第29話 師と弟子と墓前

「なあ、本当によかったのか?」


 俺と琥珀が正式に師弟になってから、数日が経った。

 目の前に置かれている大量の荷物を眺めながら、同じく隣で荷物を見ている琥珀に問う。


「はい。今度はちゃんとお父さんの許可も取りましたし」


「……しかしよく許可が取れたもんだな」


「今まで家を空けがちだったことに大分負い目を感じているみたいでしたし、数十分ほど悩んで、這うような低い声と渋面のまま最後には承諾してくれました」


「……よく許可が取れたもんだな」


 同じように呟いて、数日前に言われた手を出したら殺すという言葉が脳裏をよぎり、改めてラッキーハプニングなどに対しての注意を万全にしようと人知れず心に決めた。


 さて、場所は俺の部屋。

 別に俺としては琥珀がそのまま自分の家に居続けるっていう選択でもよかったのだが……琥珀のたっての希望もあり、琥珀と俺はまたこの部屋で同棲をすることになった。


「あとで創太といなりが部屋に来るらしいから、それまでにとっとと荷解きして整理してしまうか。どれが衣類が入ったやつだ?」


「……師匠? 流石にそれは弟子としても女子としても引くんですけど」


「違うわたわけ! そういうのを回避するために聞いているんだろうが! 俺は衣類以外をやる!」


「なんだ、てっきりそういうことなのかと」


「あまり見くびってくれるなよ? お前の衣類になんて微塵も興味はない」


「……それはそれで乙女心的に複雑です」


「俺にどうしろと言うんだ!?」


「冗談ですよ。私は師匠を信じていますので」


「お、おう」


 そこまで純粋な目で言い切られると普通に照れるんだが。

 まあいい。とっとと荷解きを始めてしまうか。


 俺はあらかじめ衣類ではないと言われている近場の段ボールを開けた。


 その後は特に滞りもなく、お互いに分担してテキパキと作業を進めていく。

 二ヶ月程度この部屋に住んでいた琥珀は部屋の間取りが分からないということもなく、むしろ俺より収納出来る場所を熟知しているような動きだ。


 前に家に訪ねてきた時は、キャリーバッグやリュックサックだけだったこともあり、荷物は少なかったが、親公認になった今回は車で前回の比にならない荷物が運び込まれている。


 そのせいで割と時間は食ったが、どうにかあと数箱というところまで整理することが出来た。


 残った数箱の内の一箱に手をかけ、開ける。


「これは、小説か……?」


 そこにあったのは見覚えのある紙の束。

 ずらりと文字が書き連ねられたそれは、紛れもない小説の原稿だった。


「琥珀、これお前が書いたやつか?」


「はい。今まで書いてきたものは大体その中に入っていると思います。あ、これなんて私が小説を書き始めたばかりの頃のやつです! 懐かしいですねー」


「ふーん。なあ、ちょっと読んでみてもいいか?」


「えっ!? でもこれ今より下手くそですし、ちょっと恥ずかしいです……」


「俺は気にしない。読むぞ」


「私は気にしてるんですが……分かりました、どうぞ」


 本人の承諾も取れたことだし、休憩がてら読むとするか。

 早速文字に目を落とすと。俺の意識はすぐに物語の世界に入り込んでいった。




 師匠が小説を読むのことに集中し始めて、私は残っていた数箱を片してしまって、手持ち無沙汰になってしまった。


「……神先生といなりちゃんが来る前に、色々と準備しておきましょうか」


 呟いて、私は床に座り込んでいる師匠を軽く一瞥し、頬を少し緩めて部屋を出る。

 

 師匠が今読んでいる小説は、確か私が始めて書き上げた小説だったはず。

 もう一年も前のことになりますか……早いものですね。


 一年前と言えば、私がようやく少しだけ立ち直り始めてきて、お母さんがいなくなってしまった日々に慣れ始めてきてしまったぐらいの時だった。


 飲み物とお菓子の準備を進めながら、私は物思いにふけり、過去のあの日を思い出す。


 お母さんが亡くなったのは、中学三年生の時でした。

 大好きだったお母さんがいなくなってしまって、元々引っ込み思案で人見知りだった私はどんどん暗くなっていって、毎日泣いてばかりだった気がする。


 お母さんの作品を筆頭に、大好きだったライトノベルはぱたりと読めなくなってしまい、高校一年生になるまで、意識的に避けていた。


 一年という時間の中で、ようやく気持ちも落ち着いて、どうにか友達も作ることが出来るようにはなった。


 それでもまだ、ライトノベルというものに触れることは出来なかった。

 触れるとどうしてもお母さんのことを思い出してしまって、物語の内容よりもお母さんとの思い出で頭の中がいっぱいになってしまうから。


「おーい琥珀ちゃーん」


 そんな私はある日、用事があって、友達のいるクラスまで行くことになりました。

 

「すみません、お待たせしました」


 教室の中から呼びかけられた私は返事をしながら、友達のいる席まで近づいていく。

 

「きゃっ……」


 その途中でうっかり誰かの机に足が当たってしまい、机の上に置かれていた本を落としてしまった。

 落ちた拍子に、伏せて置かれていた表紙が上になって私の目に飛び込んできた。

 

「っ……!」


 ライトノベル……ですか。

 しばらく触れていなかったそれを視界が認識した瞬間、私は本を拾うことも忘れて少し硬直してしまう。


「琥珀ちゃーん?」


「あ、すみません。今行きます」


 友達の声で我に返って、それとなく表紙を確認しながら、元のように表紙を見えないように置き直してから友達の元に歩く。


 友達の近くに着いて、しばらく会話をしていると教室に一人の男の子が戻ってきて、私がさっきぶつかった席に着席した。

 アホ毛とでもいうのか、髪の毛の一部が立った黒髪の男の子は、可愛らしい顔をした男の子? と話を始めて、私が見ていることなんてまるで気が付いていない様子だった。


 特に気にすることもなく、私も友達の会話に戻って、用事を済ませて自分のクラスに戻ったのですが、


 ……久しぶりに読んでみましょうか。


 本当にふと何気なくそんなことを思った私は放課後、書店に寄って、ライトノベルコーナーに足を運んだ。


「……あった。この本でしたよね」


 私が手に取ったのは、教室で見たライトノベル。

 作者名は鷹村アサヒ。


 家に帰った私は、着替えることもせずに、制服のまま、久しぶりにライトノベルを読み始めた。


「――この人……!」


 中盤まで一気に読み進めてしまって、私は部屋で一人呟きを零してしまった。


 だって、その作品は、まるで私のお母さん……天科真白を思い出させるものだったから。

 文章はあまり上手くないかもしれないないけれど、お母さんのように、この人が心からこの物語を愛し、書くことを楽しんでいることが伝わってきたから。


 今までのどの物語よりもお母さんのことを思い出させるはずの物語は、不思議と全く嫌にならなかった。


 端的に言って、その時私は、その人の……鷹村アサヒ先生のファンになってしまったわけです。


 そして今、私は憧れの先生の弟子になれた、というわけです。

 どんな偶然なのか、お母さんに憧れて作家になった人に私は憧れ、弟子になれてしまったというわけなのです。


「すごい偶然もあったものですね……」


 ふっと笑うと、部屋のインターフォンが鳴った。

 きっといなりちゃんと神先生が来たんですね。


「はーい」


 私はスリッパを鳴らして玄関に向かった。




「琥珀っ!」


 散々騒ぎ倒して、日付が変わった。

 創太といなりは珍しく泊まっていくこともせずに帰ってしまった日曜の朝。

 小説を読み終えた俺は興奮気味に琥珀に声をかけていた。


「ど、どうしたんですか師匠」


「これ、読み終えた」


「あ……そうなんですか……下手くそでしたよね?」


「ああ。下手だった」


 文章だけは書き始め丸出しで、今と比べるべくもないものだったのでそこはハッキリ言っておく。


「そんなハッキリ言われると自覚があってもちょっとむかっとするんですけど」


「――だが、面白かった」


「……………………え?」


「文章は稚拙もいいところで展開も構成も上手いとは言い難いものだったが、それでもこの世界でキャラが生きていた。面白かった」


 途中からはまるで天科先生の作品を読んでいる気分になった。


「お前これ、どうやって書いてたんだ?」


 俺の言葉を聞いて呆けている琥珀に問いかけた。


「ど、どうって……えっと、その頃は書き始めたばかりでプロットの書き方なんて分からなくて、だから思いつきで……」


「思いつき……今はプロットを作って書いてるんだよな?」


「は、はい」


 聞いてから顎に指を当てて思案。

 もしかすると、こいつ……。


「……よし、琥珀。師匠らしく、弟子のお前に課題を出してやる」


「か、課題ですか?」


「ああ。――次の作品はプロットに頼らないように書け!」


「えっ? でもそれだと……」


「もしかすると、お前はそっちの方がいいのかもしれない。自由に世界を描いてみろ。プロットに縛られるな」


「……はいっ! 師匠!」


「ただし、キャラ設定と簡単なプロットを書くのは許す!」


 こいつの作風はプロットでガチガチに縛って世界を決めるよりも、キャラをもっと自由に動かした方が面白くなる! ……かもしれない! 書いてみないと分からないが!


「……早速課題に取りかかりたいところではあるんですけど、その前にちょっと行きたい所があるので、出かけてきてもいいでしょうか?」


「別にいいが、どこに行くんだ?」


「――お墓参りです」


「……天科先生の、だよな」


「はい。ペンネームのことも含め、色々と近況報告に」


「そうか。……俺も行っていいか?」


「……もちろんです。お母さんもきっと喜びます」


 柔らかく微笑んだ琥珀に、不覚にも少しドキリとしてしまう。

 が、それを悟られないように俺は気になったことを口にした。


「というかお前、ペンネーム決めたのか」


「あ……えへへ、実はそうなんです。そうですね、お母さんの前に師匠に伝えておこうと思います。ちょっと失礼しますね」


 琥珀は俺に一言断りを入れて、自分のノートパソコンを起動し、小説が書かれたテキストファイルを起動した。

 そして、どの作品でもずっと空白だった作者名を入れる部分にカーソルを合わせ、


「――これが私のペンネームです」


 カタカタと記入してみせた。


「……っ! そうか、これがお前の……いい名前だな」


「はいっ! ずっと悩んでいたんですけど、ようやく踏ん切りがついたので……」


「……じゃ、行くか」


 俺と琥珀は準備をし、先生が眠っている場所に出かける為に部屋を出た。




「……ここが、先生の」


 場所は変わって、私と師匠はお母さんの墓前にやってきた。

 神奈家の墓と書かれた墓石を見ると、心がぎゅっとなったけれど、いつもよりは平気。

 今日は隣に師匠もいますから。


「私はお花を替えますので、師匠は掃除をお願いします」


「ああ、分かった」


 二人で黙々とお母さんのお墓を綺麗にしていく。

 一人だと気分が落ち込んで倍は時間がかかっていたけれど、二人だといつもより早く終わってしまいました。


 綺麗になった墓前の前に、師匠と並んで立って、私がしゃがみこんで目を瞑り手を合わせた。


 ――お母さん。私はお母さんが気にかけていた鷹村アサヒ先生に弟子入りし、作家を目指すことにしました。散々悩みましたけど、私はもう大丈夫です。心配しないでください。


 頭の中で次々と報告することを思い浮かべていく。


 ――ペンネームは、真白琥珀ましろこはく。お母さんの名前を借りることにしました。自分で言うのもなんだけど、いい名前だと思いませんか?


 決めたばかりのペンネームのことも報告し終えて……。


 どうしよう、このことも報告するべきなんでしょうか……。


 いざ伝えようとすると、頬が熱くなってやっぱりやめようという気分がじわじわと心を浸食していくけど、私は強くぎゅっと目を閉じて、羞恥心を心の奥底に追いやった。


 ――それと、それとね? ……――好きな人が出来ました。


 私はそこで片目を開けて、隣に立っている男の子をそっと見上げたのでした。


 ——完。

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学生作家の俺が、クラスメイトで作家志望の美少女となぜか同棲することになってしまった。 戸来 空朝 @ptt9029

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