価だからなかなか買ってもらえなくて」

 そのアメルの答えに、少女は目を丸くする。

「お金持ちのお嬢様じゃないの?」

「最近そうなったばかりなのよ」

「面白い事を言うわね、あなた。・・・それを言うなら、うちだってちょっと前までは借家暮らしだったわ。たまたま父が始めた事業が当たっただけの成金よ」

「あら、わたしのパパは大衆食堂をやっていたのよ。安くて美味しいのだけが評判だったんだから」

 ふたりは互いの顔を見合わせると、声を上げて笑った。


「わたし、準備生のアメル=ブライスよ」

「私はフィオーレ=サンティ、同じく準備生よ。フィオって呼んでちょうだい、アメル」

「部屋に入ってくれて嬉しいわ、フィオ」

 アメルは笑顔で手を差し出す。その手を握って、フィオも笑った。

「お嬢様ばっかりで退屈だと思っていたけど・・・ちょっとは面白くなりそうね」

「いろいろ教えてあげるわ、フィオ。・・・まずは明日の授業で座る席だけど、先生に指名されにくい席があってね・・・」


 窓から差し込む陽光は、明るく暖かい。

 冷たい雨は過ぎた。

 これからが春の盛り、花開く季節が来る。


~終~

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深紅の紋章Ⅱ・雨のあと春の月 矢芝フルカ @furuka

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