第2話 知らない外

 イョーン、イョーン。


 擬音で例えるならこんな感じの鳴き声だろうか。


 海面に反射し煌めく日光を時折遮るように、その鳥たちは俺の現在いる場所と並行するように滑空している。


 海上で見る鳥といえば、やはりウミネコやカモメが鉄板だと思う。しかしどうにも俺の記憶の中にあるそれらの鳥とは見た目が異なる。白い体ではあるが、遠目に見ても目立つ青い一本線が、顎下から臀部にかけて真っすぐ伸びている。海沿いの町で育っている俺でも見たことがない。


 いや、今はそんなものを観察している場合じゃない。


 少し冷静になろうと他のことを考えてみたが、そのまま帰ってこられなくなるところだった。


 今ある情報から推察すると、俺は今何かしらの船の中にいるんだ。山のように積まれた箱や物品からして、輸送船か何かだろうか?


 でも、なんで?


 当然まず先に浮かぶ疑問がそれだった。


 こんな海のど真ん中(かどうかは定かではないけど)を走っている船に、神社にいたはずの俺がどうやって乗った——いや乗せられたのか。


 というか、あれからどれだけ経ったんだ?


 俺はポケットからスマホを取り出し、画面をつけてみる。良かった、まだバッテリーも残ってるし壊れてもいないみたいだ。場合によっては落ちた時の衝撃でお釈迦になっていた、なんて可能性もあるし。


 立ち上がったロック画面の日時を確認する。


 七月二日 零時十九分。


「…………え」


 ——零時?


 俺が巡莉たちと話し始めたのが七時くらいで、そこから穴に落とされるまで精々数十分であることを考えれば、あれから約三時間。


 たったの、三時間しか経っていない。


 なのに。


「なんで……真昼なんだ……⁉」


 それだけではない。たったそれだけの時間のうちに、俺は船の上に乗せられ、こうして海原を航海しているということになる。


 今の時間で太陽がこれだけ照り付けているという時点で、ここは日本ではないことがわかる。そしてこの短時間でこのような状況に置かれるほどの何かが、俺の身に起きたということになるが……。


「誘拐、とか? いや、ただの中学生をあの場から拉致する意味がないだろ……」


 とりあえず思いついた最もありそうな可能性ではあるが、それでもかなり薄い気がする。俺を連れ去り、飛行機か何かに乗せて船まで運び、そこから拘束も無く床に放置。


「やっぱり違うよなぁ……」


 しかし他にこんな状況になるような流れもまた、想像出来そうに無かった。


 ありがたいことに今は体が自由だ。まずはどこかに連絡することはできないだろうか。


 連絡といえば当然スマートフォン。俺は再びスマホを付けロックを解除し、ホーム画面を確認する。電波は——入っているわけないよな。ここ海の上だし。


 そもそも日本の外であることを仮定すればその時点で繋がらないはずだ。もしかしたら海外で使う方法もあるのかもしれないが、日本から出たことのない俺にはその辺りのあれこれはさっぱりだった。


 電池残量は六十九パーセント。今やただのデジタル時計とライト、そして強いて言うならメモ帳程度の役割しかないこのスマホではあるが、それでも外界と繋がるかもしれない唯一の手段。可能な限り消費電力を抑えるため、とりあえず『電池消費低減モード』に切り替えておく。


 スマホはこのままにしておくとして。


 他に俺が今持っているものといえば、財布と有線イヤホンだけだ。そうか、一応スマホは音楽プレイヤーとしても使えるのか。


 もちろん今はそんなことに使うつもりはないけど。何とか落ち着いている——或いはそう思い込んでいる状態だが、やはりどこか落ち着かない心持がちらついている。音楽など聴く精神的余裕は、恐らくない。


 さて、これからどうしたものだろうか。


 この室内には俺以外の人間の気配は感じない。積み上げられた積荷のようなものたちのせいで全体をまだ把握できていないし、軽く見て回ったほうがいいだろうか。


「……よし、せめてこの部屋の中だけでも確認しとこう」


 俺のいる場所はちょうどその空間の角であり、後ろと右に壁がある状態だ。その壁に上下にスライドする構造の窓がある。試しに開いている窓を下ろそうとしてみたが、ビクともしない。かなり厚みもあるし、よほど頑丈な造りなのだろうか。閉める理由もないしこのままにしておこう。


 そういえばこの辺りだけ広めに場所が取られている。窓を塞がないためにここ周辺は空間が確保されているのかもしれない。


 俺の身長よりもやや高い位置まで箱が積まれており、なんだか木箱を並べて造った迷路みたいだった。


 それらの隙間を縫うように、壁とは反対に進んでいく。他にもいくつか窓があるのだろう、進んでいってもすぐに光の差し込む地点に至る。この感じだと結構な奥行きがある部屋っぽいな。


 輸送船という仮定が正しいのなら、ここが貨物用倉庫のような場所であり、ともすれば奥行きがある造りなのも納得できる。


 そうしてしばらく進むと、扉が目の前に現れた。


「あ……もしかして、こっから外に出られるのかな」


 これまた木製の、レバー式?のノブが付いた扉へと近づき、息を潜めつつ耳を当てる。この先は船の上に出るのだろうか。それともどこか室内に繋がってるのか?


 特に向こう側からの音は聞こえてこない。どこからか届く海鳥の鳴き声と、揺れで時折木が軋む音だけが僅かに響いているのみだ。


 ドアノブを握り、しばし逡巡する。


 外に出るべきだろうか。誰がなんの目的で俺をこの場に置いたのかわからない。もしかするとこの船の人間ではない部外者がやった可能性だってある。そうなれば俺は完全にただの侵入者扱いされることだって、無くはない。


 そんな状況で誰かに見つかったら、最悪海に投げ捨てられるなんてことも……。


 いや、さすがにそれは考えすぎか。


 まずは事情を聴かれたりするくらいなものだろう。子供の俺なら猶更投げ捨てられるまではいかないはずだ……多分。


「あれ、そもそも色々聴かれるとして、それは日本語なのか……?」


 そう。どう考えても日本じゃなさそうなこの場所で、日本語で話せる人間がいるかがまず怪しい。もし言葉が通じなければかなりややこしいことになる。


(俺、英語はからっきしなんだよ……)


 それ以前に、英語さえ通じないことだって十分あり得る。考えれば考えるほど、いくつもの不安要素が浮かんでくる。


「くそ、マジでどうすれば……」


 ドアノブを握ったまま、そんな不安交じりな声を漏らした時だった。


 部屋全体、いや、おそらく船全体に鳴り響くほどの高音が耳をついた。


 ホイッスルのような、でもどこか縦笛のようにも聞こえる音。それが一定の間隔で断続的にな鳴らされている。


 短めの音、同じく短めの音、そして長めの音。このパターンを繰り返している。


「な、なんだ……⁉」


 その音を合図にか、あちこちから忙しなさそうな足音、そして話し声のようなものが聞こえ始めた。おそらく、汽笛か何かを鳴らしていたのかもしれない、


 ここで目が覚めて初めての人の声や気配を感じ、ちょっとした嬉しさと大きな焦りを同時に感じた。


 男性のような声だということだけはわかったが、壁越しなのもあり何を話しているのかは全く聞き取れなかった。


 尚も耳をそばだたせていると、こちらに駆け足で向かってくる足音があった。


(や、やばい……! こっちに来てる!)


 なんとなくだが、それらの足音がこの部屋の方面を目指していることを直感した。外がどうなっているかわからないため何とも言えないが、ここと似たような倉庫が複数あり、それらがこの辺り一帯にまとまっているとすれば、各部屋に人が向かっていると考えられる。どちらにせよ俺がいまこの部屋を出れば間違いなく誰かと鉢合わせる。


 俺は忍び足になりながら、元居た窓際へと急いで戻った。『彼ら』がもしこの部屋の荷物を運び出す、或いは部屋の巡回や点検などでやってくるのだとしたら、俺が見つかるのは時間の問題だ。


 であるならば、何とかしてここから出なければならない。


 箱の上に登って、隙を見て向こう側に降りて扉の向こうへ行けば……。


 だめだ。さっき鉢合わせるリスクを考えたばかりじゃないか。


 ならどれかの箱に身を潜めて外まで運んで貰って、タイミングを見計らって這い出るのは……。


 周囲の箱をぐるりと見回してみたが、明らかに頑丈に梱包や施錠をされている。とても入れるような状態ではいない。


 そんなことを考えているうちに、扉が開かれる音を遠くに聞いた。


 まずい、いよいよ時間がない……!


 何かないかと再度周囲を見てみる。外に出るには。外。外……。


 ふと、例の窓が目に入った。


 俺は静かに窓に近づくと、軽くつま先立ちになり下を見てみた。


(あ、下は海じゃないのか……!)


 思っていた以上に動揺していたこと、そして鳥が飛んでいるという光景からか、俺は下が海だとばかり思いこんでいた。


 ここから見る限り、どうやら船の通路になっているらしく高さも目算で四メートルほど。ぶら下がって体を伸ばし、その状態から降りれば怪我なく着地できるはず。


 これしかない。俺は下を確認し、通路の左右の端まで確認する。人影はなし。


「ふう、よし」


 窓はちょうど俺が通れるほどの大きさだったため、難なく通ることができそうだった。まずは片足をかけて窓枠に乗り、両手でしっかりと枠を掴んだまま外側にぶら下がった。ここまでは順調だ。


 その時、船が左に大きく旋回するのを感じた。大型船であるため振り落とされることはないが、気分は車に吊るされた人形のようだった。


 そして船の進行方向に、少しずつ何かが映り込んできた。


 あれは……。


「町……か? いや、港だ……!」


 方角が変わったことで露わになったのは数百メートルほど先にある港、そしてその更に先に広がる町だった。


 小さく見える色とりどりの屋根、そして奥の山に沿って連なる何かしらの建物たち。これだけ遠くからでもその街並みから、なんとなく賑やかな雰囲気が伝わってくる気がする。


「す、すげぇ……」


 まるで絵葉書の一枚絵を思わせるような景色に、思わず声が漏れる。


 と、見惚れてる場合じゃない。とりあえず下りないと。


 俺は体を目いっぱい伸ばすと、足元に全神経を傾注しながら手を離した。


 接地と同時膝を深く曲げ、ぴたりと止まる。衝撃こそあったものの大きな痛みもなく無事着地に成功することができた。


 子猫を助けたときの木に比べたら、なんてことないよな。


 俺は改めて周囲を確認する。おそらくこの船はあの港町に向かうはずだ。であれば、それまでどこかに隠れてやり過ごせば、着港後に町に降り立てる。


 よし、これで行こう。


「さあて、こっからどこに向かおうか……」


 俺は青空を仰ぎながら小さく深呼吸し覚悟を決めると、隠れる場所を探すべく動き出した。

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Zeroth Dimension 尾伎獅子之進 @2416Clown

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