零捌、信楽教務の生き甲斐2/3
「よって誰もが逃げ、責任回避や自己の利益を優先させた結果、健全な者が少なからず居たとしても勝算や打算によって信念は歪み、誰もが満足しない結末しか訪れない」
「人間とは、全く以って滑稽だ。救いを求めるが救われようとせず、他者を救おうともしない。国民はよく官僚や役人に対し、高慢だと言われているイメージがありますが、僕から言わせれば国民の方がよほど高慢だ」
「……」
ねぇ——種村さん。お優しい貴女は、こんな救いようのない僕を軽蔑するでしょうか。自称自分の為とはいえ、どうしようもない取り返しのつかない罪を重ねた彼らを救おうとする貴女は、俯いたその顔を上げて、どんな表情で、僕に何と言葉を掛けるのでしょう。
「責任を取る気が無いなら、傀儡のまま言う通りに死ねよという話です」
軋む座椅子の背もたれは、愚かなほどに柔らかく。片手に握った資料の端は余りに鋭利に見えていた。きっと——軽々と人を殺せるほどに。
さて——。
「さて——僕の歪みきった思想についてはこれぐらいにして、生徒が増加しましたので更生計画の練り直しをしましょうか種村補佐官」
与太話はこれくらいにしておこう。
そろそろ始めなければ、彼らの始まりと——僕の終わりの物語を。
「人間の僕も、今の僕の仕事に甘んじなければね。ふふふ」
「選挙はもう、終わったんですから」
そうして国民様の奴隷として国益の為に張り切って仕事をしなければと意気込んだ僕が生徒の資料を目の前の机の上に置いた時、いみじくも彼女も顔を上げた。
「——……貴方のような人間が、子供たちをどう更生させられるというんですか。私には、もう……何も分かりません」
眼鏡を一度外し、応接用のテーブルに置いて天を仰ぐ。お祈りの時間は、これから幾らでもあるというのに、一体何を願うのか。
「分かりたくもないだけでしょう。精神衛生上は健全ですよ、貴女は」
この時の僕は、本当に彼女はこの仕事を辞めると思っていた。自業自得の僕の母とはまた違う意味で、耐え難い心労を自ら背負い、選択し、ここから外に出て外圧に頼る為、己の無力さを噛みしめながら、全てを事前に告発する為に最も困難と思える方法を取るのだと。
囚人で無いにも関わらず脱獄を試みる皮肉めいた行動を試すのだろうと。
「しかし、納得いっては頂けないでしょうが本当に良かったのでは無いですか? 当初から予定していた三人を殺さなくて済むかもしれません」
「当初から見せしめは一人か二人居れば、恐らく問題無いと思っていましたからね。僕個人としても」
だから僕は、それをからかう為に彼女の義憤を茶化し、煽ったのである。
「人権……或いは未成年という盾に守られているという意識を取り除くのに、彼は最適な道具となると思います」
だが——彼女は僕の予想を遥かに超えていた。
「……どのタイミングで彼を処刑するおつもりなんですか。具体的には」
その強い眼は紛れもなく、強かに僕を映し、完全に意を決している色合いで。
途方もない阿呆の、身の丈が過ぎる強欲。自らの傷を厭わぬ、僕とは全く違う狂気性。
「——これは驚いた。まさか、まだ彼ら……いえ、彼を救うおつもりなのですか種村さん」
「どういう理屈なのでしょう。お聞かせいただいても?」
「彼を救うつもりはありません。ただ罪は——やはり法治の名の下に罰せられるべきです」
——正解。
「法が無ければ罪は無く、公平な秩序は存在しない。恣意的に国家が違法に人を処するなど有ってはならない。それこそ——民主主義、ひいては国家という生き物を殺してしまう事になります」
僕らだって、そんな事は解っている。本当は順序立ててやりたいさ。けれど逼迫した状況が迫る中であっても、感情で蠢く野性的な動物を相手に諭すことなど不可能なのだ。
彼らは、国益など何も考えず自らの留飲を下げる為だけに全てを台無しにしてしまう生物なのだから。
その上、そんな動物共に付け入る隙を与えるスキャンダラスな馬鹿どもが殊更に足を引っ張ってくるとなれば余計に神経がすり減っていく。
「重要法案、国益。アナタ方の言い分の全てが理解できないわけではありません」
「それでも……そんなものより大事な国家としての前提を今、アナタ方は崩してしまおうとしていると私は思います」
分かっているんだよ、そんな事は。正論である事は。
ひっそりと僕は傍らに転がっていたボールペンを手に取って、資料を突く。
トントン、トントンと叩く。
「まぁ一理はありますね。だが杞憂だ、大多数の国民は直ぐに忘れますよ。ただ権力が暴走しただけと関係者の首を斬ってそれで満足する。直ぐに傷は癒え、元通りだ」
それを辞めて尚、彼女の顔は見れやしなかった。きっと見れたものじゃない。見せれたものじゃない。苛立ちは隠せ、我儘は受け流せ。見様見真似で覚えたボールペン回しを脳の回転の如く魅せつけて、僕はいつも通りの僕を装って。
「致命的では無い痛みを恐れていたら強欲な国民の願いなど一欠片すら叶える事は出来ません。これはそういう話です」
すると——彼女は僕にこう言ったのだ。とても哀れな者を見る瞳で。
「致命的じゃないですか……少なくとも貴方にとって……それは致命的な痛みなんじゃないですか」
「……」
自業自得とも思わずに、当然の報いと抱かずに、心からそう言ったのだ。
「私は人として……人間として貴方が嫌いです。けど、貴方を犯罪者にしたいなんて思いません」
「なるほど……つまり、貴女が救いたいのは僕だと? そう貴女は言いたいのですか?」
——とても、とても不愉快だった。
「そう思って頂いて構いません」
「まったく……再起が不可能な程では無いというのに奇特な方ですよ、貴女も」
そんな浅ましい情欲の誘いで、僕をほだせると思った神経が鼻について。
何より、こんな女に惚れていると完全に自覚した自分が腹立たしい。
「まぁ概ね、貴女の考えは理解したと言葉を返しておきましょう」
「しかしながら——言葉とは言葉でしかない。理論を持たない言葉には何の説得力もありません」
「具体的に、貴女は僕を犯罪者にしない為にどう行動するおつもりなのでしょうか。社会人であるならばプレゼンテーションによって他人を納得させなければならないのは、もちろん承知の上ですよね?」
そして——そのプレゼン如何によっては僕からの妨害が入る事も。
暗に示したそんな無言の圧力に、彼女は少し怯んだ様子ではあった。
しかしながら、その程度ではもう彼女は止まらないだろう。
「……それは先ほど質問した、対象生徒の処分時期と方法によって変わってきます」
「なるほど、ではお答えします。とはいえ、あくまでも机上の空論。状況によっては多少の変化がある回答だという事は、ご了承ください」
別に僕の都合上、答えてやらずとも良い上に、答えない方が計画は楽に進めるのだろうが現段階の彼女は明確には利用しがたい敵と成り果て、不確定な不安要素だ。放置しておいたら何をしでかすか分からない。
僕の中にある情の部分を含めたら尚の事。
——ここで確実に息の根を止めるか、情報を今一度収集、整理しておいた方が良いだろう。
しかし、そんな僕の意を反し、そこからの種村さんは厄介極まりない事に実に冷静だったと言わざるを得なかった。
「恐らく、種村さんが最も危惧している初日に関して言えば、現段階で私が彼を初日で処刑する事は無いでしょう」
「……」
ただ黙し、義憤に駆られ怒りに揺らぐ事無く、ただ僕の話を聞く。
「他の生徒および他の職員の手前、余計な事を喋られると面倒なので真っ先に文字通りの口封じ……まぁ喋れなくなる程度には痛めつけると思いますが」
——空虚だ。
「そこから見せしめの為に様々な拷問によって他生徒の脅しに利用した後、二日……いや三日ですかね。教室の空気が緩んできた頃に処刑する事になるでしょうか」
——空虚だ。
「最初の犠牲者は凄惨であるべきですから、出来る限り徹底的に殺すつもりですよ」
——面白くない。
こうなってくると彼女のポーカーフェイスは、まさに鉄仮面のようだった。無機質で何を考えているか容易に把握は出来ない。徐に机に解き放ったボールペンの方がまだ話し甲斐があるというものだ。
なるほど——ならば飴の甘さを強めてみるか。
「それに——その方が後々、生徒達が体験談を語る時、マスコミの喜びそうな刺激的な内容になるでしょうからね」
「……どういう意味ですか?」
しかめ面。うん、まぁ……これで満足しておこう。
「どういう意味も何も、社会復帰の際の財源になるじゃないですか。知っていますよね、服役経験のある人間の再犯率が高いのは社会復帰後の環境に一因がある事は」
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