坂下くんの場合

「なぁ、坂下。青山さん……もしかして、誰かを待ってる?」


 教室を出たところで福田が耳打ちしてきたから、軽く睨んでおく。


「バカ、そんなわけないだろ。予習か復習をしてただけだって」


 廊下の方を振り返ると、ちょうど教室から出る彼女の姿が見えた

 ツンと澄ました顔は、相変わらず凛としていて美しい。そうそう、青山さんはこうでないと。

 すぐさま男子トイレに福田を手招き、誰もいないことを確認する。

 念の為声を潜め、僕は静かに、それでも熱烈に思いの丈を語った。


「良いか? 頬を染めて、男にチョコレートを渡す彼女なんて僕は考えたくもない。青山さんはな、どんな時もクールで、動じない人だ。。それに、僕らみたいな思春期真っ盛りの卑しいケダモノを好きになるほど悪趣味なわけがない。わかるか? お前の下品な妄想で青山さんを汚すな」


 一息に言い切ると、福田は「うへぇ……」と肩を竦(すく)めた。

 何だその顔は。何が納得できないんだ?


「だいたい、このチョコレート達もほとんどに髪の毛やら爪やら血やら歯やらが埋め込まれてるに違いない。バレンタインってのはそういうものだ。青山さんがそんな汚らしい発想をするわけがないし、そもそもバレンタインなんて凡俗の遊びに浮き足立つ青山さんなんておかしいだろ。今朝も至ってクールで、素っ気ない様子だった。さすが青山さん! それでこそ青山さんだ! 周りの有象無象とは一線を画した、麗しき高嶺の花!!」

「お、おう……」


 福田は微妙なリアクションしか返してこないが、こいつには分からないだろう。

 僕が今日、一日中……どれほど恐怖していたか。


 青山さんが本命チョコを誰かに渡すのも、むしろ義理チョコを誰かに渡すのも、絶対に見たくなかった。

 友チョコなら百歩譲って仕方がない。彼女にも友人関係があるし、円滑な学校生活を健やかに送ってもらうために必要な儀式と考える他ない。そう、つまり、お歳暮(せいぼ)のようなものだ。いや、むしろ邪神に捧げる供物(くもつ)というべきかもしれない。青山さんが魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもに虐められ傷つけられるようなことは、俗世のくだらない流行に浮き足立つこと以上に、断じてあってはならないことだ。


 そして……あの高嶺に咲き誇る気高く凛々しい花が、醜い猿なんぞに好意を抱く、あるいは義理の贈り物で喜ばせる……そんなこともあってはならない。

 もしそんな瞬間を目撃してしまったら、僕の世界は足元からガラガラと崩れてしまうだろう。


 福田は思案にふける僕を怪訝そうな目で見ていたかと思えば、ちらとカバンの中の方に視線を落とす。「ふひっ」と気色悪い声が聞こえて、背筋が寒くなった。


「……ま、いいか。俺はこのチョコ貰えればそれでいいし」

「なぁ……まさか、本当にあの『おまじない』の噂を流したのは……」


 僕の問いに、福田はニヤリと下卑た笑みを浮かべる。

 ああ、気色悪い。友人であることがみっともなくなってくる。今すぐにでも縁を切りたいくらいだが、生憎と、カバンに詰まった汚物を引き取ってくれるのはこいつぐらいに思い至らない。


「そうそう。俺だよ。女子の髪の毛が食べたくってさぁ……」


 死んでくれ。

 その言葉は、ギリギリで飲み込んだ。


「青山さん……」


 結局、誰にもチョコレートを渡さなかった青山さんの姿を思い浮かべ、心の安寧を保つ。


 青山さん、貴女は他の有象無象とは違う。

 どうか、誰にも汚されないでいて欲しい。


 ……ああ、もちろん、僕のようなクズにもね。

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ヘビィラブ・バレンタイン! 譚月遊生季 @under_moon

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