近藤虎徹偽刀説【KAC20223『第六感』】

 小さな古美術商を営んでいる真壁純一が、収集家・加屋木から連絡を受けたのは、そろそろ日付も変わろうかという真夜中の事であった。

 親の身代を継ぐ形でこの世界に入った純一であるから、その親の代からの上得意の呼び出しとあっては是非もなく、幸いまだ飲んでもいなかったので買い付け用のワゴンで、加屋木の伊豆の別荘まで駆けつけることになった。

 

 別荘に辿り着いてみれば玄関には深夜にもかかわらず皓々と明かりがともっていたが、迎えに出たのはお手伝いさんではなく、申し訳なさそうな顔をした加屋木の秘書だった。


「会長は、まだ起きておられますか?」

「真壁さんをお待ちかねですよ」


 形の良い眉を八の字にして、加屋木の思いつきに一番最初に振り回される立場の彼が言った。

 だが同情する暇はない。加屋木の思いつきの分野次第では二番目に振り回されるのは純一に他ならないからだ。


「要件をこっそりうかがってもいいですか」

「会長は真壁さんを驚かすのも楽しみにしているようですが、よろしいでしょう。――刀ですよ」

 

 なるほど、と純一は得心した。加屋木は美術品全般に目がないが特に執心しているのが刀剣である。


「美術品に疎い私も聞いたことがあります。新選組の近藤勇が使っていたという『長曽祢虎徹』だそうです」


 ほう。と声がでそうになったがすんでて思いとどまった。さすがに失礼だ。とはいえ


「こりゃあ、ちょっと根性入れて鑑定(み)させていただかないといけませんね」


 日本刀剣史上、最強の大業物のおでましだ。迫力、品位、人気、切れ味、すべてにおいて最上級。

 偽作が多いことでも天下一品である。


 ◇◆◇


 長曽祢興里は、江戸時代、寛文年間の刀工だ。


 慶長迄を古刀とする分類でいえば「新刀」の鍛冶となる。豪放な姿、美しい地金もさることながら、抜群の切れ味でしられ多くの大名や剣豪がこぞって手に入れようとした。

 幕末にもその人気が沸騰し、勝海舟、大久保一翁、木戸孝允も所蔵した。少々珍しいところでは、安政の大獄でしられる大老、彦根藩主井伊掃部頭直弼も、登城の際には虎徹の大小を携えたという。

 これは当時虎徹の出身地が近江彦根近辺であったとされていたことに由来するお国自慢とも考えられる。だが、美術的価値の高い古刀を差すことが普通だった当時にあって、切れ味無類の実用刀を選択したというのは極めつけの現実主義者だった大老の剛直を示す一例といえるのかもしれない。


 これほどに人気があった虎徹なので、非常に高価で、かつ偽物も多かった。


 この話題になって一番取りざたされるのが、新選組の近藤勇が愛刀として携え、かの池田屋事件の折にも大いに振るって活躍したという話である。

 生前の近藤がみずからの佩刀を「虎徹」と示したという証言はいろいろ残っており、池田屋事件後、近藤が故郷に書き送った手紙には

「下拙は刀は乕徹故にや、無事に御座候」

とある。

 

 とはいえ、幕末当時の虎徹といえば幕府高官や豪商がもっているような高級品である。新選組の指揮官とはいえ、池田屋事件の前の、名を上げる前の近藤勇が虎徹を持っているなどという事があるのだろうか?


 そんな状況証拠からこの「虎徹」は、本物に違いないと思い込んでいた近藤勇がそう信じていただけの偽刀であるというのが通説である。


 だが、幕末動乱の最中に行方知らずになったため「近藤勇の虎徹」はその後、誰も確認していない。明治以降に偽刀であるか正真であるかを確認した記録もない。以前ネットオークションに出た時は斯界騒然というありさまだったが、あれは違うと決着がついたはず。

 新々刀の雄「四谷正宗」山浦清麿に、偽の銘を切ったという説もある。それならば、そりゃあ切れたに違いないし、折れも欠けもしなかったろう――といわれたが、見る人間が見れば清麿と虎徹を一緒くたにすることはない。


 近藤勇は少しばかり腕力があっただけの田夫野人。刀の良しあしなどわかるはずもない――現代の人物像にそんなバイアスがかかっていないと言い切れるだろうか? 

 近藤勇は、土方歳三が配下を引き連れて駆け付けるまでの時間、藤堂沖田が負傷あるいは戦闘不能になり、永倉新八とも連携が取れずにいた中、孤軍奮闘して戦い続けた天然理心流の達人である。

 命を預ける得物を見誤るとは思えない。


「では」


 ここで改めて、問題のひと振りを拝見しよう。


「…………」

 

 シンプルな黒い塗り鞘、鉄紺の紐。

 拵えは変えてある。しかし時代があるから、明治初年くらいの仕立て直し。

 作為は見られない。いっそウブといっていい。

 虎徹かどうかは兎も角、当時モノのこの拵えだけで価値がある。 


「……」


 懐紙をくわえて静かに引き抜くと、そろりと鉄が現れて光をはじいた。


「…………」


 二尺。「棒ぞり」と称されるそりの浅く、身幅広い豪壮な作り。丸棟。頑丈無尽の配体。


「………」


 互い目に足の入った地刃。そして典型的ともいうべき数珠刃。

 室内灯の明かりにさえキラキラと光を放って、それがまるで雲海から沸き立つ白い雲のような―― 


「…………」


「……じゅ、純一君、どうかな?」


 純一が刀を鞘におさめ、懐紙を片付けるのを待ちかねて、加屋木が声をかけた。


「これを持ってきた相手なんだがね。昔、金を貸してた相手なんだがね。いや、その借金は終わっているから……というか。その時も二本ばかり刀をうけとってチャラにしたんだがね。その時、『父の形見だから』とどうしても譲ってくれなかったのがコレなんだけどね」


「眼福頂戴しました。大変結構なお刀だと思います」


「それは純一君が判断に困った時にいう決まり文句じゃないか! 私が今聞きたいのはそれじゃあないんだよおおっ!」


 加屋木は怒鳴った。真夜中に近所迷惑な話だが向こう三軒ぜんぶ加屋木の土地なので、迷惑をかける相手はいない。


「ほんものか!ちがうのか! ……どっちなんだい!」

「正真の虎徹です。すごいですね。こんなところで出会えるとは思いませんでした」

「こんなところとは得意先で言う言葉ではないね!」


 しかし、話はそこでおわらない。


「近藤勇の虎徹というのは、どのへんから?」

「相手の家の伝わる言い伝えで、さらにその持ち主もさる旧家の旧士族家にあったものを借金のカタにもらったもらしいよ!」


 ああ、怪しい来歴の数え役満。


「これを、一体いくらで?」

「まだ、金を払ってないんだよ。明日、一度返却して交渉開始なのだけれど」

 革張りのソファの肘置きの上で加屋木は両こぶしを握り締めた。

「一括で、三千万」


 あやうい。


 たしかに刀はすごい。刀剣に触れる機会がある人間なら身代傾けてもほしい一振りだ。

 純一なら二千万で売る。買うなら無理しても一千万。

 だが、加屋木がこだわっているのは多分そこではない。


「どうだろうかね? 新選組の近藤勇の虎徹だろうかね? それともあれかね? 近藤勇の刀だとすると、み、短いとか、思うかね?」


 そう――話の根本はここだ。

 近藤勇とともに池田屋事件を闘い抜いた虎徹であるか否か。


 たしかに、二尺という長さは刀というには短く、脇差というには長い。


「アリ。だと思います。その点は問題になりません。購入時点で室内戦闘を想定したのなら脇差として、場所によって大刀と使い分けていたとも考えられます」


「じゃ、じゃあ!」


「ちょっと、まってください」


 そのまま銀行に電話しそうになっている加屋木(真夜中)を制止して、純一は腕を組んだ。


 刀はいい。拵えにも嘘はない。

 蓄えてきた知識。今まで見てきた経験。

 それはこの「虎徹」が「極上品」であると示している。


 だが来歴がわるい。悪いどころか真っ白である。真っ白という事は真黒だってある。

 万が一盗品だったら、どうする?

 だいたいなんでここまですごい刀がどうして、今まで市場にでてこなかった?

 

 そんなこんなを、できるだけオブラートにつつんで純一が説明すると 


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………たしかに」


 と、絞り出すような声音で加屋木が肩を落とした。


 居間に時計の音だけが流れた。


 純一はふと亡き父の言葉を思い出した。


「最後は腹にはいるかどうか、だ」


 目利きとは畢竟、理屈ではない。多くを見、多くを知り、多くに触れて、五感で感得し、なお足りぬものを直観によって補って漸く到達する、得心だ。


 自分はこのひと振りを「近藤勇の虎徹」だ、と言い切れるのか?

 この刃に、血刀を引っ提げて時代の怒涛に必死に抵抗した男の姿を見出せるのか。


 刃を見て来歴を探れる魔術でもあればいざしらず、いっかいの古美術商にすぎない自分には、見た目以上の情報は得られない。


 今の自分は、この鑑定にどれほどの覚悟をのせられるのか。

 それをこそ、自らに問うべきだろう。


「………」


 美術品の世界に絶対はない。より安全な道はあるかもしれないが、リスクがない道などない。

 そうなれば、あとはいわゆる「第六感」。

 経験の全てを賭してなおわからぬなら、その上の感覚を信じるほかない。

 おのれの才能を研ぎ澄ました上に運をも重ねて、前に進むほかない。


「会長」と、純一は消沈している加屋木に呼びかけた。


「私の立場から『三千万で買う価値があります』とはいえません」

 正直に告げると

「…………うん」

と加屋木は納得した。

 純一は一つ息を吐いて、腹の底に力を入れて、言葉を続ける。


「ですので、私が1500万用立てます。折半でいかがでしょう? この『虎徹』を二人のものにしませんか?」


 加屋木は一瞬呆けたあとで、満面の笑みをうかべた。


「純一君! 君ならそういってくれると信じていたよ!」


 ◇◆◇


 実際、あとで後悔するかもしれないし、見ている内にダメな奴だったとおもえてくるかもしれない。

 でも、今この感覚を信じなければ、わからないのだ。

 この虎徹の本当の価値も。

 自分の中にあるこの「第六感」とやらの、正体も。


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短編集『KACお題でライトノベル時代劇』 石束 @ishizuka-yugo

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