みかん山ダイブ

海輪 有

第1話 みかん山

 目を開けると、そこはやはりみかん山だった。夏の太陽が西に傾いていた。午後4時頃だろうか。だとすると、私は崖から落ちて2時間以上も気を失っていたことになる。

 みかん山で迷子になった。ママとお兄ちゃんと奥湯河原の別荘に到着したのがきのうの夕方だった。ママが、大学病院に勤務しているパパに「別荘は大丈夫だった」とスマホで連絡した。ひいおじいちゃんが建てた古い別荘だ。玄関に飾ってあるロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートには、〈1970〉と書いてある。数日前、相模湾から熱海に上陸した台風が湯河原、箱根を通過した。一度見てきた方がいいということになり、新型コロナ対策で多忙なパパ以外の私たち3人が、2泊3日の予定で別荘に来たのだった。

 今日は朝からいい天気で、3人でゆっくり朝食を食べた後、おにぎりを作って、午前10時頃ハイキングに出発した。鳥のさえずりを聴きながら大きな滝を2つ見て、山城の跡でおにぎりを食べた。その後、初めてみかん山に登った。お兄ちゃんが、みかん山のてっぺんから伊豆七島が見えるという情報をどこからか仕入れてきたからだ。道路から頂上が見える。ものの30分もあれば登れそうだった。しかし登り始めると、みかん山は想像していたよりずっと広くて傾斜があった。入り口は舗装道に面して平らだったが、奥に入っていくとどんどん傾斜が急になった。

 みかんの木は長い枝にたくさんの葉を付けていて、先を行くお兄ちゃんの姿を何度か見失いそうになった。お兄ちゃんは私立中学の1年生でサッカー部に入っている。20分ほど登ると、初島がくっきりと見える狭い平らな場所に着いた。遅れて到着したママは「ああ、疲れた」と草むらにしゃがみ込み、ハンカチで汗を拭いた。

「聡子、水頂戴」

 私はモスグリーンの布地のリュックからステンレス製の水筒を取り出してママに渡した。ママは美味しそうに水を飲んだ。お兄ちゃんも私も飲んだ。お兄ちゃんはとても元気で「もっと上に行こう。上に行けば大島も見えるはずだよ」とさらに険しい斜面のジグザクの道を登っていった。続いた私は次第に遅れ、ママはさらに遅れた。

 みかん山を3分の2ほどの高さまで登った辺りで、お兄ちゃんを見失った。ママを待ったが登ってこない。どこを見てもみかんの木ばかり。私は、初島が見える平らな場所に戻ろうと思った。途中でママに会えるかもしれないと期待しながら降りたが、ママの姿はなかった。

 初島を見ながら、大きな声で、「お兄ちゃーん、ママー」と叫んだ。じっと耳を澄ましたが返事はなく、私は心細くなった。ママは舗装道まで降りたのだろうか。暑い日差しが照りつけた。ママが舗装道で待っているように思え、私は降りる決心をして急いで歩き始めた。その瞬間、足が滑り落下した。


 喉の渇きを覚え、リュックから水筒を取り出して水を飲んだ。私のリュックには、水筒以外には最近パパに買ってもらった『NEOポケット鳥』という鳥の図鑑が入っているだけだ。

 静かだった。何の音もしない。

 しばらくして、私を呼ぶ声がした。小さな声。じっと耳を澄まさないと聞こえないほどの小さな声。

「聡子、聡子」

 お兄ちゃんの声ではない。女性の声だ。しかし、ママの声ではない。子どもの声だ。

「聡子、聡子」

 声の主が不明だが、心細さのあまり私は、「はーい、聡子はここでーす」と叫んだ。私の声が届いたのか、今度は複数の女の子の声で私を呼ぶ声がした。私はさらに声を張り上げて「はーい、聡子はここで―す」と叫んだ。

 私の名前は上野聡子。今どき、名前に「子」のつく女の子はほとんどいない。私が通う練馬区立S小学校の5年2組では私1人だ。私の名前は、7年前に80歳で亡くなったひいおばあちゃんの名前をもらったものだ。ひいおばあちゃんが亡くなったとき私は3歳だったので、彼女のことはほとんど覚えていない。覚えていることと言えば歌だけだ。顔や姿は覚えていないのに、その透き通ったきれいな歌声はよく覚えている。声だけじゃなく、歌詞も覚えている。

 1つ目はこうだ。

「ねむれよい子よ 庭や牧場に 鳥も羊も みんな眠れば」

 2つ目はこうだ。

「ねむれねむれ母の腕に ねむれねむれ母の手に」

 3つ目もある。

「ゆりかごの歌をカナリアが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」

 私が週に3日通うマンツーマン塾の女の先生は大学院で心理学を専攻している。その先生から胎児はお母さんの声を聴いているという話を聞いたことがある。

 お母さんが上機嫌な声だと胎児も上機嫌、お母さんが心地よい音楽を聴けば、胎児も心地よい。胎教って言うのよ。こんな記録もあるのよ。お母さんが掃除好きでいつも「きれいになったね」と言っていると、胎児が胎外に出て育って最初に発する言葉が「きれい」だったという記録。そんなことを教えてくれた。

 胎児に記憶する能力があるのだから、3歳の私がひいおばあちゃんの歌を覚えていても何の不思議もない、ふとしたときに私の口をついて出る歌は、ひいおばあちゃんが私に歌ってくれた歌なのだ。

 先月、パパの書斎をリフォームしたとき、古いアルバムがたくさん出てきた。パパは専門の業者に頼んでDVDにしてもらうと決め、アルバムを整理する作業を始めた。私は、私と同じ名前のひいおばあちゃんに興味があったから、パパに頼んで彼女の写真を見せてもらった。

 ひいおばあちゃんは小学校の音楽の先生だった。遠足や学芸会や卒業式など、子どもたちと並んで写っているカラー写真の中に、1枚の白黒写真があった。ひいおばあちゃんが小学生のころの写真だった。旅館らしき建物を背景に「芋掘り栗拾ひ」と毛筆で書いた半紙を持って立っている。半紙の左端には「五年一組 円城寺聡子」と書いてあった。

「わあ、字、上手。ひいおばあちゃん、円城寺っていう苗字だったんだね」

「これは疎開先だな」

「戦争中?」

「そう。おい聡子、お前さん、この写真のひいおばあちゃんにそっくりだな」

 本当のことを言うと、私は聡子という名前が好きではない。いつかママに「どうして私はひいおばあちゃんと同じ聡子って名前なの」と訊いたことがある。

「それはね、お誕生日が一緒だったからよ。それに、ひいおばあちゃんはとってもいい人だったから」

 ひいおばあちゃんには悪いけど、私は、親友の「夏希」や「沙也加」みたいな今どきの名前がよかった。

 そんなことを考えている場合ではなかった。私は必死で「聡子はここよ」と叫び続けた。

「あっ、いた。聡子がいたよ」

 長ズボンを履いた首の長い子がそう言って近寄ってきた。リュックを背負っている。見たことのない子だった。その後ろにも2人の女の子がいて、その子たちの顔も見覚えがなかった。皆、リュックを背負っていた。

「聡子、どこへ行ってたの?」

「あなた、誰?」

「清子よ。何言ってるの。聡子を探しに来たのよ」

「…」

「頭でも打ったの? しっかりしてよ」

「崖から落ちたみたい」

「大丈夫? 怪我は?」

「お尻を打っただけ」

「ああ、見つかってよかったわ。日が暮れないうち早く寮に帰りましょ」

「寮? 私は自分の別荘に帰りたい」

「何言ってるの、この辺に別荘なんてあるわけないじゃない。旅館が3つあるだけよ。さっき見たでしょ」

「ひいおじいちゃんが作った別荘があるの」

 首の長い子は、2人の女の子を見ながら言った。

「初耳だよね、聡子んちが別荘持っているという話。それ、どこにあるの?」

「その3つの旅館の少し奥、箱根寄り」

「そんなところに別荘があるの?」

「あるの、橋を渡ってすぐのところ」

「凄いね、別荘なんて。うらやましい。いつか私たちにも見せてね」

「私はそこに帰りたい」

「何、言っているの。勝手な行動は許さないわよ」

「勝手?」

「そうよ、そういう個人的な行動は駄目。湯河原に来たからには集団行動でしょ」

「集団行動?」

「そう」

「集団って何よ?」

「何言ってるの、今更。はい、真知子、先頭に立って。続いて京子ね、その後に聡子がついて、私がしんがり。日が暮れないうちに帰りましょ」

 清子という子はリーダーのようだった。真知子と呼ばれた子は、「はい」ときれいな返事をして先頭に立った。短めの髪をツインテールにしていた。

 私は唇を噛んだ。ここでこの子たちと別れて1人になっても、このみかん山から出る自信がなかった。この際、この子たちの言う通りにしてみかん山の出口まで連れて行ってもらい、舗装道に出たら別れよう。そこでママに会えるかもしれないし。

 私は小柄な京子という子の後についた。京子はなで肩なので、すぐにリュックがずり落ち、その都度背負い直していた。みかんの枝をよけながら20分ほど歩くと、みかん山から出た。しかし、舗装道ではなくまったく見覚えのない農道だった。私は焦った。あたりは暗くなり始めていた。私は集団から抜けられなくなった。

 農道からやがて広い道に出た。同時に、川のせせらぎが聞こえてきた。私は、自分がいる位置が皆目わからなくなった。

 ママとお兄ちゃんはどこにいるの? この子たちは誰? なぜ私を知っているの?

「あのう、清子さん、どこへ行くのですか?」

「清子って言ってよ、気持ち悪い。決まってるでしょ、私たちの寮よ」

「寮って?」

「忘れたの? 共栄館。今日で3日目よ」

「何の3日目?」

「何言ってるの? 学童疎開でしょ」

「学童?」

「疎開!  学童疎開」

 学童疎開って何よ。学童疎開って、戦時中のことじゃない。なんで私が戦時中にいるのよ。私は平成生まれよ、最近発売された鳥の図鑑だって持ってる。発行年は令和2年よ。見せたらわかるわ、と思ったとき、肩が妙に軽いことに気づいた。

「ちょっと待って。あの場所にリュックを置いてきちゃった」

「もう暗いから、明日にしなさい。薪はいっぱい拾ったから大丈夫」

 この子たちは奥湯河原の山に薪拾いに行っていたのだ。背負っているリュックの中身は薪。みかん山に迷い込んだ聡子という友達を探し出し、寮に帰るところ。きっと、その聡子という子に私はそっくりなのだ。

 ちょっと待て、そんなことがあるわけがない。これが現実なら、私は戦時中にいることになる。

 タイムスリップ―それは想像上の話だ。お兄ちゃんが6年生のとき、社会科の宿題で、好きな過去にタイムスリップしてその時代の人物や出来事をレポートしなさいというのが出されたことがある。「聡子ならいつの時代にタイムスリップしたい」と訊くので、「明治時代。福沢諭吉の秘書になってアメリカやヨーロッパに行くの」と答えた。「で、どんなことをレポートするんだ」とさらに訊くので「もちろん食べ物」と答えた。あの時代の日本人がハンバーグやビーフシチューやパンとどんな出会いをしたのか、興味津々だった。

 タイムスリップなんてあり得ない。

 わかった。この子たちは、林間学校か何かで湯河原に来た。清子は根っからの俳優志望で、無類の演劇好き。どこまで素人を演劇に巻き込めるか、力試しをしているのだわ。そうでなければ、これは拉致という立派な犯罪よ。

 私は腹が立ってきた。と、同時に腹も坐ってきた―拉致なら警察に訴えてやる。

 次第に温泉のにおいがしてきた。やがて外灯が並ぶ平坦な道になった。街中に入ったようだった。やっとわかってきた。この道は奥湯河原に繋がっている一本道だ。このまままっすぐ行けば湯河原駅、反対方向に行けば奥湯河原。私は前を行く京子って子に訊いた。

「ねえ、これをまっすぐに行けば湯河原駅よね」

「そうよ」

 後ろの清子に言った。

「私、道が分かったから、やっぱり別荘に帰る」

「何言ってるの、そんなことを許したら私たちが先生に叱られるでしょ。それに、寮はもう目と鼻の先よ」

 私は交番を探した。お巡りさんに訴えよう。「私は拉致された」と。

 交番、交番と目を凝らした。このまま拉致されてなるものか。

 せせらぎの音が大きくなった。川に架かった石橋を渡り始めたのだ。外灯に照らされた「湯河原温泉旅館 共栄館」の看板が見えてきた。

 すると突然、男の人の声がした。

「やあ、君たち。共栄館にいる横浜市立T国民学校の子たちだよね。昨日も会ったね。今日はこんな遅くまでどこにいたのかね?」

「袴田さん、聡子がみかん山に迷い込んだので遅くなったのです」

 袴田さんと呼ばれた男の人は学生帽を被って白衣を着ていた。

「聡子ちゃん、昨日の腕の傷はどう? 見せてごらん」と、私のブラウスの袖をまくり上げた。

「良かった、化膿していない。かさぶたになり始めているね、大丈夫だよ」

 私は腰を抜かしそうになった。私は左腕に怪我などしていない。昨日は練馬の家を昼過ぎに出た。夕方、奥湯河原の別荘について掃除をし、駅前に買い物に行った。終始Tシャツ姿だったが、腕に怪我などしなかった。夜は、別荘でママと冷やし中華を作った。ママが作る定番の冷やし中華に私は、バンバンジーを作って添えた。そのとき包丁を使ったけど怪我はしなかった。

なのに、なのに、私の左の二の腕には、まるでカミソリのようなものですっと切ったような五センチほどの傷跡があり、その部分が赤紫色のかさぶたになりかけていた。

「聡子ちゃん、山に行くときは今着ているような長袖がいいよ」

 今朝、別荘を出るときママに同じことを言われた。

「聡子、今日は山に行くからTシャツにスカートじゃ駄目よ。長袖シャツとズボンにしなさい」

 それで私は、水色のブラウスとオフホワイトの長ズボンに着替えたのだ。

 私は、かさぶたをこすってみた。ヒリヒリした。現実だった。顔から血の気が引くのが分かった。

 私の頭はおかしくなったのか。

 ツインテールの真知子が言った。

「聡子、昨日藤木川の川原に降りるとき、ススキで切ったこと忘れたの?」

「…」

「通りかかった袴田さんが消毒してくれたのも?」

「…」

 清子が袴田さんという人に向かって、

「聡子、みかん山で崖から落ちたのよ。そのとき頭を打ったかも」と言った。

「聡子ちゃん、ちょっと頭を見せてごらん」

 その人は私の頭を触診し始めた。

 私は首をかしげた。と言っても、彼が頭を触診しているので、首を傾けることはできず、心の中で首をかしげた。と同時に、次第にわかってきた―私の体は何かの拍子に私の知らない別の体になっている! 

「吐き気やめまいはない?」

「ないです」

 彼は「大丈夫じゃないかな」と私の頭から手を離し、清子に向かって「何かあったら連絡して。敷島館にいるから」と言った。

 私は決断した。今日はこの子たちの言いなりになろう。このまま寮に行こう。そして、旅館で大人の人にわけを話して私の身柄を交番に渡してもらおう。そして、ママに連絡を取ってもらおう。

そう考えたら少し落ち着いてきた。私は前を歩いている京子に訊いた。

「ねえ、私たち何人で泊っているんだっけ?」

「女子60人よ」

「先生もいるよね」

「いるよ、2人。おとといの夜、聡子、ホームシックになって泣きじゃくり、奥山先生に添い寝してもらってたじゃない」

「もう1人は?」

「竹内先生でしょ。ああ、もう話しかけないで、お腹ぺこぺこなんだから」

 私もお腹と背中がくっ付きそうなくらい空腹だった。

 共栄館に着いた。玄関の柱時計が午後7時5分を指していた。女の人が6人ずらっと並んで待っていた。

 一番右側にいる優しそう顔をした先生が奥山先生なのか。名札を見ると「奥山美沙子」と書いてあった。その隣にいる眼鏡をかけた先生が竹内先生のようだ。

 奥山先生は、目にいっぱい涙を浮かべて私に抱き着いてきた。

「聡子ちゃん、無事でよかったわ」

「はい、すみません。心配おかけしました」

 ママとは違って、先生は香水の匂いはしなかった。


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