第13話 訪れたもの



 ボサボサの髪にヨレヨレのコートを引っ掛けた男の姿を見た途端、アメルは走り出していた。


「バートさんっ!」

 亡き父、アーサーの親友、バートだ。

 バートは両手を広げて、駆け込んで来たアメルを抱きとめる。

「アメル・・・」

 力強く抱きしめたあと、身体を離してアメルを見やった。


「良かった、元気なようだ。寝込んだって聞いたから心配した。・・・いろいろあったからな、疲れが出たんだろうよ」

 優しく言われて、アメルの目から涙があふれ出る。


「バートさん、ブライス亭が無くなっちゃたの、おうちが無くなっちゃったの」

 噴き出した感情のまま、アメルは泣きながらバートに訴えた。

「お前、やっぱり家へ行ったんだな。・・・そうか、あれを見ちまったのか。そりゃあ熱ぐらい出すよなぁ・・・」

 バートも苦しげな表情で、アメルをなだめるように背中をさすった。


「お前がウィルトン家に行ったあと、すぐに取り壊しが始まったんだよ。・・・ああ、中の荷物は、全部ウィルトン家で保管してあるそうだから心配するな。この週末、ウィルトン家に来るように言われていただろう?」

 アメルは手で涙を拭いて、バートを見た。


「悪かったな、アメル。すぐにでもお前に話してやりたかったんだが、俺はお前の身内じゃ無いんで、ここに来る事ができなかったんだよ」

 エリザ学院が、面会に厳しいのはアメルも知っている。


「・・・今日はどうして?バートさん、どうして来られたの?」

 バートはニヤリと笑って、アメルの後ろを指差した。

「そこの先生が都合つけてくれたんだ。昨日、署に事情を話しに来てくれた」

「え?」


 見れば、1人掛けの椅子に長い脚を組んで、肘掛に頬杖をついていえうテレンスが居た。

 まったくもってアメルに気づかれなかったせいか、やや不機嫌な顔つきだ。


「このテレンス先生が親族代理で立ち会う事を条件に、こうして面会が叶ったって訳よ。なぁ、先生」

 バートに水を向けられても、テレンスはその姿勢のまま黙っている。

 それをニヤニヤ見ていたバートだが、アメルをソファに座らせて、自分もとなりに腰掛け、真顔でアメルに向き合った。


「アメル、ブライス亭のある辺りが、街道を広げるために立ち退きしなければならなかったという話は聞いていたか?」

 アメルは少し考えて、

「知らなかった。・・・でも、近所の人たちが話しをしていたのを聞いたわ。うちの事だとは思っていなかったけど。・・・じゃあ、パパとママが行った説明会って、その事についてだったの?」

 そう、バートの顔を真っ直ぐに見て言った。

 バートはその視線を受け止めて、大きく頷く。

「ああ・・・その通りだよ」

 声には苦いものが混じっていた。


 アメルの家、食堂ブライス亭が面する街道の拡張事業のため、一帯の家々は、家屋の立ち退きや畑の没収を余儀なくされた。

 アメルの両親はこの事業に関する説明会に向かう途中、馬車で事故にあって亡くなったのだ。


「ブライス亭だけが早々に壊されたのは、家主の希望だそうだ。住む人のいなくなった古い家に、勝手に入り込むやからでも現れたると面倒だと考えたんだろうよ。周りの麦畑がまだ残っているのは、もうじき収穫なんで、それを終えたら更地にするらしい」

 バートの話が終わる頃には、アメルの目から再び涙が流れていた。


「・・・夢だったら良かったって、ずっと思っていたの。家に帰れば、自分のベッドで寝て起きたら、何もかも元通りだったらって・・・。でも・・・違うのね、違うんだわ・・・」

 泣きながらつぶやくアメルの手を、バートが包み込むようにして握った。

「俺も同じだよ、アメル」

 涙に濡れた目で、バートを見る。

「毎日目が覚めると、全部が夢だったんじゃねぇかと思う。仕事していて、今夜はアーサーのオムレツで一杯やりてぇな、って思う。街を歩いていて花屋を見れば、ジェーンに買ってってやろうか、って思う。・・・そのたびに気づくんだ。ああ、違うんだ。全部無くなっちまったんだ・・・って」

 バートは今にも泣き出しそうだった。大人の人でもこんな顔をするんだと、アメルは思った。


「アメル、お前が居てくれて良かった」

 バートの言葉にアメルは大きく目を見開く。

「アーサーとジェーンを想って、一緒に泣く事ができる。・・・もう少し時が経てば、もっといろいろな話ができるだろうよ。俺とアーサーが悪ガキだった頃の事とか、アーサーがジェーンに一目惚ひとめぼれした時の事とか・・・」

「バートさん」

 アメルはバートの手を握り返した。


 不思議な気持ちだった。

 悲しくてたまらなくて泣いているのに、嬉しかった。

 バートの手は大きくて温かくて、そしてところどころが固い。

 父の手に似ていると思った。


 アメルは顔を上げた。

 まだ涙は残っていたが、笑っていた。

「わたし・・・ひとりぼっちじゃなかったのね・・・」

 両親を亡くしてから初めて、心からそう思えたのだ。


 そしてアメルは、テレンスを振り返る。

「テリィ、ありがとう。バートさんを連れてきてくれて」

 笑顔でそう言ってから、ハッと口を押さえた。


「あっ・・・えっと、ありがとうございます。テレンス先生」

 言い直す。テレンスは黙って眉根を寄せた。

「おいおい、ずいぶんと他人行儀だな。授業中ならともかく、今日は日曜だろう?」

 バートがテレンスとアメルの様子を見比べながら言った。


「理由はアメルに聞いてくれ」

 頬杖をついたまま、テレンスが短く口を開いた。

 アメルは下を向いて唇をキュッと結んでいたが、バートもテレンスも、アメルが話し出すのをじっと待っている。

 仕方なく代表生のエヴァ=アンカーに言われた事を全て話した。


 聞き終えて、バートとテレンスは一瞬だけ視線を合わせる。

 テレンスは不満げに口元を歪めただけで、やはり何も言わない。

 バートは笑いをこらえるような顔で、クシャクシャと頭をかいた。

 そして言葉を選ぶようにしながら、アメルに言った。


「・・・あー、なんだ。そのエヴァとやらが言った事は、まぁ間違いじゃあ無いんだが・・・だからって、そう簡単に教師が辞めるような事態にはなるまいよ。・・・授業がある日ならばともかく、今日は日曜だ。これは業務外だよなぁ、テレンスさんよ」

 話を振られたテレンスは面倒そうに

「当然だ」

 と言った。


 それでもアメルが、困ったような納得のいかないような様子だったので、バートは笑いながら話を続ける。

「年頃のむすめっ子ばかりの学校だ。そこにご面相の良い若い男が先生として現れたんじゃあ、大騒ぎになるのは無理も無ぇよ。それが入って間もない下級生と懇意こんいであるのを見せつけられちゃあ、ひと言くらい言ってやりたくなるだろうさ」


 アメルは顔を赤くして下を向いた。

 見せつけた訳じゃないけど、心当たりが無い訳じゃ無かった。

「・・・わたし、少し嫌な子だったかもしれない」

 小さい声でアメルが言う。


「そうか。じゃあ、そうだったかもしれないな」

 バートがそんなアメルの頭をやさしく撫でる。

 ああ・・・本当にパパみたいだ・・・

 アメルは目を閉じた。



「おっと、忘れちまうところだった」

 バートはゴソゴソとコートのポケットに手を入れて、一枚のメモをアメルに渡す。

「警察署と俺のアパートの住所だ。・・・とはいえ、たいがいは署に居るから、受付で俺の名前を・・・」


 バートが説明している途中で、玄関の外側が騒がしくなった。

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