第64話 夢の海
ただひたすら、僕は見つめていた。
その透き通った青を、はじける白いしぶきを、太陽に輝く水面を。
そう、僕は、海に来ている。
「久しぶりに来たー!」
「風が冷たいね」
ヒオと祐介くんはテンション高く走り出している。
「こら、二人ともあんまり先に行くなよ」
「濡れたら風邪引くぞー」
則正さんと幸也さんは、マイペースに歩く僕にそっと寄り添ってくれていた。
初めて見る、海。
僕は「海」を名に持つというのに、本物の海を見るのは初めてだった。
いつか海を見に行こう、とヒオと約束したのはいつだったか。
あれから本当にいろんなことがあって、ヒオは特にものすごく苦しいことを乗り越えて、その中で僕もきっかけはどうあれ外に出ることができるようになって。
正式にヒオの退院が決まり、ドタバタしながらその日を迎え家に着いた瞬間、
「なあ、海に行こうぜ」
そんなヒオの一言により、僕たちは急遽冬の海に来たのだった。
「カイ、寒くないか?」
取れかけのマフラーを巻きなおしながら幸也さんが問いかけてくれる。
「…大丈夫です!」
正直、寒さどころではない。
ただただ海の存在に圧倒されていて、ほかの感覚がマヒしているようだ。
そんな僕に気づいているのかいないのか、幸也さんは微笑んで僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
風が冷たい。
普段僕たちが暮らしている世界ではありえないような光景が、目の前には広がっている。
初めて聴く波の音。
身体中で感じる汐の香り。
そうか、これが海か。
そしてこれが、僕の名前なのか。
ぼんやりと、それでもこの景色に魅入られている僕の様子を察してか、皆がそっとしておいてくれる。
あれやこれやと構われることはないけれど、確実に見守られている安心感が僕を包んでいる。
「…カイ、」
いつの間にかそばにはヒオがいた。
「…すごいね、海」
なんとか絞り出したにしては貧相な感想だったけれど、ヒオには伝わったみたいだ。
「デカいよな、ほんとに。オレも、海見るの今日で二回目なんだ。前はたぶん、昔々
に家族で来た」
ヒオの口から出た家族という言葉に驚く。
それはヒオにとって忘れたい過去で、実際忘れることで自分を保ってきたのだ。
それなのに、今改めて口に出せるほどまでに、ヒオは強くなって帰ってきた。
「だからこそ、どうしてもカイと見たかった。こんなキレイででかくて、わけわかんないくらいにすごいモノ、しょうもない家族とじゃなく、今の家族と見たかったんだ」
止まらない波の音が心地いい。
それを見ているヒオの顔が穏やかで、海をみてそわそわしていた僕の気持ちも落ち着いてきた。
「ありがと、ヒオ。僕を連れてきてくれて」
「実際連れてきてくれたのは川上さんだけどな。厳密には」
急な願いにも関わらず、川上さんは嫌がりもせず車を出してくれた。
川上さんも、僕たちの家族だ。
優しくて、ほんのちょっとだけ口うるさい、親戚のおじさんみたいな。
「今となっては思うんだ。これまであったいろんなこと、家族にいろいろされて過去の記憶を吹っ飛ばして、ぶっ倒れて思い出しておかしくなって。そんなこと全部ひっくるめて、今日のためなんじゃないかな、って」
やわらかな口調で話すヒオ。その目はゆるぎない未来を見つめている。
「ヒオ…」
「こんなに大好きな皆と同じ夢を持って歩いて行けるなんて、あの頃のオレなら信じられないだろうな。幸せな未来のことしか思い描けないなんて、なんて幸せ者なんだろう」
「僕も思うよ。ヒオが帰ってきて、皆で海を見に来れて。幸せってこういうことを言うんだと思う」
少し離れたところを歩くほかの皆を見つめる。
頼りがいがある則正さん、優しく包んでくれる幸也さん、ムードメーカーの祐介くん。
僕たちにとって、なくてはならない大切な人たち。
「もし運命の赤い糸ってやつがここにつながっていたのなら、これまで大嫌いだった緋緒って名前も、好きになれる気がするんだ」
ずっと思っていた。
ヒオに、「緋緒」という名前を好きになってほしいって。
そしてヒオは、自分でちゃんと答えを見つけて僕たちのところに帰ってきた。
「僕も、緋緒って名前、好きだよ」
「ありがと」
なんとなく手をつなぎたくなって、そっとヒオの左手を取ってみる。
僕の思いを分かったみたいに握り返してくれたその手は、手袋もなくて冷えてしまっているはずなのにそれでも十分あたたかく感じた。
「おーい、二人ともー。そろそろ行くぞー」
則正さんの声がして、皆の方を見る。
ヒオを話している間、静かに待っていてくれたようだ。
「よし、行くか」
「うん!」
微笑みながら僕たちの方を見ている皆のところへ、手をつないだまま走り出した。
きっと明日も僕たちは皆で笑いあえる。
そんな確信を胸に。
heavenly マフユフミ @winterday
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