第48話
本土に戻って、すぐに沙仁はドイツへと羽ばたいた。
1週間後には戻ってくるそうだが、やはり寂しさは拭えない。
半年以上の間毎日一緒にいたせいで、少し離れるだけでも落ち着かないのだ。
「会いたいなあ……」
きっと、凄く綺麗に撮影してもらっているのだ。
モデルとしての再スタート。
沙仁に置いていかれないように、咲も大学へ復学届けを提出していた。
また改めて頑張ろうと、喝を入れる。
大学に入学することがゴールではない。
ここで学んだものを、咲の夢を叶えるために利用していくのだ。
大人気モデルの隣に並んで見劣りしないように、夢を叶えるために頑張ろうと、自分自身に喝を入れた。
かつて咲が暮らしていた一人暮らし用のマンションに、今は沙仁と二人で暮らしている。
一室は咲のアトリエとして利用しているため、二人で暮らすには少し狭いが、それが寧ろ丁度いい。
仕事で家を開けることが多い分、家の中ではずっと側にいたいのだ。
高校生の頃のように、2人で暮らす生活。
家事は分担性で、あの頃の咲が見たら感動で極まってしまうだろう。
朝ごはんを食べながら報道番組を眺めていれば、アナウンサーが満面の笑みで芸能ニュースを紹介している。
『モデルのルナさんが、新たにサニとなって帰ってきました』
切り替わった画面には、1ヶ月前にドイツで撮影された沙仁の写真が映し出されていた。
1枚目は、ミニドレス姿。
背景が少し暗いおかげで、赤色のドレスが良く生えて綺麗だ。
カメラを見据えている姿は、女性としての力強さを感じて酷く格好いい。
もう一つは、ショートパンツ姿の沙仁だ。
草原で楽しそうに微笑んでおり、明るい日差しも相まってキラキラとしている。
かつての彼女では考えられない、満面の笑みを浮かべた写真だ。
義足姿で、ダークな雰囲気は微塵もない。
ありのままの沙仁の姿がそこにはあった。
『月から太陽へと生まれ変わったんですね』
『一足先に公開されたドイツでは、この美女は誰だ、と話題になっているらしいです』
『ヨーロッパ圏では有名でしたけどね。特にパリでは』
『彼女が再びその名を轟かせる日も、近いかもしれませんね』
得意げに語り合うコメンテーターの言葉に頷いていれば、洗面所の方から「うわあ!」と言う驚いた声が聞こえて来る。
一体何があったのかと向かえば、そこには洗濯用洗剤を床に撒き散らかした沙仁の姿があった。
「咲〜…またやっちゃった…」
「もう何してんの」
「手が滑ったんだよ…」
怒られまいかと、ビクビクしてしまっている。
家事の大変さを知って、失敗をするたびに申し訳ないと思うようになったらしい。
失敗しても、お互いが補い合えばいいのだから、そこまで気にしなくていいと言うのに。
この美人が洗剤を溢した程度で、20センチも背の低い相手に怯えているなんて、誰も思いやしないだろう。
「……そのうち、みんなこの可愛さを知っちゃうのか」
「え?」
「なんでもない」
今までは独り占めしていた、モデルのルナの本当の姿。
もう、咲が独り占めすることもなくなる。
だけど、ありのままの彼女でいられるならと達観したふりをしてしまうのだ。
アトリエとして使用している部屋で絵を描いていれば、沙仁がお茶を持ってやってくる。
受け取ってから一口飲めば、薄すぎず渋すぎない、丁度いい味がした。
ここまで沙仁がお茶を入れるのが上手になるなんてと、どこか感慨深い思いに駆られてしまう。
「油絵の匂いって独特だよね」
「そうだね、苦手だからって断念する人もいるらしいよ」
「そんなに?でもそっか…この絵、伊豆大島で描いてたやつの途中?」
こくりと首を縦に振る。
あの晩モデルをしてと頼んだ、新しい沙仁の絵だ。
「タイトルは?」
「ゾネ」
「ゾネ?なんで」
てっきり知っているかと思っていたが、天然な彼女らしい。
自分のことだというのに、沙仁はちっとも分かっていないようだった。
「沙仁って、英語だと晴れてるとか太陽のニュアンスを含んだ意味があるでしょ」
「うん」
「ドイツ語だと太陽はゾネって言うんだって。だから、沙仁は向こうの人たちからゾネって呼ばれてるんだよ」
絵の中の義足姿の沙仁と同じように、目の前にいる彼女も嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ソレイユじゃなくて、ゾネか。悪くないね」
心底そう思っているようで、本当に嬉しそうだ。
当初とは違う道筋になってしまったが、間違いではなかった。
行き方を変えただけで、彼女のモデル人生はまだまだこれからなのだ。
元世界的に活躍するモデルの、義足姿での現役復帰はヨーロッパ圏を留まらず、アメリカやオーストラリアまで届いたらしい。
義肢メーカーとは引き続き契約を結んだそうで、専属モデルとして来年度版のパンフレットの表紙まで務めることが決まっているらしい。
休止前に契約していた他の国外のファッションブランドとも、再契約を結ぶことになったと嬉しそうに話していた。
国内でも、化粧品やスポーツ飲料などの広告塔に、以前のように少しずつだが起用されるようになっていた。
復帰してわずか半年だというのに、また高校生の頃のように忙しい生活を送っている。
「じゃあ、行ってくるね」
「気をつけて……あれ、電話だ」
エプロンから取り出してスマートフォンを見やれば、初めて見る番号だ。
背の高い彼女からは自然と画面が見えてしまったらしく、同じように怪訝な顔を浮かべている。
「誰だろう…?」
「悪いやつ?私がでようか?」
「大丈夫だよ」
もう成人を越えているのだから、それくらい自分で対処できる。
通話ボタンを押せば、男性の低い声がスピーカーから聞こえて来た。
『七瀬咲さんでお間違い無いですか?』
「はい……」
『私、〇〇コンクールの審査委員長を務める小木と申しますが、この度七瀬さんの作品が優秀賞に入賞することが決まりまして……』
信じられない言葉に、耳を疑う。
確か最優秀賞の次に、栄誉ある賞だったはずだ。
「優秀賞……」
伊豆大島で描いた絵。
まさか、本当に賞を取ってしまうだなんて思いもしなかった。
幾つか確認事項を聞かれた後に通話を終えれば、勢いよく抱きつかれる。
「すごい!流石咲!」
そう言って、沙仁は咲以上に嬉しそうだった。
自分のことを、自分以上に喜んでくれる人がいる。
「帰ってきたらお祝いしようね」
表彰式があると告げれば、この子は仕事を休んででも参加したがるだろう。
カメラを構えて、嬉しそうに喜ぶ沙仁の姿が自然と浮かんでくる。
「はあ……もっとおめでとうって言いたいのになあ」
これから、沙仁は雑誌の撮影へ向かわなければいけない。
国内で日帰りだというのに、酷く名残惜しそうに咲の頭を撫でてくれていた。
きっと、帰って来るのは夜になるだろう。
「私たちさ、色々あったよね」
「うん…」
「これからも色々不安だけどさ、まあなんとかなるよ。たくさん挫折したけど、こんなに乗り越えてこれたんだから」
奔放な沙仁と、バカ真面目な咲。
正反対だけど、所々似ていて。
互いからそれぞれ、大切なことを学んできた。
生きていれば、きっとまたいつか困難に突き当たる日が来るだろう。
たけど、彼女がいれば、なんだって出来るような気がしてしまう。
心の底から愛おしい人がそばにいれば、傷も瘡蓋になって、それすらもバネに出来るような気がしてしまうのだ。
回り道も、遠回りも沢山した。
だけど、近道が人生におけるベストでないことは、互いのおかげでよく分かっている。
「今度、私もドイツに行きたいな」
もう、咲だけが知っている沙仁じゃない。
ルナは沙仁として、そしてゾネという愛称で皆から愛されている。
「じゃあ新婚旅行はドイツにしよう」
そうやって冗談めかしで言ってくるから、つい笑ってしまう。
どこか子供っぽいけど、繊細で。
お菓子とリンゴジュースが大好きな子供舌。
そのくせに、時折酷く核心的な部分を鋭く突いてくるのだ。
純粋で、表情がコロコロ変わる姿が可愛くて、だからこそこんなにも惹かれてしまう。
沙仁の全てを、心の底から愛おしいと思うのだ。
(了)
ゾネ ひのはら @meru-0731
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