零捌、信楽教務の生き甲斐3/3


「前科者の就職、社会への再復帰は想像よりも難しい。社会から受ける視線や本人の負い目も含め、中々に社会に馴染めず経済状態が悪化し貧困に陥りやすくなります」


「当然と言えば当然の報いかもしれません。前科が無くても失業してしまう人間も居る中で、彼らを優先させるというのも確かに虫の良い話です」


何度でも主張するが真面目な話、僕は自らの嗜虐心を満たす為にだけに仕事をする気は無い。あくまでも結果を残す為に最善の方法を選択しているにすぎないのである。


「しかしながら再犯してしまっては元も子もない、これは更生させるという我々の仕事において、ひいては社会においても憂慮すべき事柄ですよ」


それは僕を異常性癖者と誤認していそうな種村さんにも解って頂きたい所だ。


刑務官として得た知識と経験、諸先輩方の体験談を基に言葉を紡ぐ僕は祈るように机に両肘を突き、手を組んだ。僕は、本当に数人は更生させる気では居るのだと餌をちらつかせて。


「社会復帰の重要性と難易度については理解しています。しかし私が聞きたいのは、それと今の話に何の関係があるのかという事です」


しかし尚も種村さんは僅かに眉根を寄せる。


まったく——君らは絶対にその因果関係を知っているだろうに。


「分かりませんか? このような異質で閉鎖された制度に関与した生徒を、果たして好奇心の怪物、ストーカー予備軍のマスメディアコミュニティが放っておくでしょうか。或いは映画監督、小説家。ドラマ脚本、アニメーターだって可能性はある」


巷で良く聞くマスコミという蔑称。略さない正式な名称は、マスメディアコミュニケーションである。


本来の意味はマスメディアを利用した情報伝達手段の事であるが、しかしながらこの時の僕は、皮肉と嫌悪と悪意を込めてコミュニティと誤解する。


今の彼らは紛れもなく、コミュニティと表記するのが相応しい。


そうは思わないかな? と、提起しておこう。



「そして問題の生徒の件……言い方は悪いですが、うまく立ち回れば食い扶ちには暫く困らないんじゃないでしょうかね」


「彼らには、政権批判したいだけの輩から副収入や協力を得ながら徐々にではあるが確実に社会復帰をするチャンスが複数訪れると僕は言いたいんですよ」


ああ、別に消滅して欲しい程に彼らを嫌悪している訳では無いんだ。前述の台詞の通り、彼らが役に立つ瞬間というのは多かれ少なかれ存在する訳ではあるし。


その旨、ご了承いただきたい所である。


さて——種村さんへの挑発に戻るとしよう。


僕の善意と悪意が織りなす、いと素晴らしき計画の一端を垣間見せながら。



「金銭が発生しなかったとしても存在を求められる、話を聞いてもらえるというのは存外、社会生活において、とても重要な事でもありますし」


「だからこそ苛烈に、思い出深く、マスコミ受けするように鮮烈に、この更生学校での記憶を脳に刻み込む必要がある」

「……」


述べたのは僕なりの優しい親心。


それでも彼女は意外そうな顔は見せてはくれなかった。


魅せたのは、やはり怪訝な顔つき、言葉の裏を懐疑的に探る嫌悪と不信の表情。


まぁ彼女の予想通り、このお涙頂戴の親心には裏があるのだけれど。



「逆に言えば……この彼を殺す前、或いは更生学校が開校する前に制度自体が頓挫すれば僕の計画も瓦解し、他の生徒達の社会復帰が難しくなるという話ですが」


——脅しである。僕は彼と彼らを天秤に掛けさせた。


無論、量るのは彼女——種村早苗という人物だ。


「……そういう、事ですか。今度は他の生徒を人質にするという訳ですね」


ようやく、そんな僕の意図を理解し、彼女は呆れた様子で息を吐く。瞼を閉じたのは考える為か、或いは——。


「はは。人質とは人聞きの悪い。種村さんが苦しまずに納得できるような大義名分になって頂いているだけですよ」


「あくまでも、犠牲は出すつもりなのですね」



——覚悟を決める為の物か。


「——あくまでも、犠牲を出さないつもりで居るんですか?」


無論、後者であろう。尋ねるまでも無い、彼女はそういう人間。


しかしながら、そこからの彼女の挙動は僕の予想を少し外れたものとなる。


「——……お茶のおかわりは?」

「? そうですね、出来れば」


唐突に尋ね返された質問に、虚を突かれ僕は僅かに戸惑う。応接用のテーブルに置いたままの僕が使ったティーカップの視線にも気づき。


——そうして僕が頷き、彼女がお茶の用意に向かう中で、彼女は力強さを感じる決意を口にし始める。


「私はこれから——この施設から脱出し、告発する方法を考えようと思います」


「更生学校の開校まで時間はありませんが、開校の準備を続けながら出来る限りやれることを探すつもりです」


「……そうですか。だから僕にその邪魔をするなと?」


そんな事、僕にとっては言わずもがなではあったが彼女は、わざわざ宣言する。


秘密裏に動いた方が、やりやすい事もあるだろうに。


そう呆れていると、そんな僕の心を見透かすように彼女は言葉を続けた。



「いいえ。貴方から情報を引き出しておいて私は何も言わないのはフェアじゃないと思ったので」



——フェア。フェアプレイのフェア。



人類の構築した世界において、僕が滑稽に思う単語の一つ。公正にして公平なさま、世界にそもそも存在しなかった人類お手製の歪な概念。


劣等種の妬み嫉みの結晶。或いは、クドクドと執拗な負けず嫌いにトドメを刺す為の詭弁。


「それに——どうせ邪魔はしないのでしょう。貴方は知らぬ存ぜぬで私の滑稽な姿を傍観して楽しむような人間ですから」


「——……確かに。いや、失礼……珍しく意表を突かれて、とても愉快になってしまったものですから」


その言葉を彼女が僕に使った事も面白くはあったが——それよりも僕は、やはり彼女へ返した言葉の通り彼女の推察が、とても愉快なものに思え、吹き出すまではいかないものの笑みが不本意に零れてしまう。


例えるなら、散々に苦労して教鞭を振るったにも関わらず学習能力の無かった子供が、ある日突然——学習意欲に溢れ、急成長を始めたような感動。



といえば分かるように、嬉しかったのだ。理解され、許容されたような気もして。


「アナタは公人として仕事は全うするつもりなのでしょうけど、私人としては今回の件が失敗しようと成功しようと、どうでもいい。そのスタンスに間違いはありませんか?」


実際は見離され、当てにされなくなっただけなのかも知れないとしても。


ドブ泥の汚泥に堕ちた巣から急ぎ飛び立つ雛の羽ばたきが、力強く、すべからくこうであれば、と。そう——思ったのである。


「……どうでしょうか。ただ暇潰しに仕事している事は否定しませんが」


「いや違いますね……きっと僕は人間を観る為に仕事をしているんだと思います」


「意外に思われるかもしれませんが、僕は人間を好ましく想っているもので」


それからの僕は割と本心で事を語ったつもりではあったのだけれど。



「——……今世紀最大の大嘘ですね。お茶です、どうぞ」


ご理解いただけなかったのが真に残念でならない。



「はは、今世紀は他に比べられる嘘が無かったらしい。何よりな事ですね」


しかしながらに伝えられなかった後悔は無く、ただただひたすらに彼女が淹れてくれたお茶の生産農家に感謝するばかりなのである。


啜った茶葉の薫りは水出しであるが故に本意気では無いものだっただろうが、今の僕にはあまりある豊潤さで、心という物を包む。落ち着いた——ただ純粋にそれだけは表記しておきたい。それだけでご褒美極まりない。



「では——私はこれで自室に戻ります。夕方のミーティングには顔を出しますので」


「了解しました。他に何か用が出来たら北崎さんにでも呼びに行ってもらうので、そのつもりで」


僕の拙い茶道の嗜みを確認した種村さんは、一度息を突き椅子に座る僕を見下ろし言葉を放つ。僕は彼女を観なかった。彼女が背を向け、前に振り返るまで観なかった。

きっと、僕は薄気味の悪い恵比須顔しか——今の僕には彼女に魅せる事が出来ないのだろうから。



「ああ、そうだ種村さん——」


けれど伝えなければならない事を伝える為、彼女が背を向け、僕に振り返るまでの間に心を整え、頬を解し、笑みを崩す。微笑みとは、どのくらいことを言うのだろう。


「僕は貴女のその善意と決意に敬意を表して、激励の言葉を送ろうと思います」

「……なんでしょうか」


何かを警戒して相変わらず怪訝な顔つきの種村さんに僕は微笑み、肩の力を抜いて少し首を傾げる。可愛い子ぶったのだが、気付いていただけただろうか。


「もしもこの施設から脱獄出来たなら、好きな指輪を買って来ていいですよ」


「領収書を信楽教務で出して頂ければ給料の三か月分くらいなら経費で落とします」



——にこり。世を達観し挑発めいた狂人の如き僕らしく、僕は三度目くらいのプロポーズを敢行する。この告白の是非について世の賛同は頂けない事を覚悟はしているよ。


僕は彼女を求めても、彼女の求めるものを自ら考え、いや知っていても尚、与えようともしないのだから。


すると種村さんは案の定——


「……分かりました。質屋に売ってから領収書は提出しますので、その時は宜しくお願いします」


「では、失礼します」



いや——予想超える言い回しで小気味よく嫌悪を僕に突き刺して。一礼し再び魅せた背中には頼もしい勇猛さと、一匙の達成感を滲ませる。



「……素晴らしいアイディアですね。まったく」


優しい背もたれだった。閉じられたドアが起こした風に圧されるが如く倒れそうになった僕の、その背中を支えた偉そうな座椅子の事を僕は評価した。


「パワセクハラで訴えられないだけ、今は良しとしましょう」



たった一人残された空虚で静寂の重役室、ポツリと溢した僕の煌きは如何ほどに明るかったのだろう。


しかしそんな感慨に浸る間もなく、僕は地下世界の天井を見上げた。




——いよいよである。

「さて——これから、どうからかってみたものか。殊更に面白くなってきたようだ」



「彼女の異能力も含め、行動思考をもう一度洗い直さなくては——ああ、メディアに見つからない僕の再就職先もですね、ふふ」



僕の話はここまでに——君達の話に進むとしよう。

何度でも嘯こう。ひとえに僕は悪役であると。


敵が居なければ存続しえない正義の為に——僕は悪役であろう。



とても滑稽で、眩しく、矮小にして強大な光の狂戦士たちよ。


僕を倒しに来ると良い——劇的に踊り回り、僕を楽しませておくれ。


人間賛歌を聞かせておくれ、僕の脳が求める奇々怪々な欲求を満たす為の餌どもよ。


僕を倒し——零分のゼロの向こう側に至り、そして——幸せにおなり。




ふふ、ふふふ——嗚呼……嗚呼、早く幸せになりたいなぁ。


――零分のゼロ〜%〜 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

零分のゼロ〜%〜 紙季与三郎 @shiki0756

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ