付記

 かつて、この地球上には人類ヒトという知的生命体が存在していた。高度な物質文明を築き、ありとあらゆる場所で繁栄していた。

 互いに争い殺し合いをしながらも、その数を驚異的に増やしていった。非常に優れた知恵によって、これまでどんな生き物もなしえなかった、奇跡的な活動は、未来永劫続くかと思われた。

 だが、いまはその姿を見ることはほとんどなくなってしまっていた。人類は突如として終焉を迎えることとなった。

 病嵐によって突如として人類は絶滅の危機を迎えたのだ。新しい生命を産み出せなくなった人類は、間もなくこの地球上から消え去るだろう。それは人類の英知をもってしても止められない。

 ここに記すこの文も、もはや誰に読まれることもないであろう。それでも私はあえて記述を残したい。

 だがそれは、祖先から延々と築き上げてきた人類の遺産についてではない。人類が残した高度な文明について、私は多くを知らない。それに、それらのことは、すでに誰かの手によって詳細にまとめられている。いまさら私がなにかを書く必要はない。

 私は、私が見た、最後の人類の記録を残すのみだ。おそらく人類の最期を見届けるであろうその男について語ることは、まるっきり意味のないことではないと私は考えている。なぜなら、彼は、誰よりも強く、誰よりもタフで、誰よりも鋭敏で、最後の最後まであがく精神力をもって生き残ってきたからだ。

 彼は誰よりも孤独だったかもしれない。しかし彼はそれを意に介さず、むしろすすんでその道を歩いていた。その生き方はこれまでの人類とは違う生き物のように、他の者の目には写ったかもしれない。だが、と私は思うのだ。

 病嵐から絶滅を回避するため、人類の遺伝子は、これまでの人類とは違う性質の者を選んで生き残らせたのではないかと、私はそんな考えを持つに至ったのである。まさか、と疑われるかもしれないが、ありえない、と言い切れるだろうか。

 人類は、新たなステージへと進化しなければならない。病嵐を克服して人類が生き残っていくには、それしかない。そんな進化のいくつかの多様性のひとつに、彼がいるのではないかと、そんな可能性に気づかされる──それが、彼とともにすごしてみて私がたどりついた結論だった。。

 惜しむらくは、現代は、その遺伝子を後世へと残していくのが非常に難しい環境であることだ。始めに述べたように、人類の絶滅は避けられそうにない。

 人類が持つ過剰なほどの攻撃性が、これほどまで人類を絶滅に近づけたことはかつてなかった。攻撃性は文明を発展させてきたが、今度ばかりは、それが仇となってしまったようである。坂を転げ落ちていくように数を減らしていく人類を救う手立ては、どう見てもなさそうであり、その男の価値は、私以外の誰からも顧みられることはないかもしれない。

 それでも、私は彼に希望を見い出した。だからこの散文をここに残す。いつか誰かが──それは人類とは違う者かもしれないが──発見してくれることを願って。



(了)

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乾きすぎた風が吹く 江池勉 @onibiki

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