第12話 舎監
目が覚めたアメルが見たのは、寄宿舎の天井だった。
カーテンの合間からこぼれる明るい陽射し。
飛び交う小鳥たちのさえずりが聞こえる。
朝だった。
「・・・あれっ?」
ベッドから身体を起こして、アメルは周囲を見渡した。
どう見ても寄宿舎の自分の部屋だ。
「テリィ?」
呼んでみたが、返事をする者はいない。
窓にはぴっちりとカーテンが閉められている。
アメルは窓を確かめるために、ベッドから降りた。鍵はきちんとかけられている。
昨夜、テレンスが部屋に来たような・・・。
この窓から部屋に入って、向かいの校舎の屋根に飛んで・・・。
窓から下を
部屋は3階だ。
それにここから向かいの校舎の屋根に飛ぶなんて、鳥でもない限りできはしない。
「夢・・・だったのよね」
何だか、とっても楽しくて、とっても綺麗な夢を見ていた気がする。
テレンスが一緒で、自分がもっと小さい子だったような・・・。
思い出そうとしても、ぼんやりとしていて、しっかりとは思い出せない。
夢というのは、だいたいいつもそういった感じだけど・・・。
金曜日に、学院を抜け出して自分の家に行ったのは覚えている。
そして、家が無かった事も。
その時にテレンスが居たような気もするのだが・・・どうやって寄宿舎に帰ったのかも覚えていない。
悪い夢から醒めたいと思っていた。
なのに部屋の扉は何度も叩かれて、誰かが入ろうとする。
だから、誰にも邪魔されないように扉を閉めた。
そして昨夜の・・・夢?
確かに夢から醒めたようだが、見ていたのは悪夢ではなかったらしい。
目が覚めたら、自分の家の自分のベッドに居るのを望んでいたが、それも叶わなかったらしい。
やはり何も変わっていないのだと、アメルは思った。
寄宿舎の部屋にただひとり。
枕元に置かれた人形を抱きしめる。
やはりそれは、懐かしい家の匂いがした。
その時、アメルのお腹がグーッと鳴った。
時計を見る。朝食の時間は終わって、もうじき1時間目の授業が始まる頃だ。
何度も寝たり起きたりしていたから、いったい今日が何曜日で、自分がいつから食事をしていないのか、はっきりとしない。
でも、とにかくものすごくお腹がすいた。
部屋に食べる物は置いていないから、食堂に行かないと。
朝食は終わってしまったけど、何か残っているかもしれない。
アメルは顔を洗い、髪を整えて、制服に着替えた。
椅子をくくりつけた扉の前に立つ。
リボンをひとつひとつ解いて、椅子を外す。
そして、扉を開いた。
遅れて食堂に来たアメルを、
「アメル=ブライス、朝食の時間はもう終わっていますよ」
と、低い声で言った。
ガラス玉のような瞳が、キラリとアメルを見下ろした。
叱られるのは覚悟の上だが、やはり目の前に立たれると怖い。
「・・・ごめんなさい」
やっと、それだけが口を出た。
「アメル=ブライス」
名前を呼ばれて、アメルは身を
「そこに座って待っていなさい」
舎監はそれだけ言うと、
てっきりお説教されると思っていたアメルは、ホッとしたような拍子抜けしたような気持ちで、テーブルに付いた。
周りを見渡すと、食堂内には、まだ何名かの生徒たちが残っていた。
誰もが私服姿で、お茶を飲んだり、本を読んだりしてのんびりしている。
今日は、授業の無い日なのだろうか?・・・ならば土曜日か日曜日だろうか?
そんな事をアメルが考えていると、コトリと音がして、目の前に深皿が一枚置かれる。
温かい湯気と共に甘い香りが立ち上った。ミルク
アメルが顔を上げると、舎監が立っていた。
「おとといの昼から何も食べていない身体に、普通の食事は良くありません。それが全部食べられたのなら、昼食は皆と同じものを出しましょう」
え・・・。アメルは皿と舎監の顔とを見比べる。
今の言葉からすると、このミルク粥は今日の朝食のメニューでは無く、アメルのために作られたものらしい。
厨房のコックさんがわざわざ作ってくれたのだろうか?
アメルは舎監にそれを聞こうと思ったが、おいしそうな香りにお腹がグーと催促する。
すぐにスプーンを取って、粥を口に運んだ。
温かくて甘い。ほんのりとシナモンの香りがする。
母ジェーンが作ってくれたものと、同じ味がした。
順調に減って行く粥を見て、舎監はひとつ
「食事が済んだら、玄関ホールへ行きなさい。あなたにお客様が見えています」
至って平坦な口調でアメルに指示をして、くるりと背を向けた。
お客様?
アメルはせっせとスプーンを動かしながら、自分を訪ねて来る人なんか居ただろうかと考える。
コツコツと遠くなる靴音に、ハッとしたアメルは椅子から立ち上がって、
「あ、ありがとうございました!舎監先生、お粥おいしいです!」
と、遠のく背中に大きな声を掛ける。
振り向いた舎監は、ガラス玉の瞳でギロリとアメルを見る。
「アメル=ブライス!食事中に立ち上がって大声を出すなどお行儀が悪いですよ!」
と、むっつりとした顔で注意した。
けれど、その頬はなぜか、ほんのり赤く染まっている。
それを隠すように、舎監は素早く背を向けると、あっという間に行ってしまった。
ミルク粥は甘く温かく、アメルの空っぽの身体に染みていく。
お腹が落ち着いて、なんとなく元気が出てくるような気がした。
エリザ学院の玄関ホールはとても広い。
アメルが学院を脱走した時には、家に帰るため迎えを待つ生徒がひしめき合っていたが、今日はあの
「・・・金曜日がおとといだって事は、今日は日曜日なのね」
日曜日には授業が無い。どうりで静かなはずだ、とアメルは思った。
たいがいの生徒は、授業の無い土日の週末、寄宿舎を出て自宅で過ごしている。
けれど今日、日曜日の食堂には生徒の姿があった。その生徒たちのために、食事も用意されている。
週末の日数では行き来できないほど、遠くから来ている生徒かもしれないし、他にも事情があるのかもしれない。
「でも、週末に残っていても大丈夫なのね・・・」
アメルはひとりごとを呟いた。
食堂に残っていた生徒に、話を聞いてみれば良かった、と思ったが、来客の事を思い出して、急ぎ足になる。
ホールの壁ぞいには、ソファや椅子が向き合うように並べられていた。
来客が待機するための場所であり、簡単な面会ならばここで行われる。
その一角、ソファの真ん中に脚を広げて座っている人物が、アメルに気づいて立ち上がった。
ボサボサの髪にヨレヨレのコートを引っ掛けた男の姿を見た途端、アメルは走り出していた。
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