実際に広島を訪れてみたときの感想が、この作品で増幅されて確信に変わる。

 昨年三月に、広島へと行ってきた。高校時代の修学旅行と併せると、二回目の訪問になる。
 若い頃には見えていなかったものが沢山あった。本編でも触れられているが「原爆」という、なにもかもを焼き尽くし溶かしつくし、人を人でないものに変えた被害に見舞われたにもかかわらず、たった70年ほどで川のせせらぎや木々のみどりが息づいているのだ。心底から驚嘆した。
 もちろん終戦から現在まで、そこに住まわれている皆さまの血の滲むような努力の結晶が「今の被爆地」なのだと感じる。だからこそ、広島でも長崎でも……世界中のどこかしらでも……同じ労苦を味あわせてはならない。人が人として人生をまっとうできるように、ささやかでも祈りを続けなければならない。
 過去に広島県産業奨励館と呼ばれた建物が、今現在では「原爆ドーム」と名付けられている。間近まで寄って、焼け焦げた瓦礫の生々しさに息を呑んでいたときだった。
 修学旅行生らしき男子の群れの中で、ひとり大声を上げた者がいた。
「こんなもん! 作りものだろう!」
「くだらねえな!」
 わたしは絶句しながら、その場を離れるしか術がなかった。同じ日本人として恥ずかしかった。その男子生徒たちよりも年上の世代の人間としても、恥ずかしかった。
 成瀬さんのエッセイは、どこかしら「平和ボケ」しすぎて精神もろともに弛緩している……わたし自身も含めた読み手に、又、これからこのエッセイを読まれるであろう全員に、全力で警鐘を鳴らしていると思う。微力ではあるけれども呼びかける側の立場に入れてもらいたい。いのちを繋ぐ祈りの中に、わたしも入れてもらいたい。