終章
「すげぇ男っすね……」
レリオが感心している。ダヴォルカの話がどこまで真実かはわからない。ニックスの超人さが異常すぎるし、何度も出会うなんてことがあるのだろうかと、信じがたい。
「そう、ニックスはすごい男なのよ。あたいが会ったなかで誰よりも……」
そう言って語り終える直前、ダヴォルカは接近してくるエンジン音に気づいた。
「旅賊か!」
窓の外に身を乗り出し、後方を確認する。
夜はすでに明けていた。太陽が顔を出し、低い位置から強烈な日差しが砂漠を照らしていた。眩しすぎる太陽が後方にあった。
近づいてくるものの正体がわからない。だが小型の車両だというのは、その高いエンジン音からわかった。
だとすると、旅賊に違いない。
「くそ、こんなときに……」
「姐さぁん!」
すると、レリオの怯えた叫び声。
何事かと振り返ると、レリオの座る反対側の窓の外から入ってこようとする男がいた。それは、脱出してきた町にいた男に違いなかった。トラックの後部に張り付いていたのだ。それに気づかず発進した。
驚くべきことに、男は走行中にトラックの側面を移動して運転台にまでたどり着いたようだ。その顔には表情がなく、口を開けても言葉が出ない。四肢は頑丈で、人間の筋肉ではとても発揮できないような瞬発力を見せた。
レリオに重症を負わせたのが彼らだった。
それは数時間前のことだった。ダヴォルカが三台のトラックからなるキャラバンを率いて、ある豪族の町へとたどりついたときのことだった。
そこは砂漠のなかでも遠くの山から地下を通って流れてくる湧き水があり、農耕さえきちんとしていれば豊かに暮らしていける町だった。しかし、そのために他の豪族から絶えず狙われていた。強力な警備軍を有することで、安定した生活を享受していた。
そんな町だから商売も思うようにいくだろうと思ったのだ。
ところが様子が異常であった。
町には人が大勢いた。が、その人たちは日常を送っているようには見えなかった。普通なら町に入ると警備軍の兵士か士官がやってきて豪族の頭目に取り次ぐのだが、ダヴォルカたちに群がってきたのは、まるで秩序のない群衆であり、それらがいっせいに集まってきたのだ。それも人間とは思えないほどの速さで。
たちまちトラックと護衛の小型車両が取り囲まれた。
「うわっ、なんだ、おまえら!」
護衛車両に乗っていた用心棒が引きずりだされ、咬みつかれている。拳銃を発砲するが、まったく動じない。
血が噴き出ているのを見て、ダヴォルカは仲間の名前を叫ぶが、救けるどころではない。
「この野郎!」
運転席のレリオが護身用にダッシュボードに置いてあった拳銃を取り上げて銃口を向けようとしたときだった。運転席からつき出した腕に咬みつかれた。それも二人がかかりで。いつの間にかトラックの高い位置にあるドアに昇ってきていたのだ。
助手席のダヴォルカは、すかさず脇に置いてあったサブマシンガンをかまえる。安全装置を慣れた手つきで解除すると、異様な目つきでレリオに咬みつく男に向けて引き金を絞った。九ミリの拳銃弾が連射される。二人の男は血飛沫を上げてトラックのドアから転げ落ちていく。
「レリオ! だいじょうぶか!」
ダヴォルカは叫んだ。
「ちくしょう! 手を食いちぎられた!」
拳銃を握っていたはずの手首から先がなくなっていた。血がものすごい勢いで噴き出している。顔面は蒼白になり、痛みに顔がひき歪んだ。
ダヴォルカはダッシュボードから
その間にもトラックの外では、大勢の人間がダヴォルカたちを引きずり出そうと取りついてくる。
「あたいと運転を代わって! すぐにこの町を脱出するのよ」
レリオはすぐに後部座席に移った。空いた運転席に滑り込むダヴォルカ。
高さ二メートル半はある運転台にまで跳びあがってくる人間離れした体力を持つ男たちをサブマシンガンで駆逐しつつトラックを発進させる。
他の二台のトラックを見ると、運転台のフロントウィンドウは飛び散った血で赤くなっており、すでに救けることはかなわないと思えた。
「なんてこと!」
この町にいったいなにが起こったのかまったくわからない。凶暴な男たちは始めからこうではなかったはずである。なぜこのようなことになっているのか、ダヴォルカは混乱した。
原因などわかるはずもない。この世界には理解できない不条理であふれかえっているのだ。いくら理不尽であっても、それが現実であり、それを甘んじて受け止めざるをえない。
狂気の町を、たった一台のトラックで脱出したダヴォルカは、隣の町に向かった。レリオを治療してあげなければならない。医療技術もすっかり後退してしまっているいま、まともな治療など望むべくもないが、このままでは感染症を発症してしまうかもしれない。
一瞬にしてキャラバンの仲間たちを失ってしまった。これ以上、仲間を失ってしまいたくなかった。
それなのに──。
運転席にまで到達した男の体力は尋常ではなかった。左右にステアリングを切るも、まったく動じない。普通なら振り落とされているところだ。
サブマシンガンは運転している間に足元に落ちていた。拾っている余裕がない。
しかも脅威はそれだけではない。旅賊の小型車両が追いかけてきているのだ。こちらにも対応しなくてはならないが、護衛車両はもういない。となれば、ダヴォルカが応戦しなくてはならない。右手のないレリオでは役に立たない。
(せめてあと半日早く隣の町にたどり着くことさえできていたなら……)
そう思ったが、町は前方にまだ見えず、絶望的に遠かった。他者の力を頼ることはできない。ダヴォルカは、いま独りだった。
「なんとか振り落とさないと」
さもなければ、このままではいずれ車内に侵入されてしまう。その男の力はダヴォルカの常識をこえている。
男を振り落とそうと蛇行しているうちにも、小型車両の接近する、甲高いエンジン音が大きくなってきていた。運転席側から猛スピードで追いついてくる小型車両がサイドミラーに映っていた。
小型車両に乗っているのは一人だった。その男が運転しながら自動小銃を右手でかまえている。
銃声が一発。単発モードで放たれた銃弾は、トラックの外に取りついていた男の頭部に命中した。振動する車上で、その狙いは驚くべき正確さであった。
トラックから男が落下する。地面に跳ねて、あっという間に後方へと去っていく狂人にむけて、小型車両の男は手榴弾を転がした。
後方の離れたところで爆発する手榴弾は、狂人の体をバラバラの肉片にしてしまった。
その行為は、ダヴォルカに、彼の残虐性を印象づけた。
抵抗はムダだ、あきらめろ──ということであろう。
しかし、レリオに治療を受けさせてあげたい。ここでトラックを失ってしまうわけにはいかない。
──交渉するか?
幸い、旅賊は一人のようだ。たった一人でキャラバンを襲うなんて成功率が悪くなるのも甚だしいが、交渉するなら、相手が一人であるほうがよかった。
ダヴォルカはアクセルからブレーキに足を踏みかえた。
トラックが停止する。
「レリオ、ちょっと待っていて」
ダヴォルカは後部座席を振り返った。
「レリオ……?」
レリオの様子がおかしい。
さっきまで苦痛に顔を歪めていたのに、いまはまったく表情がなくなっている。かといって、眠ってしまったわけでもなかった。
その目はなにも見ていないかのように焦点が合っていない。
「どうしたっていうの、レリオ。きゃあ!」
いきなり咬みつこうとした。ダヴォルカは手でレリオの頭を押さえつける。
レリオの口からは、
「ぐうぅ、ぐうぅ」
という、言葉にならない声が出ている。その様子は、まるでさっき撃たれて落ちていった男のようだった。
そこへもう一発、銃声が響いた。同時に血飛沫が運転席を染めた。レリオの頭部ががくりと傾く。
なにが起こったのかダヴォルカは悟った。
「レリオ!」
ダヴォルカが叫ぶ。が、次の瞬間、その目が見開らかれる。
「ぐうぅ!」
レリオは側頭部の銃創から血を噴き出しながらも、まったくかまわず、歯をむき出してダヴォルカに飛びかかろうとしたのだ。
さらに銃声。再び撃たれたレリオが衝撃で倒れる。
「トラックを降りろ!」
怒声が聞こえた。その声は小型車両の男から発せられていた。
ほとんど反射的に、ダヴォルカはトラックのドアを蹴るようにして開け、高い運転台から転がり出た。
振り返ると、レリオがトラックから飛び降りてきた。
信じられなかった。頭を二発も撃たれ、普通の人間なら動けないはずであった。
「伏せろ、ダヴォルカ!」
すぐそばに襲撃してきた小型車両が停止していた。車上に立ち上がった男はライフルからショットガンに得物を持ち替えていた。
かまえたショットガンが火を噴く。
同時にレリオの頭が跡形もなく吹き飛んだ。
頭部を失ったレリオは、今度こそその場に倒れ、動かなくなった。血だまりが乾いた地面に広がっていく。
「ニックス……」
ダヴォルカを知っていた、その男の名前をつぶやいた。
「怪我はないか? 病嵐のウイルスが変異したのが、いまの症状だ……」
ショットガンを置き、その男は言った。
「ありがとう……。だいじょうぶよ……」
ダヴォルカは立ち上がる。服についた砂を払うのも忘れて、茫然とした。
「各地であんな症状が出ている。傷口からウイルスが侵入すると、あっという間に狂人になる。しかも脳が侵されているから、身体能力の限界を越えた運動能力を発揮する。おそらく病嵐ウイルスは、毒性が強くて女を死滅させてしまったためにそれ以上の拡散ができなかったから、今度は別の特性を獲得して広がろうと進化したのだろうな。だからおそろしくしぶとい。動けなくなるまで体を破壊しなければならない」
最後に会ってから二年以上がたっていたが間違いなかった。その体から放つ野性的なオーラは隠しようがない。機械のように正確な射撃の腕も。
ただ、寡黙だったその印象との違いにダヴォルカは戸惑う。それにしゃべった内容も驚きであった。どこでそんな知識を仕入れたのだろう……。
「ニックス……なんでしょう?」
「久しぶりだな、ダヴォルカ。また会うとは思わなかったな」
しかし笑顔を見せないのは相変わらずだ。それでも、以前なら入る隙間さえなかった心にわずかに柔らかさを感じた。
「あたいを憶えてくれていたのね……」
人当たりの変わったニックスが、これまでどこでどんな境遇にあったのかすごく知りたくなった。いまわかるのは、現在、過去そうだったように、一匹狼の旅賊となって生きているということだけだ。
「こいつは、このキャラバンの仲間か?」
レリオだった無残な死体を見て、ニックスは訊いた。
「レリオよ。いいやつだったんだ……」
ダヴォルカは彼の死を惜しんだ。だが涙は流れない。あまりにも多くの人の死を見すぎてしまっていた。心が乾いてしまって悲しみも感じられない。
ニックスもそうなのかもしれないと、ダヴォルカはずっと思っていた。感情に左右されない。それがニックスの強さなのかも、と。
「あたいがキャラバンのリーダーよ」
「そうか。他には誰もいないようだが」
うん、とダヴォルカはうなずく。苦労して作り上げたキャラバンは全滅してしまった。
「みんな死んでしまったわ」
「フェルナンドは?」
「フェルナンドも死んだわ。銃創が悪化して」
「そうか……。それはつきがなかったな。つきのないついでに積み荷はもらっていく」
無感情に、ついさっき人殺しをしたとは思えないほど落ち着いた声でニックスは言った。
「あたいを救けてくれた……のではないようね?」
脅威だと感じれば排除する。それがニックスの行動原理だ。それは変わっていない。ダヴォルカに武器を向けたりしないのは脅威を感じていないからなのだろう。殺気を発していれば無警告で発砲したはずだ。
「ねぇ、ニックス……。あたい、あんたといっしょにいたい。連れていってちょうだい」
ニックスは他人を誰も信じない。一人で生き、生き残ってきた。他人は脅威でしかない──この混沌とした世界にあって、それはある意味、理にかなった考え方だ。
それなのにそう言ってしまった。
これまで何度かニックスと出会ったのは偶然だとは思えなかった。
ダヴォルカももう小娘ではない。こんな過酷な男だけの世界で、女として生きていく術を身につけてきていた。
「あたいはあんたを信用できると思っている。それに、あたいは人間じゃない。女よ」
ダヴォルカについてきた男たちは、みんなそれが目的だった。豪族や他のキャラバンにはない付加価値だといえる。作り上げたキャラバンの男たちも懐柔した。
ダヴォルカは衣服の胸元を大きく開けた。
「あんたの知る〝人間〟とは、違うでしょ?」
唐突な気はしなかった。もっとずっと以前から、心の底で思っていたことだった。隠すことなく正直に、心のうちを口に出したのだ。
こんな時代に女だてらにキャラバンを率い大きくしたのに、一瞬で消えてしまった。自分にはもうなにも残っていない。
今日、ここで再会したのは偶然ではないだろう。そして近づけば怪我をする刃物のような鋭さは消えていないが、それだけでないものを、いまのニックスには感じる。
「ニックス──」
ダヴォルカは呼びかける。化粧をしていない日焼けした顔はけして若くは見えなかったが、それでも女である価値が消えてなくなっているわけではなかった。
「あんたについて行くよ。なにがあっても」
死神と言われたが、そうではない。──ニックスは、死神じゃない。
何者にもなびかない男だったが、それでいい。
ニックスが口を開いた。そして言った。ほんの少し、ニヤリと口を歪ませて。
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