第28話 そこにいなくても、母親と憧れの人は強い
『――鷹村アサヒくんへ。
あなたがこれを読んでいるということは、わたしがもう亡くなってしまっているということでしょう。
なんて、手紙をあまり書いたことがないので、若者(ここ超重要!)らしく、ベタな始め方でなんの捻りもなく書き始めてみました。
それともう一つ、この手紙を読んでいるということは、君が偶然か奇跡か運命かのどれかによって、わたしの愛娘――琥珀ちゃんと出会うことが出来たということだよね。
説明させてもらうと、お手伝いさんの中でも特にわたしと仲がよかったひーちゃん……寿緋沙子に、もしアサヒくんと琥珀ちゃんが出会うことがあって、琥珀ちゃんがなにか道に迷うようなことがあったら、この手紙を渡してほしいって頼んでおいたんだよね。
まあ長い長い前置きはここまでにしておいて、本題に入るね。
わたしが亡くなったあと、琥珀ちゃんのことはそーくん……夫の宗一郎くんに当然頼んだんだけど……。
そーくんって仕事以外はへっぽこぴーのダメ人間だから、琥珀ちゃんをほったらかしにして国内国外を飛び回って、寂しくさせてたりするんだろうね』
「ぬぐっ」
親父さんの正に図星を突かれたという声で、俺は一旦手紙の音読を中止して顔を上げた。
琥珀がそんな親父さんに冷ややかな視線を浴びせていた。
俺は二人の様子を目に映してから、手紙に視線を戻す。
『――多分だけど、琥珀ちゃんは作家になりたいなんて言い出してるんじゃないかなって、親のわたし的には思うんだけど、どうかな? 当たってる?
わたしに憧れたのか、それとも別の要因でなのかは分からないけど……なんとなくそんな感じがするんだよね。
そうだったら、お母さん嬉しいな。
頭が硬いそーくんはわたしのこともあったせいで頑として反対するだろうけど』
……エスパーか、この人は。
「お母さんの想像通りでしたね。へっぽこぴーのお父さん」
「……………………ふんっ」
鼻を鳴らした親父さんを尻目に、再度手紙を見る。
『――言っておくけどね、そーくん。
わたしは作家業をしていて、つらいと思ったことなんてあんまりないんだよ。
そりゃ、自分の作品は子供みたいなものだから、叩かれたりするのは嫌だったけどさ。
なによりも、自分の好きなように世界を創れて、キャラクターに命を与えられて……こんな楽しい仕事のことを憎んだりなんか出来るわけない。
作品を世の中に出したことで、後悔なんてただの一つもない。
わたしが命を落としているのなら、それは作家って仕事のせいじゃなくて、わたしの身体が弱いせい。
そこだけが、わたしの人生で唯一憎むべきことかな。
それ以外は、そーくんに逢えて、琥珀ちゃんを授かって……アサヒくんや創太くん、いなりちゃんという天科真白を慕ってくれる期待の後輩にも出会えて、幸せなことだらけだよ。
だから、もし琥珀ちゃんが作家になりたいって言い出したのなら、腕を掴んで引き留めるんじゃなくて、ちゃんと背中を押してあげてほしいな。
わたしが亡くなっているのなら、それがわたしからの最後のお願い』
「――……真白」
「お母さん……」
誰かが鼻を啜る音が、俺の鼓膜を震わせた。
音の発生源が誰なのか、なんて探るような真似はせず、俺は気付いていない振りをして続きを読む。
『――最後になるけど、琥珀ちゃんへのアドバイス!
本当にやりたいと、なりたいと思うなら、絶対足を止めないこと!
後先考えるなって言ってるんじゃないよ?
ちゃんと考えて、悩んで、助けてもらいながら、答えを出すこと!
後先考えずに始めるのはいいけど、中途半端なところで躓いて日和るのは琥珀ちゃんの悪いところだからね?
……ま、それももう心配ないか。
だって、この手紙が読まれてる頃には、きっとアサヒくんと琥珀ちゃんが出会ってるんだしね。
わたしの血も、心も、夢も、全部彼に託したつもりだから。
だから、きっと大丈夫。
わたしは天国からのんびり、見守らせてもらうよ。
忘れてないよね? アサヒくん。
――競い合っていける仲間を見つけること!
――楽しんで物語を書くこと!
これさえ忘れなければ、君はきっと大丈夫!
なんたって、君はこの天科真白の一番弟子なんだから!
天国に、鷹村アサヒと琥珀ちゃんたちの名前が届いてくることを、楽しみにしてる!
琥珀ちゃんも、ペンネームが決まったらぜひ教えてね!
そーくんもあまり仕事ばかりにかまけてちゃダメだよ?
そんなことしてたら、琥珀ちゃんがいつか愛想を尽かせて出て行っちゃうかも知れないんだからね!
それじゃ、また。
――神奈真白、またの名を天科真白』
読み終えた手紙を、卒業式の答辞のように丁寧に折りたたみ、俺はそっと封筒の中に戻した。
と同時に、開け放していたドアの方から足音が聞こえてきて、振り返る。
「お茶の用意が出来ました」
寿さんが、澄ました表情でお茶や菓子など、色々と乗ったカートを部屋の中に運んできた。
……タイミングがよすぎやしないか?
もしかしたら、途中から聞いてたのかも知れないな。
「………………ふう。ちょうど、水分が欲しかったところだ。鷹村君も、喋り続けて喉が渇いているだろう」
「そうですね……ありがとうございます」
憑きものが落ちたような穏やかな顔をして、親父さんはネクタイを緩めながら、モタモタと要領悪く、寿さんの手伝いをし始めた。
「旦那様、これは
「いいんだ。やらせてくれ。なにかをしていないと、な?」
よく見ると、親父さんの目の周りが少し赤くなっていることは触れない方がよさそうだ。
琥珀なんて大粒の涙を零し、泣いていることを隠そうともしていない。
手紙を読み続けていたせいで、乾いた喉と唇をやたらといい匂いのする紅茶で湿らせて、ようやく人心地がつけた。
この家に来た時から、俺は思った以上に緊張していたらしく、背もたれに背中を寄りかからせると、身体が脱力していくのを感じられた。
しばらく全員が無言で、紅茶と茶菓子に舌鼓を打っていると、ソーサーにカップを置いた親父さんが息を吐いた。
「……………………琥珀」
「は、はい」
「その、だな……あれだ」
「ど、どれでしょうか」
「…………作家のこと、応援する」
「……いいんですか?」
琥珀がおずおずと親父さんを見つめる。
「……正直に言ってしまえば、反対していたのに、完全に割り切って応援してやれるのかと問われれば、ノーと言わざるを得ない」
「……はい」
「だが、愛する娘からのお願いと愛する妻からの頼み事とあらば、ちゃんと聞いてやらないわけにもいかないだろう」
ばつが悪そうに頬を掻く親父さんを見て、琥珀がくすりと笑みを零した。
この人どれだけ不器用なんだよ。
「お父さん……ありがとうございます」
「今まですまなかった。琥珀が家出をする原因になったのは、元はと言えば僕が作家になることを反対したからだというのに……」
親父さんがそう言った瞬間、ぴくりと琥珀の肩が動いたのを俺は見逃さなかった。
寿さんがなにを言っているんだこの人は、という視線を向けて、小さくため息をついているのを見ると、言いたいことがあるのを我慢しているというのは俺にも分かった。
「お父さん、この際だからハッキリ言っておきますけど! 私が家出をしたのはそれだけが原因じゃないんですからね!?」
「なっ、なんだと!?」
「確かにそれがとどめになったことは間違いないですけど、娘をほったらかしにして仕事仕事で全く家に帰ってもこないじゃないですか! 本当に私のことを想っているのなら、年頃の娘のことをお手伝いさんに全部任せて、家に帰ってこないなんてことは出来ないと想うんですけど!」
「そ、それは……だな……その、僕が仕事を頑張って琥珀に不自由のない生活をさせてやりたくてだな?」
「お金は十分すぎるほどありますし、お陰でなに不自由のない生活を送れていますけど! そこはもちろん感謝してます、ありがとうございますですけど! 分かりますか!? 家に帰ればいつも親がいない子供の気持ちが! 普段そんな感じなのに、いざやりたいことを話せば反対される私の気持ちが!」
「む、むぅ……す、すまない」
「分かってますよ!? お父さんが仕事を簡単に投げ出せるような立場じゃないっていうのは! お母さんが言っていた通り、お父さんは仕事以外ではへっぽこぴーだってことは! ワガママだって分かっていても、もう少し私のことを気にしてくれる素振りを見せてくれてもいいじゃないですか!」
ああ、そう言えば言っていたな。
家にいる私のことをほとんど気にかけてくれないって、泣きそうになりながら。
つまり、こいつは……。
「家に家族が誰もいないのが寂しくて家出した、と」
「余計なことを言わないで下さい師匠!」
「お、おう。すまん」
火に油だったか。
これ以上なにか余計なことを言って、こっちに飛び火しても困るし、口は災いの元。
黙って傍観させてもらうとしよう。
そのまま、琥珀の説教は長きに渡って行われ、終わる頃には親父さんは完全にノックアウトされてしまっていた。
「ふう……以上ですっ! あーすっきりした!」
「ほ、本当に悪かった……これからは、気を付ける……」
「いえ。今まで通りでも大丈夫です。どうせ立場上そう簡単にはいかないってことは分かりきってますし、私がどう考えているかってことを知ってもらえましたから」
「す、すまない……だが……それでは……」
「いいんですよ。だって――私はもう一人じゃないんですから」
琥珀が俺を見て、微笑んだ。
その微笑みは、俺があの日に見た天科先生の笑みに重なって見えて、俺は気恥ずかしくなって目を逸らす。
「……琥珀のことは、任せてください。俺、師匠ですから」
「不本意すぎるが、真白からも頼まれているみたいだしな……琥珀を頼む」
「はい」
短く返事をし、頷いた。
「……さて、もうこんな時間だ。寿、鷹村君を家まで送ってあげてくれ」
「かしこまりました」
「あ、私も行きます!」
琥珀と肩を並べて、家の外に出て、リムジンに乗り込んだ。
「いや、お前まで乗る必要はないだろ」
「いいんです。私、弟子ですから」
「それは関係ない。……まあ、好きにしろ」
言っても聞かないというのは、よく分かっていることだ。
そのまま待っていると、親父さんと話をしていた寿さんがリムジンに乗ってきて、親父さんが俺の座っている席の近くに歩いてきた。
……なんだ?
運転手が窓を開けると、親父さんが小さい動作で手招きをした。
どうやら顔を近くに寄せろということらしい。
「俺にまだなにか?」
警戒しながら、問うと、俺の耳元に口を寄せた親父さんの言葉が、俺の背筋と鼓膜を盛大に震わせた。
「き、肝に銘じておきます……!」
親父さんが不機嫌そうに鼻を鳴らして、車体から距離を取ったのを合図にリムジンが動き出した。
「師匠、お父さんとなにを?」
「あー……いや、なんと言うか……父親されてた」
「……? よく分かりませんが、そうなんですか」
――琥珀に手を出したら殺す。
耳元で囁かれた、今までで一番父親らしいセリフを頭の中で再生し、俺はぶるりと身を震わせる羽目になった。
そんな俺の様子を見た琥珀が首を傾げていたが、俺はなんでもないという風に装い、誤魔化すように頭の中で執筆のネタを考え始めた。
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