第35話 90分間の常連客

日曜日、かなえは外にいた。

そして突然、雨が降り出した。


「えっ、雨!?今日そんな予報じゃなかったはずなのに!!」


あいにく傘を持っていなかった。

傘を買おうと、コンビニを探した。


ふと、後ろを誰かが駆けて行く気配を感じ、慌てて振り返った。

雨降る街中を、ずぶ濡れで駆けて行く男の後ろ姿がそこにはあった。

男はスーパーのビニール袋を頭上に広げ、小走りでどこかへと走って行く。

ビニールで隠れているため、顔や年齢は推測できなかった。


「鋤柄さん……」


かなえは慌てて、男のあとを追った。

かなえは、なりふり構わず、ずぶ濡れだった。


「鋤柄さん!!」


「待って、鋤柄さん!!!」


あれはきっと、鋤柄さんだ。

ビニール袋を頭上に広げ走る姿は、わたしの想像していた通りだった。

鋤柄さんは、雨の日が好きで、特別な出逢いがあなたにも待っているはずと言ってくれた。

それが、“わたしにも見えますか?”の答えだった。


男は、小走りでどこかへと急ぐ。

頭上に広げたビニール袋からは雫が垂れ、男の手を伝っていく。

そんな男の姿を見ても、周囲は誰も声をかけない。

見て見ぬふりと言うより、はじめから見えていないようにも思える。


「鋤柄さん!待って、行かないで!!鋤柄直樹(仮)ーーー!!!」


かなえの声は届かないのか、男が立ち止まることはなく、振り向くこともなかった。

走って追いかけたが、角を曲がったところで男の姿は消えていた。

かなえは男の姿を見失ってしまった。


「鋤柄さーーん!!!」


ずぶ濡れのかなえは、大声で鋤柄の名を叫んだ。

しかし、誰ひとりとして、その声に足を止める者はいなかった。

“鋤柄直樹”は、“仮の名”だった……。


  ×  ×  ×


ラーメン屋『ことだま』で、大河原がノートを開き、“鋤園直子(仮)”からの“文字”を見つめている。

その手は酷く震えていた。


『見えないことは魅力のひとつ。でも、文字だけだったから逢いたいと思ったの?わたしは違うと信じたい。信じていれば、いつか姿が見えるものですか?鋤園直子(仮)』


「鋤園さん……。やっぱり、桃華さんは鋤園さんじゃない!!」


大河原は顔を歪めた。

かなえが書いた“文字”には、更に続きの“文字”が書かれていた。


『同感です。 鋤柄直樹(仮)』


「“鋤柄直樹(仮)”……!?誰だ、こいつは……!?」


ノートの隙間から、挟まれていた一枚のチラシが床に落ちた。

大河原はそれを拾い上げ、見つめた。


「ん?こちらも開店!?常連客になっちゃおう……。鋤柄直樹は、鋤園さんのなんなんだ!!!」


手に力が入った。

大河原は、『ことだま』を飛び出していった。


  ×  ×  ×


わたしは、幻を見ていたのか?

見た過ぎて、ついに見えてしまったのか?

それとも、もしかしたら鋤柄さんなんて、はじめからいない……!?

すべてわたしの妄想で……。

いや、そんなわけない!鋤柄さんは存在している!

その何よりの証拠はノートの“文字”だ!!

鋤柄さんは、この世界にいる。絶対にいる。



かなえは近くのコンビニで傘を買うと、まだ諦めがつかず、周辺をとぼとぼ、いや、うろうろ歩いた。

すると、やがて、かなえの前に一軒の店が現れた。

どうやらそれは、食べ放題らしかった。

店の戸には、のれんがかけられており、そこには『もととれ』とある。


『もととれ』?


店先を見ると、傘立てがある。

少しぼろい傘が一本立てられており、『ご自由にお借りください』とある。


ハッとして、慌ててかなえは、食べ放題の戸を開けた。

数人の男性客が色々なものを手に取り、黙々と食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。

奥の厨房では、店主らしき人物が作業している手が見える。

『もととれ』は、90分食べ放題の店だった。

そして言うまでもなく、ラーメン屋『ことだま』と、寿司屋『おあいそ』の系列店だった。


様々な料理が沢山陳列されていた。

品数は豊富で、何を手に取り食べようか迷うほどだ。

ラーメンが陳列されているすぐ近くに、寿司が陳列されていた。


ん?あれは……!?


甘エビが並ぶその近くに、一冊のノートが立てかけられており、ボールペンが添えられていた。

かなえは目を疑った。

しかし、それは間違いなくノートだった。

取り乱すとともに、迷うことなく、かなえはすぐさまノートを手に取り、開いた。


『この店もなかなか美味しい。ここにはラーメンも寿司もある。通いそうだ。 鋤柄』


「鋤柄さん!!!」


思わず大きな声が出てしまった。

そして、我に返り、辺りをきょろきょろした。

周囲は黙々と食事をしている。かなえのリアクションにも無反応だった。

かなえはノートの“鋤柄”の“文字”を、目に焼きつけるかのように見つめた。


かなえは、店内をさまよった。

しかし、ずぶ濡れのまま食事をする人物の姿は店内になかった。

ラーメンと寿司の両方をテーブルに乗せている人物もいなかった。


鋤柄さんは、一体どこへ……。

来たばかりなら、絶対に90分はこの店内にいるはずなのに!

どうして?ねぇ、一体どこにいるの?鋤柄さん!!

落ち着いて、冷静にまずは食事をしよう。

わたしは混乱し過ぎている。何も、すぐに鋤柄さんが消えるわけじゃない。


かなえは食事をしながら、冷静さを取り戻そうとした。

しかし、料理を味わう余裕はなかった。


待てよ、わたしはとんでもないミスをしている!?

これって、もし、あの店先の傘を借りた人が鋤柄さんだったとしたら……

店の表で、傘を持って行く人をずっと見張ってるべきだったのではないか!?

クソッ!何やってんだ、かなえ!!

ちゃんと脳みそ使って考えろよ!!!

鋤柄さんが今店内にいるなら、まだ傘は店先に残っているはずだ!!


かなえは慌てて店の外へ飛び出した。

すると、外はすっかり晴れていた。

そして、店先の傘立てに、ぼろい傘はなかった。


うそっ……

もう、鋤柄さんは店内にいない!?

なんたるスピードの食事!!

鋤柄さんは早食いなのか!?

でも来た時、傘は確かにあった。

もしかしたら傘だけを借りて、鋤柄さんはどこか別の場所へ?

食事もしないで、ここで傘だけを借りて行った?

そんなことする?鋤柄さんはそんな人じゃないはずだ!

それに、だとしたら店内にあるノートの“文字”は、いつ書いたんだ!

もっと以前に書いたものなのか?一体この店はいつからここに?

単純に、別の人間が傘を借りて帰っていった?

その可能性だって当然ある。

もう、分からない……。


身体から力が抜けていった。

かなえが空を見上げると、そこには虹がかかっていた。


あの日と同じだ……。

ラーメン屋『ことだま』で、嘗て置かれていた古くぼろいノート。

そこに、最後に鋤柄さんがわたしにくれた言葉。


“今日は雨予報みたいですね。昼まで雨かな。夕方には雨がやんで、虹が出そうですね。きっといい未来があなたにも待っているはず。”


『ご自由にお借りください』とあった傘は、今鋤柄さんの手元にありますか?

ねぇ、鋤柄さん。あなたは一体どこにいますか?

もし、鋤柄さんが傘を持っているのなら、傘を返しに鋤柄さんは『もととれ』に必ず来る。

鋤柄さんは傘を返しに来る人だ。

そしてここに、ラーメンもお寿司も食べに来る。

きっと、塩ラーメンと甘エビを。

でもそれはいつ?明日?明後日?昼?夕方?夜?

また有給を使わなければ!もう毎日行かなければ!!



「あれ?かなえさんじゃないですか。奇遇ですね」


「さ、鯖!なんで……!!」


なんと、目の前には小鯖が立っていた。

そして、かなえにチラシを見せる。


「かなえさんも、これ見て、ここに来たんじゃないんですか?」


「え!?」


小鯖は笑顔だった。

かなえは、小鯖の手に持つチラシを奪い取り見た。

『こちらも開店 常連客になっちゃおう。食べ放題『もととれ』!』とある。


「ほら、いつものノートにこれが挟まってて。かなえさんのことだから、きっと開店日に来るだろうなって。大正解でした!!さ、90分で、もとを取らないとですね」


「今日が開店日!?なら、あのノートは今日!やっぱりさっき……!!」


小鯖は笑顔で店内に入っていく。


「さ、恋敵、鋤柄はどこだ?」


え、鯖、今なんて?

“鋤柄”って言った!?

小声でよく聞き取れなかった。それとも、わたしの幻聴!?

まさか、鋤柄さんを知ってるの?

鯖男があのノートを見て、それで探してるの?

ダメだ!わたしはこのままでは、人生のもとが取れない!!

いつか、鋤柄さんに出逢わなければ……



そこへ、大河原が走って来た。


「あれ?かなえさんもここに?」


「えっ!?なんで、大河原さんが!?」


「かなえさん、大事件です!鋤園さん、桃華さんじゃないです!きっと!」


「!!」


「鋤園さんはきっと別の人です!他にいます。そして、この店にも来ているかもしれないんです!」


よくご存じで。

大河原さん、わたしが“鋤園直子(仮)”ですから……。


大河原は、小鯖と同じチラシをかなえに見せた。

それは酷く、くちゃくちゃになっていた。


「これが、あのノートに挟まってて」


「はぁ……。そうでしたか」


ノートにチラシ……。

『おあいそ』が開店した時もそうだった。

ノートにはチラシが挟まっていたんだ。そりゃみんな来るか。

これからは90分の時間制限付きで、ノートを書きながら、もとを取るほど食べることとなるのか。

あのノートに関わった者は、全員常連客となり、もうこの系列店から出られない。

そんな気がした。


「にしても、鋤柄って誰だよ……!!」


吐き捨てるかのように“鋤柄”の名を口にし、店内に入っていく大河原。


え!?鋤柄!?ちょ、今鋤柄って言った?

わたしの幻聴!?いやそんなわけない!!


「大河原さん、ちょっと、その話詳しく!!!」


かなえは慌てて大河原を追った。



ねぇ、“文字だけの君”、あなたは一体どこにいるの?

本当はどんな名前?

何歳?

顔はイケメン?

声はイケボ?

既婚者?

右利き?左利き?それとも両利き?

90分が余るほど、とんでもなく早食い?

ラーメンに、お寿司、食べ放題まで、いよいよ食べ過ぎて、まさか太ってる?

わたしは、鋤柄さんの“文字”しか知らない。


だけど、わたしは、“文字だけの君”を探してる。

そして、みんな“鋤柄直樹(仮)”を探してる。


  ×  ×  ×


ビニール袋から、雨の雫が流れ落ちた。


  ×  ×  ×


『もととれ』の店主の口元は、厨房でニヤリと笑った。


END

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文字だけの、見えない君を探してる。 佐藤そら @sato_sora

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