第59話 眞紅・ダン・エクレール・2

 色々と思い出して、眞紅は肺に溜まっていた嫌な空気を思いっきり吐き出した。

「政府は孤児狩りに反対していた。でも市民の皆様は恐怖とパニックからせっせと俺達を殺して回ってた。だから俺は感情に流されて思考を放棄した、過ちを認められない普通の人間達、が大嫌いだった。

 だから……レイオールに来て感動したんだよ。

 機械による平等な統治、自らを律して管理さえ受け入れる人間に。問題は俺にあんまり適性が無いっぽいってことだった」


「適性……。あるように見えるが」

「そうでもない。いつも祈っていた。ともに教会や路上で暮らした大勢の兄弟達やシスターに、もう一度会えますように、と。ただ誰もレムレスにはならなかった。……愛が足りなかったのかな。俺の世界は狭くて乱雑で小汚いままだからな」

「ヴォイドになったら倒すのが楽そうだな」

 クレイドのブラックジョークに気を良くして、眞紅は笑った。


「言えてる、もしうっかり死んで起き上がったらさくっと倒してくれ。多分俺レムレスになってもくそ弱いと思うし。

 ……人はそれぞれ一つの世界だと俺は考えている。手を繋ぎ言葉を交わし心が通じ合ったその瞬間、互いの世界が互いの間で混ざり合い、皆が生きる大きな世界ってやつに還元される。そうやって個々の世界と大きな世界が融和して良き世界になっていく。でもレムレスは自分の世界で他人の世界を侵害しているから、共存は出来ない。

 人間同士だって侵害し合えばいつかは死ぬさ。殺されるかもな。

 レムレスもそうってだけ。願わくばそうはなりたくない。

 人でも、死んだとしても」


「お前、あいつらは機械みたいなもんだと言っているくせに、一番人間と対等な扱いをしているんだな」

「……そうかな?……そうかも。人情派なもので」

「言っただろ、適性があると。ここは人間の国だ。お前みたいなのがいないとな」

 クレイドは、こちらにまっすぐ柔らかい目を向けている。夕日の中二人きりで繊細な話をしているな、と実感した眞紅は、耳を少し赤くして照れ隠しのように笑った。


「なんか照れてきたし冷えてきた、俺は戻る」

「俺はもうしばらくここにいる」

「じゃあクレイド、また明日。おやすみ」

「……あぁ、また明日」

 眞紅は来た時よりも軽快に梯子を下りていけた。

 回復してきたのか、心が軽くなったのかはさておき、そうやって下に降りたロビーには、両膝を抱えてソファーに座るアミティエがいた。


「聞いちゃった」

 声をかけるより先に、俯いたままのアミティエが泣きそうな声で白状したものだから、眞紅はぷっと噴き出してしまった。それに腹が立ったのか、アミティエは少し顔を上げて、胡桃色の髪の合間から恨めしそうな涙目で恩師を睨んだ。

「別にいいよ。クレイドだって気にしない」

「じゃあいいや、やったぁ!」

 しおらしい雰囲気を一発で吹き飛ばし、アミティエはいつものニコニコとした顔になった。それにつられて眞紅が笑うと、今度は不機嫌そうに唇を尖らせる。

「なに笑ってんですか」

「お前がいてくれて嬉しいよ。お前みたいな退魔士が俺の世界には必要なんだ」

「今湾曲的に夢が叶いました」

 突然アミティエが晴れ晴れとした表情で意味の分からないことを宣言してきたために、眞紅は呆気にとられてしまった。


「今ぁ!?……そう……。なぁ、お前って夢が叶ったら次はどうする?新しい夢を見るのか?」

 アミティエはアミティエで、眞紅の話の飛躍に振り回されている。だが彼女はあまり気にせず、質問への答えをちゃんと考えた。

「あたしはそうですねぇ、別に夢って一回限りじゃないですし、同じ夢を何度も叶え続けますかね。そんで勝手にポップしてきた面白そうな夢を二つ目三つ目として抱えたり、部分部分挿げ替えたりして?みたいな感じかもです」

 眞紅はその答えに満足したのか、満足そうにしている。

 だが一方のアミティエは、彼に初めての儚さを感じ入ってしまった。眞紅の命や身体が風前の灯火の如き儚さを感じさせるのはいつものことだが、それでも心は強靱な大人だと把握しているからだ。


「俺もそうしよ。死にたくない、以外に面白そうな夢が罠にかかってたらお前にも見せてやるよ」

 アミティエが言葉を探しているうちに、眞紅は楽しげな言い回しで暗に口を塞いだ。

「つかそれって願いとかじゃなくないですか?しょぼくれたこと言ってんねぇ」

 仕方なく、アミティエは喧嘩を売った。遠回しの拒絶への不愉快さは少し流れていった。

「どうせ俺はつまんないし陰気なメガネだよ!」

「いやいや。隊長は陰気じゃなくて陰湿です」

「事実指摘罪で第四次世界大戦勃発させるぞ」

「望むところです。隊長ごとき指先一つで沈めてやりますよ!嫌だったらさっさと自室に戻り速やかに休息をとることですね!!!」

「うーむ勝てるビジョンが一つも無いな……おとなしく部屋に戻るわ」

「よろしい!送ってあげますね~」


 訓練生時代から幾度も繰り返したやりとりをしながら、アミティエは眞紅の背を押して彼の部屋へ歩いて行った。自分より少し高い黒い髪の根元に、まだ痛々しい傷が見えている。観察しているうちにそれは一つ消えた。こうやって無かったことになった傷がいくつもあるのかもしれない、と思うと、アミティエは偶然聞いてしまった色々な会話が今更ながら気になってきた。

「お前の『人よきざはしに成り果てよアセンション オブ メタトロン』っていいギフトだよな。名前がいい」

「きざはし、って階段のことですよね。正直ずぅっと意味分かんなかったんです」

 言外に今は分かる、という言い方に、眞紅はちゃんと気づいてやれていた。


「先史時代の神話とかの、人から天使になったメタトロンとかけている。お前もきっとそういうなんか凄いのになれるってことだろう。楽しみだな」

「前は地上と空、世界と世界の懸け橋になれるって意味だと思ってました」

「それもあるかもなぁ。お前が望むなら、なんにだってなれるよ」

 その恩師の笑顔を見て、彼が一番夢や願いや祈りを諦めている人なのだとアミティエは気づいてしまった。


 だから、望めば宇宙そらにだって行けるのだ、と私はこの人に証明し続けたい、彼女はそう思った。それが途方も無い願いだと理解していても、この心は止められなかった。


「新しい夢、一つ見つけました」

「どんなん?」

「内緒。でも言えるようになったら言ってあげます」

「楽しみにしておくよ」

 アミティエはもう、いなくなった人を記憶の隅へ押しのけて、忘れたふりをして生きる子供ではないのだ。いつかこの人をこの人が望む場所に連れていけるきざはしになりたいと願った。

 それをまだ口に出せない内は、この足で隣を歩こうと思った。


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