第60話 退魔士クレイドと殺しても死なない男

 第四主都での事件から二日が経過した。第一主都には第四主都の顛末など一切の情報が入ってこないため、全ての市民がいつも通りのささやかな日常を送っていた。

 人工知能の暴走もレムレス・ヴォイドの慟哭も第四主都の惨状も、まるで無かったことのようになっている。眞紅はゆっくり進む歩道の上で物思いに耽っていた。

 指定の時間まではまだある、とシャトルラインにも乗らずやたら目立つ黒い建物を行き過ぎる。今日は悪の組織・退魔省ではなくネーレイスタワー内部に存在する監査部に向かっていた。


 報告書の提出などQUQで済むことだが、恐らくあの会議時点で色々と把握していたマクレランドの顔を見て文句でも言おうかと考え直接持っていくと宣言してしまったことを、彼は今非常に悔いていた。

 この青い制服がタワーに近づく度、電脳庁の人間や黒い制服の監査官が生暖かいまなざしを向けてくる。監査部に行く退魔士は、ほとんどがやらかして呼び出された奴しかいないからだ。誰が好き好んで自分達の粗探しをするのが仕事である連中の総本山に遊びに行くというのか。


 自分である。はいはい俺です。


 いっそ開き直って楽しくなってきた眞紅は、タワーの前に見覚えのある赤い頭が見えてやさぐれるのを止めた。

「クレイドじゃん、どうした?」

「マクレランドから、エクレールが乗り込んでくるからお前もどうだと」

「……二対一でも勝つつもりがあるってのはよく分かった」

「監査官相手に戦おうと考えるのすら間違っている。以前会った監査官は遠隔ギフトで対象を一時的に子供の姿にしたんだが、そいつはギフトも使えずグレーダーも持ち上げられなくなっていた。対人最強公務員集団の名は伊達ではないと思う」

「抗おうという気も失せるわそんなん……。いや元々喧嘩する気もないけどさ」


 タワーの入り口に向けて歩いているだけに見えて、何重ものセンサーが二人を検査している。そのどれもが許可を出しても、ここには有人の受付と更に厳重な検査が待っている。

「ならどうしてわざわざ?」

 レイオール屈指の面倒な施設への入場など余程の事がないと行かないだろう、と彼は聞いてきている。

「気になることが二つほど。お前もそうだろ?」

 そんな場所にクレイドも来ている。眞紅は彼にも余程のことが、それも先日の件に関連することがあるのだろうと考えていた。それはどうやら当たっていた。

「俺は一つだけ」

「じゃあ乗り込もう」


 ネーレイスタワー内の一般開放された観光フロアを抜け、受付に辿り着く。十分ほどの各種検査を受けてから、二人はまた専用エレベーター前で合流した。

「チェック項目が増えていたな」

「分からん。俺は優等生だったからそんな何回も来たことないよ」

「……そうか……」

「……うん、お前はよく来てそうだな……」

 笑いを噛み殺している間にエレベーターは第三機動隊専用フロアに到着した。湾曲する廊下を抜けて、寄り道せずに主任室へと直行した。扉は開かれていて、一応招く気はあるのだと感じられる。眞紅はわざと大きめにノックをした。

「失礼します」


 マクレランドはモニターから目を逸らすことなく、手で入れと合図してきた。二人が遠慮なく足を踏み入れると、扉は自動で閉まった。

「ではまず報告書を」

 そう言いながら眞紅は主任デスクの前にある機器にQUQをかざす。続いてクレイドもそうすると、マクレランドではなくネーレイスが確認したようで、二人のQUQに直接『受理完了』と表示された。

「二つほど質問しても?」

「俺の時間に値すると思うなら、いいぞ」

 そこでやっとマクレランドは顔を上げて二人を見た。二人が何を言っても自分には関係無いというような冷淡さと、それを隠さない不遜な笑みを向けられ、眞紅はやりづらい、と話す前から疲れだした。


「最悪な圧のかけ方してくるじゃん……。まず一つ。ペーレイラへの処分って下った?」

「あぁ。ペーレイラに仮設定されていた疑似人格は消去された。次に会う時は記録だけ持った違う女だ。もう毒なんぞ飲ませておきながらご高説を垂れることもない。あちらが好みだったとしたら……ご愁傷さまだな」

 簡単に言ってくれるな、と思っても薄々予想のついていたことだからと眞紅は黙ることにした。

 レムレスと何が違うんだか、などとつついても、この男には一切通じないのだろう。仕方なく眞紅は次の質問をすることにした。


「監査官がついていたのはストライじゃなくて俺達二人では?」


 マクレランドは愉快そうに目を細めた。一応凄んでいたつもりの眞紅は、これは通用しないな、と返事を待った。

「俺も同じ疑問を持った。あまりにもあの事件を解決するために必要なギフトを持った人員が揃っていた。それも俺達をサポートする形で、だ。逆に俺達は俺達でなくてもいい。ヴォイドを倒せる一級執行官と隊長を務められるものであれば」

 やはりクレイドも気がついていたのか、と眞紅はどこか安心した。

「あぁ、合格だ。脳圧縮にはまだ早いな」

 眞紅は思わず全力の不満と呆れを顔に出したが、それはクレイドも同じようだった。あのマクレランドが少し眉を下げて苦笑いを浮かべた。だがそれも一瞬のことだった。


「二人して露骨だな。考えてみろ、連携も出来ない名ばかりの最強執行官と理論上不死でありながら最弱の執行官、いたら役に立つが……いなくとも世界は回る。

 監査部はお前達の有用性を示せなかったが、ネーレイス達の計算ではお前達の貢献度はこの事件をきっかけに爆上がりすると言うからな。ならば自分達は必要だと証を立てるのが早いだろうと今回の件を丸投げたというわけだ、納得しろ」

「せめて尋ねてくれ」

 感情を介さない政治を好んでおきながら、感情や人間性を思考や政策と完全に切り離したこの男は苦手だ。眞紅は素直にそう思った。やはり自分はこの国と付き合うには面倒で煩雑で不完全な、人間だ。


「……ずっと自分が一等市民の理由が分からなかったんだが……まさかここまでの先行投資だったとは」

 クレイドのため息に話題が一段落したと見て、主任は「もうないな?」と尋ねてきた。

「俺は。クレイドは?」

 クレイドが首を振ったのとほぼ同時に、二人の後ろで扉が開いた。とっとと出ていけ、というマクレランドの強い思いをしかと受け取った眞紅は、ちょっと居座りたい気分にもなった。それを見抜いたのか、主任は視線に若干の殺意を滲ませてきた。

「……恋人との約束があるんだが。いや待て、のろけでも聞いてくれるのか?」

 マクレランドの目が真剣マジになったのを見て、眞紅は勢いよく回れ右をした。


「さようならマクレランド主任!!!!!これで失礼します!!!!」

「ネーレイス扉を閉めろ!!」

「ネーレイスやめて!!!!全身全霊で社会に貢献いたしますから!!!!!」

 マクレランドと眞紅の怒号に苦い顔をしながら、クレイドは悠々と歩いて部屋を出て行った。扉は閉まったりしない。眞紅は慌ててクレイドに続いてその場から逃げ出した。足早に来た道を戻ってエレベーターに辿り着く。

「国の中枢の人工知能を何だと思っているんだ……」

 クレイドのぼやきに、確かに今二人ともお手伝いロボットへの命令のノリだったと気がついた。主任レベルならともかく自分もこのノリはいいのだろうか、とも思ったが、そこで相手が不敬だの不快だのを理由に処罰をしてこない機械だと思うと、まぁいいかと結論付けた。

 機械と人間の距離などそれくらいがちょうどいいのだ、と眞紅は自分を甘やかすことにした。


 タワーの外に出た眞紅は緊張が解けたのか大きく伸びをした。そして遥か上にまで続く電波塔を真下から見上げた。

「子供の頃宇宙に行ってみたかったんだよな。先史時代にはロケットってやつもあったらしいけど、今はまだそんな余裕ある国ないからなぁ。祈りくらいしか天には届かないな」

 はは、と笑いかけた眞紅だが、突如何かを思いついたように手を叩いて唸った。

「はいはいはい!今思ったんだが、この世界が祈りが叶う世界なら、冥福を祈れば祈った分だけ死者は安らかに眠れるということになるのでは???」

 逆転の発想!とテンション高く申告すると、眞紅以上にクレイドが目を輝かせていた。


「天才か?」

「初めて言われた」

 クレイドは照れる眞紅の両肩を力強く掴んだ。

「天才か?」

「二度も……ありがとう」

 へへ、とわざとらしく鼻の下をこすると、クレイドは「はは」と口を開けて笑った。するとすぐさまに手を放してそっぽを向いた。意外と笑う奴だとは分かっていたが、声を出して笑ったのは初めて見たな、とも言えず、眞紅は一人で笑いを我慢するはめになった。

 笑ったことが恥ずかしいのか、それともこんなことで笑ったのが恥ずかしいのか分からないが、ともかくクレイドは眞紅に背を向けて、眉間の辺りを抑えている。

 そういえばそんなポーズをよくとっていたな、と眞紅がどこか遠い日のように感慨深さに浸っていると、顔を整え終えたのか、クレイドは眞紅に顔を向けた。

 相変わらずの造形美だが、今の方が断然良い顔をしている、と眞紅は思った。


「この前の返事を考えたんだ」


 クレイドは大真面目な表情をしているが、眞紅は「はぁ」と気の抜けた声と顔になってしまった。

「なんか告白とかしたっけ」

「レムレスになったらさくっと倒してくれ、と」

 眞紅は少し考えを巡らせて、第四主都から帰還する列車の上の話でそんなことも言ったな、と思い出した。そこまで真剣に考えるようなことでもなかった気もするが、クレイドにとっては何やら大事な話だったのだろう、と傾聴の意識を高めた。

「別に返事待ちじゃあないけど……聞かせてもらおうか」

 何故か偉そうな眞紅を気にも留めず、クレイドは空を指さした。


「もしお前が本当にレムレスになったら、俺が燃やして宇宙まで連れて行ってやる。殺しても死なないお前を殺しつくせるのは俺くらいな気がするから」


 ずっと俯いていて、人を死なせるばかりの自らを嫌悪し、その心の体現である炎を忌避した男が。

 クレイドが、青空を背景にぎこちなく微笑んでいる。


 眞紅はなんだか、一人では叶えられないような夢を見せてもらった気がして、嬉しくなって笑みがこぼれた。


「文字通りの殺し文句だな。じゃ、そん時は頼むわ」


                                 ──完──

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退魔士クレイドと殺しても死なない男 @eapuyama

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