モンスターがうろつく終末世界を生きるツンツンJKと癒し系ショタですが、そんなことよりタピオカミルクティーが飲みたい

ベッド=マン

第1話


  Ⅰ

 

 久世くぜりんという少女は甘いものが不得意だ。

 

 彼女がその事を知ったのは六歳のとき。 自分の誕生日に食べたケーキがどうにも甘ったるく、最終的にえづいて戻してしまった。

 

 それがきっかけで、今に至る10年間、琳はケーキもチョコレートも、もちろんクッキーやシュークリームもまともに口にしていない。

 

 彼女は飲み物だって基本的にはミネラルウォーターかブラックコーヒーしか飲まないし、大の甘党である彼女の父がコーヒーにスティック3本のシュガーを注いでいるのを目撃したときには一種のおぞましささえ感じた。 その日は一日中父と口を効かなかったという。

 

 そんな久世琳が日課の探索を終えアジトに戻ったとき、現在の同居人、あるいは保護対象、あるいは協力者である小柄な少年─名をミロクという─は唐突にこんなことを言い出した。

 

 「タピオカミルクティーが飲みたい」

 

 琳の細い眉がピクつく。

 

 タピオカミルクティーと言えば、若者、特に女子の間で流行していたドリンクである。

 その名のとおりミルクティーにタピオカを入れただけのものであるが、その圧倒的甘ったるさから、やはり琳は毛嫌いしていた。

 

 琳はこのように返した。

 

 「ミロク、どこでそんなものを知った?」

 「今日拾ってきた雑誌に書いてあったんだ」

 

 ミロクは脇に挟んでいた砂と埃で汚れた一冊の雑誌を開いて琳に見えるようにした。

 

 4度目のブーム到来! 不死鳥の如く甦るタピオカミルクティー! 2028年度決定版!

 

 開かれたページには可愛らしいフォントでそのような見出しが書かれていて、その下にオススメの店が紹介されている。 それらを構成する要素どれもが琳は受け付けなかった。

 

 「だめだだめだ。 現実的じゃない。 一年前の、この雑誌が刊行された頃ならともかく、今はその日の飯にすら困るような状況だぞ? 諦めろ、甘いものが欲しけりゃ缶コークが1つ残ってただろう」

 

 「やーだー! タピオカミルクティー飲みたいー!」

 

 ミロクは両手を大きく上に突き出して喚いた。見た目相応の子供のように。 だが、彼の年がいくつなのかはわかっていない。

 

 琳とミロクは姉弟ではない。 出会ったのは半年前で、その時すでに彼は記憶の大半を失っており、自分の名前しか覚えていなかった。

 

 そしてまた、彼女達が出会った2029年の何月何日か、このとき既に世界は滅んでいた。

 

 原因は海底から突然現れた謎の怪異、古魔ディヴィルの襲撃。 そして、それらを仕留めるために持ち出された核兵器による被害。 しかし古魔は一度は数を減らしたものの続々と海から現れ続け、結果的に化け物が蔓延る荒廃した世界が出来上がってしまった。

 

 人類は半分かそれ以下にまで数を減らした。 しかし物資にも住居スペースにも数は限られ、生存欲を増した人間様は皆暴力を振るって争い合っている。

 

 国という概念が失われた今、暴力だけが法であり秩序と化したのだ。 だから、そんな中でタピオカミルクティーを飲みたいなどという希望は叶うわけもなく、琳が断るのは彼女の好き嫌いを除いても当然のことと言える。

 

 「ギャーギャー騒ぐなガキが! 外に音が漏れたらどうすんだ!」

 

 琳は少年の頭頂部を拳骨で捻った。 加減したわけでもなく、普通に痛いので、ミロクは少し目に涙を浮かべながら頭を抱えた。

 

 「はぁ……」

 

 琳はため息をつき、ミロクの横を通りすぎて、ところどころ革のはだけた二人掛けソファに腰を降ろした。

 

 ふと上を見上げる。 手回し発電ライトを吊るしただけの薄暗い空間。 床や壁はコンクリートが剥き出しで、出入口は地上に繋がる梯子を昇った先のみ。

 地下シェルターには程遠い、ただの地下室、あるいは倉庫だ。 琳はもうここで半年以上生活している。

 

 2029年現在、政府主導で建設された地下シェルターの数及び貯蔵された物資は日本国民全てを賄えるはずだった。

 

 しかし古魔は明確な意思をもって悉くそれらを襲撃したのでまともに利用できる拠点は殆ど残されていない。

 

 そうなった場合やはり人間様は暴力を以て争うわけだが、ではこの琳という少女はか弱いからシェルターを追い出されたのかというとそうではない。

 彼女は幾分か人より恵まれた力を有しているが、それを同じ人間に対して振るう気になれなかった。 そして人間同士の醜い争いを見守る気にもなれなかったので、自分からグループを離れることにした。

 

 幸い、彼女の家族や友人は初期の古魔襲撃で死別しており、その判断に躊躇いはなかった。

 

 「しゃあねーなー……」

 

 琳のその言葉にミロクは勢いよく振り向く。

 

 「飲めるの!? タピオカミルクティー!」

 「必ずしも飲めるとは限らねえよ、 ただまあ材料を探すくらいはしてもいい。 飲料水、砂糖、茶葉はあるから、あとはスターチとミルクが必要だな」

 「タッピオカ! タッピオカ!」

 「だから夜は静かにしろって言ってんだろ!」

 

 その日は既に日が暮れているということもあって大人しく床についた。

 

 

 Ⅱ

 

 翌朝、琳は悪夢にうなされて目を覚ました。 特別珍しいことじゃない。 世界が終わったあの日、自分の目の前で家族や友人達死んだ記憶や、男に泣きながら犯される同年代の女、もしくはさも心中自殺のように自ら薬漬けになった若い親子とシェルターで同居していたクソッタレな昔の記憶が今日も甦っただけの話だ。

 

 体を起こしてボサボサの長い髪をかきむしる。 隣で寝ているミロクに目をやると、その手にはあの雑誌が握られている。 早く寝ろと言われたにも関わらず、昨夜は写真のタピオカミルクティーを眺めながら悶々としていたことが容易に想像出来る。

 

 琳は指を忍ばせ、ミロクの鎖骨あたりをまさぐった。こそばゆい感覚を覚えたミロクはすぐに無邪気な笑みを浮かべて反応を示した。

 

 「ほら、起きろ。 支度するぞ」

 

 「うーん……」

 

 いつの日かホームセンターから調達してきたカセットコンロ。寿命が近いのか、つまみを4、5回ひねらなければ火が点かない。

 どうやら今日は調子がいいようで、1回ひねれば素直に点火した。

 琳はそのまま鍋を置き、ボトルの水を注いだ。数分で沸き、あらかじめインスタントコーヒーを入れたステンレス製のカップに湯を注ぐ。

 それを一口つけたところで、やっと覚醒したミロクが僕も飲むと言った。

 と言っても同じものを飲むわけではない。 ミロクの好みは琳がこしらえた特別製茶葉とたっぷりの蜂蜜を使ったあまーいハニーティーだ。

 

 「今日も美味しいよ。 琳おねーちゃん」

 「毎回言わなくていい。 さっさと飲め」

 

 琳は今日の予定を考えながら作業的にコーヒーを流し込み、ミロクはハニーティーに舌づつみをうった。

 

 数分後、ジャケットを着込んだ二人はアジトを後にした。

 地上に出て、シートを被せたそれに近づく。姿を現したのは2025年製の国産ホバーバイクだ。

 浮上、推進、姿勢制御。 これらすべてのアクションをプロペラの力だけで行うこのマシンは、 コストの面が問題で一般に普及されることは無かったものの、路面を選ばず走行出来ることが評価され災害救助派遣のため各地自衛隊に配置されていた。

 しかし察しのとおり古魔蔓延るこの状況ではまともに活躍することはかなわず、今ではバラされ発電機のパーツ取りにされることが殆どだという。

 

 「ゴーグルつけたか?」

 「うん」

 「よし、出すぞ」

 

 琳は目的地とルートを設定し、AI制御による自動運転で車体が動き出す。 起動から10秒経たずして浮上、そして旋回。 発進する際には大小合わせた全てのプロペラ18基が回転をはじめるのでそれなりの轟音を奏でる。

 ホバーバイクが浸透しなかったのは、それも原因のひとつであると言われている。

 

 二人はそのまま荒れた路地を進んでいく。 通りすぎた看板には「魔女」と赤いペンキで書かれ、簡易的なバリケードにはまるで見せつけるように人ならざる者の死体が突き刺さっていた。 他人が立ち寄らないようにするためだ。

 

 

  Ⅲ

 

 遠く見える頭を欠いたビル群。 それと匹敵する体躯を誇る巨人型古魔。 耳鳴りが続く音の無い世界。 煙くさく、塵が舞い、 空は曖昧で、少し前まで線を引いていたAやCのミサイルは今ではもう鳴りを潜めていた。

 それを見て、平和になったの? といつの日かミロクに訊ねられたが、そうではなく、それがあらゆる国や軍の機能が停止されたことの合図なのだと琳はわかってはいても敢えて言わなかった。

 

 琳達がまず向かったのは3KM程北上したところにある大型のスーパーマーケットだった場所だ。

 古魔災害の初期こそ避難場所になっていたが、人が集まったところを化物共は襲い、喰らった。

 そして古魔は蝗害のように群れて次の拠点を目指してどこかに消えた。 今では僅かな古魔と、奴等の餌食になった人々の死体があるのみ。 ときおり比較的新しい死体があるのは、食料を求めて訪れた非力な人間が奴らに釣られた結果だ。

 琳達は正面からは入らずに裏口から潜入した。 既に何回も出入りしている場所なので、道順は頭に入っている。 慣れないのは、進むにつれて濃くなる死の匂いだ。

 

 このとき既に琳は自身の武器を手に構えていた。 いわゆる散弾銃。 しかしそれが通常のものとは異なり、人が唯一古魔に抗える手段であると我々は頭の片隅に留めておかなければならない。

 ミロクは琳のすぐ後ろをぴったりついて歩く。 しかし調度バックヤードから売り場に入ったところで突き刺すような頭の痛みを覚え、顔を歪めた。

 

 「うっ……」

 「古魔か?」

 

 慣れているのか、琳は視線を前に向けたまま話しかける。

 

 「うん、弱いのが三匹。 今、ゆっくりと別れて僕らを囲もうとしている」

 

 その実、このミロクという少年も古魔の居場所を割り出すという特別な力を有していた。

 

 琳は目を凝らすが明かり1つ無い暗闇の中ではどうにも捉えることが出来なかった。

 ミロクが言うには三匹は定位置に着いた後、こちらの出方を窺うように動かなくなったので、琳はミロクを置いて敢えて売り場の中へと入っていくことにした。

 

 すると、調度冷凍食品のコーナーを横切ったときに敵が一斉に動き出した。

 自身の倍はある長い尾を有した小猿。 体毛はなく、つるりとした質感で、目は窪み、ギラついている。

 琳は咄嗟に銃を構えそのまま発射。そのときぶっとべと念じる。 命中。 無数にバラけた鉛玉は、猿の喉や腕に穴を空けた。

 しかしその隙を突いて他の一匹が琳に長い尻尾を差し向けた。銛のように鋭い先端が眉間に迫る。

 琳はそれを手の甲で逸らしてやり過ごした。 赤い線が滲むが、彼女の動きは止まらない。 すぐさま最後の一匹からの攻撃を予想していたので、威嚇射撃で一瞬怯ませた後、包囲網を抜けた。

 二匹の古魔は、通路と棚上からそれぞれ追ってくるが、くたばりやがれと念じながら合わせるようにして再び放つ。

 

 「ほぅら、キャンディーだ!」

 

 すると弾丸は一匹の頭蓋を割り、もう一匹の肩を赤く染め上げていた。

 動けないその一匹に、琳は近づき銃床で押し潰すように何度か殴りつけた。 今度はシンプルに死ねと念じながら。

 絶命したのを確認して琳は武器を戻した。 ホルダーやケースに収めたわけではない。 元ある形の、何の変哲もない1つのブレスレットに形態を変化させたのだ。

 元来、ヒトという種族は知能を除けば特別秀でた能力があるわけではない。 では何故旧石器時代より生存競争に打ち克ち拡張することが出来たのか? 答えは明白、ヒトは道具を扱うことが出来たからだ。

 火からはじまり、石器、弓、車輪、紙、時代が飛んで航空機や計算器、そして人工知能。 それこそ言語や学問、宗教すらも広義に基づけばヒトの道具であると言えるだろう。

 ヒトは、道具に目的を与え、それとともに進化出来る、不可能を可能にする術を本能的に有している。 彼女が扱うのはそれを科学的に体系化させ応用した技術に過ぎない。

 「ツクモギア」、古来より伝わる日本国独自の思想、長い時を過ごした物質には神性が備わるという付喪神信仰をその名の由来とするテクノロジー。

 五大預言者、邪馬台国の女王、仙の子、ウルク王。 彼らをはじめとする、超常的な力を有していたと語られる人物は皆このテクノロジーを扱っていた。

 まさに神が如き力。 それを用いれば、ヒトはアクセサリーを古魔に有効な武器へと昇華させ、魔法じみた現象を起こし、あの憎き古魔共をブチのめしてこの破滅的世界を生き抜くことも出来るのだ。 無論、タピオカミルクティーを作ることだって不可能ではない。

 

 「琳おねーちゃん! 牛乳あったよ!」

 「ばか、普通のやつじゃ腐ってるに決まってんだろ。 パウダータイプを探せ。 ベビー用じゃないぞ」

 「さー!」

 

 ミロクは手に持っていた2本の牛乳パックをポイと投げ捨てどこかに向かった。 彼に戦う力は無いが、他に驚異が潜んでいる気配もないので特に問題はない。

 ミロクが材料を探している間、琳は外に出て別の作業をはじめた。 それはいわゆるまじない。 当分の間古魔達がこの建物に近寄れないようにするためのまじないだ。 方法は至ってシンプル、建物全体を取り囲むようにして四隅に自身の血液を1滴ずつたらしていくだけ。

 古魔達の大半は天敵であるツクモギア使用者の血やその匂いを嫌う。 故にこうして血を撒いておけば寄り付かなくなり、人と古魔が遭遇するリスクを減らすことが出来るのだ。

 ちょうど一周りしたところで、 大きな缶を頭に乗せたミロクが駆け寄ってきた。

 

 「あったよー! 粉ミルク! あれ? 琳おねーちゃんなにしてるの?」

 「野暮用だ。 たいしたことじゃねー。 それより、タピオカスターチはなかったのか? このままじゃただのミルクティーだぞ」

 「探したけど、無かった……」

 

 しゅんとするミロク。 琳は頭を掻いた。 彼女だってここまで来て妥協するというのは気に食わない。

 「まあ、普通のスーパーじゃそもそも置いてないかもな。 ったく、しゃーねー、ならあそこに行ってみるか……」

 「あそこって、どこ?」

 「故郷さ」

 

 

  Ⅳ

 

 それから1時間。 ホバーバイクをめいいっぱい走らせ向かった先はとある県立高校だった場所だ。

当然学び舎としての機能は果たしておらず、校舎に人影はない。 今となっては、非常時用に設営された地下シェルターがこの施設の中心である。

 

 「ここって……」

 「わたしとおまえが出会った場所。 懐かしいな、あの頃を思い出してゲロりそうだ」

 「どうしてここに?」

 「今となっては物が集まるのはここが一番有力だからな。 タピオカもあるだろ、知らんけど」

 

 体育館横の開けた空間。 生い茂る雑草を掻き分けると、人工物の地面が姿を現す。

 錆の目立つスライド式の扉は中からロックが掛けられており、決められた間隔で叩かなければ中の門番は開けてくれない。 まず3回、少し間を空けて2回だ。

 

 しかし勝手が異なるのか、予想に反して中から思わぬ言葉が帰ってきた。 若い男の声だった。

 

 「合い言葉は?」

 「合い言葉? そんなもん前はなかっただろ」

 「わからないならここには入れられないな、帰りな」

 「待て、取引しにきたんだよ。 さっきスーパーで食料を拾ってきた。 とうもろこし、桃やパインの缶詰諸々だ。 20食分はある。 タピオカスターチと交換してほしいんだ」

 「タピオカ? コカじゃなくて? なんだってそんなものを欲しがる? ははっ、まさかタピオカミルクティーでも作る気か?」

 

 扉の向こうから小馬鹿にするような笑い声が聞こえる。 のせられてはいけまいと、琳は声色を変えずに返した。

 

 「だったら悪いかよ。 とにかく交換してくれ」

 「ふーむ、そうだな、使い道に困っていたし取引に応じてやらないこともない。 けどさっきの食料だけじゃだめだ。 例えばそう、おまえ声からして女だろ? しかも若い。 1日俺に付き合ってくれたら考えてやるぜ?」

 「……いいぜ、5人でも6人でも相手してやる」

 

 ゲスな要求に琳がそう答えると、しばらくして扉が開かれる。 青髭がひどいにやけ面が見えた瞬間、琳は銃口を押しつけた。

 男は驚きを隠せない様子で、目を見開き、上擦った声で言った。

 

 「て、てめえ…… 覚醒者か? いや、その顔はたしか……」

 「家族の顔忘れんなよ、半年ぶりの里帰りだってのによ」

 

 琳がそのまま相手を押し込んで地下に入ろうとすると、反対側から落ち着いた別の男の声が聞こえてくる。 彼女はその声の主を知っていた。 その男は外で話そうと言うので、一先ず門番の男を地上に上がらせた。

 数秒待たずして現れたのは中年の男性。 この施設のリーダーを務めている男だ。 琳は銃口を男に向けながら話を再開させた。

 

 「タピオカスターチだ。 それを寄越せ。 交換材料ならある」

 「いいだろう。 ただし条件を追加させろ」

 「条件? この期に及んでまだ抱かせろと?」

 「いやいや、私だって君みたいなはねっかえりを抱こうなんて言わないさ。 それよりも、だ。 これは緊急の案件で、君にしか頼めないことなんだ」

 「わたしにしか頼めないこと?」

 

 その言葉を口にしたとき、血の予感が脳裏を過った。 どうやらそれは間違いではなかったようで、リーダーの男は一拍置いてこう言った。

 

 「ここから水道局に繋がる地下水路がある。 そこを陣取り縄張りにしている古魔を倒して欲しい。 かなりの大物だ。 我々ではとても太刀打ち出来ないんだ」

 

 男の淀んだ目からはその真意を探ることは出来ないが、その提案自体は琳にとって悪いものではなかった。 古魔との戦闘は、彼女が得意とする分野だ。

 

 「……いいぜ。 てめえらみたいな薄汚いクズを相手にするよか幾分かマシだ」

 「取引成立、だな」

 

 琳達は引き返し、指定されたマンホールに向かった。

 

 

  Ⅴ

 

 マンホールから地下に降り立つと、強烈な異臭が漂っていた。 シンナーと塩素、ある種果実感を想わせる独特の香り。

 それはこの場所とは関係のないものだとすぐに気がつく。 どうやらここに巣食う古魔の体臭らしい。 琳とミロクは少しでも臭いを和らげようと口と鼻を覆うように布を巻いた。

 滴が落ちる音がどこまでもこだまする。 水路は果てしない暗闇だったので、琳はミロクに懐中電灯を持たせた。 自身は銃を構え、少しづつ、少しづつ前へ進んでいく。

 

 リーダーの男曰く、敵は半人半蛇の姿をした化物とのこと。 三叉の槍を巧みに操り、水を自在に操作することが出来るという。

 たしかに並の人間じゃ敵うはずない。 ツクモギアの力がなければ触れることすら出来ないだろう。

 古魔については殆どわかっていない。 上位種になれば魔法じみた超能力を行使するということ。 夜間になると活発になるということ。 人間に対して明確な殺意があるということ。 ツクモギアによる攻撃にめっぽう弱いこと。ツクモギア覚醒者の血を嫌う習性があること。

 超能力については莫大なカロリーを消費して行っているのではないかと言われているが、やはり明確なことはわかっていない。

 

 10分歩いて、琳は既に5匹の小型古魔を倒していた。 しかし本命はまだだ。 まだ、タピオカミルクティーにはありつけない。

 

 いったいどこに潜んでいるのか。 考えたそのとき、張っていた水面が突然うねり隆起した。

 

 「ミロク! 下がれ!」

 

 琳は咄嗟に避難を指示。 ミロクは従いその場から距離を取るが、ライトを前方に向けることは怠らなかった。

 故に水しぶきの向こうのそのまた奥にいる敵の姿が露になる。

 

 細かい鱗に覆われた人面。滴る液体は毒々しい紫で、僅かに粘性質。 腰より下に伸びる蛇の尾は太く雄々しく、怪しげに動く様は踊っているようにも見える。 そして、その右手に携えられた無骨な三叉槍。

 しかし琳はその何よりも額に備える今だ開かない三つ目の目を深く注視していた。

 

 「グァウ!」

 

 獣のような声を上げ、古魔は空いた左手を前にかざした。 すると、周囲の水が再び動き出し、逆巻きを作りながら琳に迫る。

 琳は試しに銃弾を打ち込むが、水で出来たそれに効果はない。 古魔の攻撃はそのまま炸裂したかのように思われたが、彼女は跳躍し、欺くようにそれを飛び越え上方から敵に迫った。

 琳は接近戦に備え銃身を握る。銃床で頭部に殴りかかる算段だったが、槍に受け止められ失敗になる。

 

 その瞬間、額の目が開かれた。

 

 琳はかろうじて視線を逸らし、相手を蹴りつけて離脱する。

 だが、ほんのわずかに視界に入っていたのか、その効力を受け取ってしまう。

 

 「くっ……!?」

 

 それは一種の幻覚作用だった。 あの目には、見たものに精神負荷をもたらす力があったのだ。

 

 虚ろな声で誰かが囁く。

 

 どうしておまえだけ。

 

 助けて。

 

 置いていかないで。

 

 死ね。

 

 助けて。 助けて。

 

 卑怯者。

 

 おまえなんて、死ねばよかったのに……

 

 「琳おねーちゃん!」

 

 そこで琳の意識が戻った。

 

 数秒も時間は経過していない。敵は槍を引き、今にも突き刺そうとしていたが、 寸手のところでそれを回避する。

 

 琳は気持ち新たに戦いに挑んだ。

 

 私は死なない。

 

 みじめでも生き残ってみせる。

 

 そして、今日は必ずタピオカミルクティーを飲む!

 

 琳は幻覚に惑わされぬよう口の内側の一部を噛んだ。 確かな痛みと、血の味が広がっていくのを感じ取った。

 

 古魔は下から上に槍を薙いだ。 するとそれに倣うように三日月型の水が鋭く琳に飛翔する。

 

 琳はそれを素早い身のこなしで難なく避け、先程と同様銃床で殴りつけようとした。

 そしてまた先程と同様槍で防がれ鍔競り合いが起きる。

 古魔が目を開いた。 しかしそれは琳が待ち望んでいたことだった。

 

 「喰らいな!」

 

 琳は勢いよく唾を吐いた。 第三の目向かって、自身の血が混じった赤い唾を吐きつけた。

 

 「ぐぅ、ギャァァァァァ!?」

 

 それをまともに受けた古魔は、途端に苦しみもがきだした。琳の血液はこの古魔にも有効だってのだ。

 

 「しまいだ」

 

 琳は引き金に指をかけた。 撃つ瞬間、楽しかったぜ蛇野郎と念じながら。

 古魔は再度悲鳴を上げ、そして力尽きて水を被るように倒れた。

 琳は戦利品として槍を拾い上げ、そのまま帰路へとついた。

 

 

  Ⅵ

 

 その夜、全ての材料を手に入れた琳達は自身のアジトにて調理にかかろうとしていた。

 

 「材料あるか?」

 「ある!」

 「手洗ったか?」

 「洗った!」

 「よし、それじゃあ作るか」

 「やったー!」

 

 雑誌に記載された家庭用レシピを頼りに、二人は調理を進めた。

 まずスターチと水を混ぜ合わせ、こねる。 ちょうどいい形に切り分け、沸騰したお湯で20分茹でる。 茹で上がったら冷めるまで放置。

 そしてあらかじめ紅茶を少量のお湯で濃いめに煮出して冷まし、ミルクと混ぜ合わせる。

 最後に全てを合わせ、お好みの甘さになるまで砂糖を入れたら完成。

 

 「なんか粉入れてばっかりだね」

 「保存が効くのがそれしかないからな。 嫌なら私と同じように砂糖抜くか?」

 「やーだー! 砂糖いっぱいがいい!」

 「はいはい」

 

 あらかた出来上がったところで、琳はいつものステンレスカップに注ごうとした。

 

 「あっ!」

 「どうした?」

 「そういえばこれ拾っておいたの忘れてた」

 

 ミロクはバッグを漁り中から何かを取り出した。

 

 未開封の蓋のついたプラスチックのカップ10個入りセット。 そしてタピオカドリンクに最適な太めのストロー5本入り。 これも未開封だ。

 

 「おまえ…… そういうところはちゃっかりしてんな」

 「へへーん!」

 

 そういうわけで琳はそのカップにミルクティーを注いだ。 どうせならと自分の分もカップに注ぐ。

 

 「よし、完成だ」

 「こ、これがタピオカミルクティー! おいしそう! 飲んでいい!?」

 「まずいただきますだろ」

 

 急ぐミロクを琳はなだめた。 ミロクは仕方なく手を合わせようとしたが、また途中で何やら思い出してこう言い出した。

 

 「そういえば、大人は頑張ったあとに飲み物を飲む時かんぱーいってするんだって本に書いてた!」

 「またいらん知識を…… 乾杯って、何に乾杯するんだよ」

 「んーと、えーと、じゃあ今日一日にかんぱい!」

 ミロクがそう言って、琳は思わず笑った。 人前で笑うということを普段しないので、少し歪な、喉の奥でむせるような笑いだった。

 

 「傑作だ。 じゃあそれでいこう」

 「うん! かんぱーい!」

 

 かつん、と容器を合わせ、二人はストローに口をつけた。 一口飲んだミロクは、その味に感動して目を輝かせた。

 

 「おいしい! これおいしいよ琳おねーちゃん!」

 「もっと落ち着いて飲め。 焦って喉に詰まらせんなよ?」

 

 琳も苦労して作ったタピオカミルクティーを味わっていた。

 

 美味しい。 茶葉の風味は損なわず、タピオカのもちもちとした食感がいいアクセントになっている。 新鮮なミルクが使えていたらもっと美味しくなっていただろう。

 

 琳はふと、テーブルの上に置かれた雑誌に目が止まった。 おもむろにそれを開き、パラパラとめくる。

 

 するとちょうどミロクが最初に見せてきたあのページが目に入った。

 

 「4度目のブーム到来。 不死鳥の如く甦るタピオカミルクティー…… か」

 

 雑誌曰く、タピオカブームはこれまでに何回も起きているらしい。 第一次が1992年頃、第二次がその16年後の2008年。 第三次は2018年、そして去年2028年の第四次ブーム。

 第二次以降は8のつく年。 つまりは10年周期でブームが再燃している。

 ともすれば、2038年になれば第五のタピオカブームが到来するということか?

 琳はとてもそうは思えなかった。 こんな、文明も秩序も失われた世界で、流行りを楽しめる平穏が戻ってくるとは思えなかった。

 

 「ごちそうさまでした! また飲もうね! 琳おねーちゃん!」

 

 けれど、今目の前で満足そうにしている少年の笑顔に少し朗らかな気分になった琳は、そうなればいいなと思えた。

 

 ルーフスは言った。「歴史は繰り返す」と。 人類史が、戦争と革命の連続であったように。 何度も災害や疫病に苦しみながらも打ち勝ってきたように。

 

 タピオカミルクティーブームが、何度も起きるように。

 

 ならば、その逆もしかり。 たとえその在り方が変わろうとも、再び文明社会は築かれるはずだ。

 

 久世琳は、最後の一粒を吸い込んだ。

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