小人さん語り<春到来編>
あんまり特別扱いはよくないのでは?
首を傾げて問うてきた言葉に、ぐっと息を呑みこんだ。
特別扱いをしたい相手にそんなことを言われたら、いったいどうするのが正解なのだろう。
――これはもう、押すしかないよな。
こんな道端で言う台詞でもないだろうが、勝負の掛け時を間違えてはいけない。
◇
「戻りました」
「おかえりー、紺野くん。で、どうだったの?」
「なにがですか」
「なにがって……」
瞳を輝かせた雪恵が何を聞きたいのかはわかっているが、瑞貴は敢えて気づかないふりをし、服を着替えるためロッカールームへ向かう。美月と話をしていたせいで、思っていた以上に遅くなってしまった。
向かった先が駅ということで、人通りも多かった。腕まくりをして、前腕の半分ぐらいまでしっかりと石鹸で洗い、使い捨てのペーパータオルで拭き取って捨てる。外出したのだから仕方のないことではあるが、ついさっきまでの感触まで洗い流してしまったような気になって、すこぶる残念だ。
繋いだ手のあたたかさと柔らかさを思い出すと、顔がゆるんでいくのが自分でわかる。
――ガキかよ
我ながらどうかと思うが、こればっかりは年齢は関係ないと主張したい。それぐらい、今日の
自分が丹精込めて作った料理を食べる姿もさることながら、帰り際の出来事は、何度も反芻したくなるくらいの可愛さだ。
学生時代は陸上部に所属していたという美月は、さっぱりとした性格の女の子だ。口ごもって「言わなくても察してよ」といったところはなく、甘ったるく媚びるようすもない。何事も曖昧にしないタイプであることは、数ヶ月やり取りをしていくなかでわかってきた彼女の長所だ。
祖父の中華料理店にも、部活メンバーで行くこともあったらしく、「女子とは思われてなかったと思う」と笑っていた。まあ、大盛り麻婆豆腐を食べるぐらいだ。瑞貴自身も男だと思っていたし、部活内のポジションも似たようなものだったのかもしれないが、はたして本当にそうだろうか。
よく食べて、元気で明るくて、部活動という共通点があれば、話も合うだろう。美月が知らないだけで、ひそかに思う輩がいなかったとはかぎらないのではないのかと、そう思ってしまうのは惚れた欲目だろうか。
どうしてあのころ、もっと熱心に「コンノミヅキ」について調べなかったのか。調理学校に通って忙しかったとはいえ、祖父の店には行っていたのに。もしかしたら、同じ店内にいた可能性だってゼロではなかった。
(じーちゃんめ、騙しやがって)
悪態をつきたくなるが、時を経たからこそ今があるのかもしれない。当時出会っても、こんなふうにはなっていないだろうから。
高校の制服を着た彼女は知らないけれど、会社で働く大人の女性としての姿は、よく知っている。過去の同級生たちに対する、ちょっとした優越感だ。
そして今日は、プライベートでの姿も見ることができた。店に誘ったとき、ひそかに楽しみにしていたことでもある。
膝丈スカートから伸びる足は、張りのあるふくらはぎを通り、きゅっと締まった足首へ向かう。ピンク色のチェック柄があしらわれたスニーカーは、いつもシャキシャキ機敏に動く彼女らしいセレクトだ。大変、好ましい。
スッキリとした白いシャツは清潔そうだし、春っぽい色合いのカーディガンは彼女によく似あっている。
総合的に見て、ものすごく可愛い。店なんて行かず、このまま連れて歩きたいぐらいに。
――まあそれは、今後いくらでも機会はあるよな。
独りごちて、顔がゆるむ。
駄目だ。このままでは、雪恵や飯島になにを言われるかわからない。飯島に至っては、「なにあれ、普通にありじゃん、可愛いじゃん。俺も狙っていい?」とのたまい、冗談だとわかってはいても、本気で殴ろうかと思ったぐらいだ。正式に付き合うことになったと知れば、さらにちょっかいをかけてくるだろう。適当に流せるぐらいには、心を落ち着かせてから店に出たい。
勝算はそれなりにあったが、あの反応は予想外だった。まさか、あそこまで赤面したうえ動揺するとは思ってもみなかった。
うるんだ瞳で恥ずかしそうに見つめられて、その反応だけで幸せに満ち溢れた。
怒っていないのかと美月は問うたが、あれを見て怒る奴がいたら見てみたい。
羞恥に耐えるように俯き震える姿は、全身で戸惑いと歓喜を表現していた。うまく言葉にできない好意を目の前で見せられて、怒りなど湧こうはずもない。
赤く染まった顔と、はにかんだ微笑み。ぷっくりとした、薄いルージュの唇を思い出すと、ごくりと喉が鳴る。
まずい。いろいろまずい。落ち着かねば。
気合を入れるべく、瑞貴は両手で頬を叩く。数回の深呼吸ののち、鏡に映して、顔を確認。
よし、大丈夫。
帽子を被ってエプロンをつけて、店内へ。テーブル席を拭いてまわっているふたりを尻目に、厨房へ入る。
「すみません
「気にすんな。わざわざ来てもらった子を、ひとりで放り出すわけにはいかんだろ」
「あと、今日はありがとうございました」
背を立てて、深くお辞儀をする瑞貴に、小料理屋はるひの店主は苦笑いを浮かべた。
「いいよ。今日は特別。それに、おまえの勝ちだったしな」
美月を招待するのは、春日夫妻から出た話だった。紺野が想いを寄せている女性を一度見てみたいという、おもに雪恵の願いを夫である哲史が叶えた形だ。勿論、春御膳の味を見てもらうというのも、嘘ではない。
それにあたり、瑞貴は兄弟子である哲史に願い出た。
美月に出す料理を、すべて自分に作らせて欲しい、と。
一蹴されるかと思っていたそれを、哲史は受けてくれた。「やってみろ」と、背中も押してくれた。営業中の客に出す料理ではないからこそ任せてくれたのだろうが、相手が美月ということも理由のひとつだろう。
己の持ちうるすべてをかけて、大切に想っている相手に料理を出す。
彼女との今後をかけた正念場なのだということは、悟られていたことだろう。
瑞貴の勝ちといったのは、梅肉の味についてだった。美月に出すなら、少し甘めのほうがいいと主張して、そちらを選択した。哲史自身、どうするか決めかねていたそれは、美月の反応を見て今日のかたちに落ち着きそうだ。尊敬する料理人に己の舌を認めてもらえたようで、胸が躍る。
開店時間も迫っていることだし、仕事を再開する。慣れた位置で並んでいると、不意に哲史が声をかけてきた。
「で、うまくいったんだろ?」
「……それ、哲さんまで訊くんすか。しかも決め打ちで」
「帰ってくるの遅かったしな。飯島は、フラれてどっかで泣いてんじゃねーの、とか言ってたけど」
「くそ、あいつ殺す」
「もしくは、うまくいって、どっかに連れこんでんじゃねーのかって」
「あとで殴る」
「真面目なおまえがそれはないって、雪恵は言ってたぞ」
楽しげに言ったあと、「よかったな」と声は続いた。
「また連れて来いよ。今度は俺が祝い御膳ふるまってやるから」
「はい」
「おまえの料理より格段に上だって、彼女にわからせてやろう」
「……意地悪いっすよ、それ」
勘弁してください。
心底まいったように唸った瑞貴に、哲史は快活に笑った。
社員食堂の小人さんと秘密のお手紙 彩瀬あいり @ayase24
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