第27話 VS父親
「――鷹村様」
そのまましばらく、流れ続ける景色をぼんやりと眺めていると、寿さんが俺を呼んだ。
「はい?」
意識と首を寿さんの方に向けると、寿さんは懐から一枚の手紙を取り出した。
「こちらをお受け取り下さい」
「手紙……ですか? 一体誰から……?」
最近やたらと手紙に縁があるような気がするな……まあいいか。
裏返して見ると、筆記体でサインがしてあった。
読めねえよ。
「読めないんですけど……」
解読を早々に諦めて、寿さんに差出人を尋ねる。
「……それは奥様からの――」
奥様……?
寿さんが口を開くと同時に、車が停車した。
外に目を滑らせると、目の前には家というよりはただデカい建物といった感じの家。
もしかしなくても、ここが神奈の家ってことだよな。
「どうやら到着したみたいですね。ご案内します。どうぞ、こちらへ」
手紙の差出人について聞くタイミングを逃してしまった。
奥様と聞こえたが、言葉通りの意味なら神奈のいなくなってしまった母親からだということになる。
どうして会ったこともない人物から俺宛ての手紙が?
気になるが聞くに聞けないような状況なので、仕方なく、手に持った手紙をポケットの中に入れ、先に降りて行った寿さんのあとを付いて歩く。
意味があるようには思えない大きめな玄関を潜り、大きいせいで長くなるという弊害しかないような廊下を進む。
やがて、寿さんは一つの部屋の前で立ち止まった。
ということは、ここに神奈が……。
知らず知らずの内にごくりと喉が鳴る。
「お嬢様」
『どうしたの、寿?』
「先に謝っておこうと思います。申し訳ございません」
『え?」
中から困惑した神奈の声が微かに聞こえてきて、寿さんは間髪入れずに扉を開け放った。
室内には神奈と、神奈の父親の二人。
俺の姿を青色の瞳に映した数日前まで同居人だった少女が、驚きで目を見開いた。
「どうして、ここにししょ……鷹村くんが……!?」
「申し訳ございません。これが今、一番お嬢様の為になると判断しての行動です」
「だからって……はあ。もういいです。来てしまったものをどうこう言ってもしょうがないですし……寿、お茶の用意を」
「かしこまりました」
うやうやしく一礼をした寿さんが、部屋から遠ざかっていく。
部屋の中には、俺と神奈と親父さん。……気まずすぎる空間だ。
「君か。一体なんの用だ」
「神奈に話があって来ました。学校では避けられて、とても話にならないので」
「ほう……」
「こんな時間に突然訪ねてきてしまった非常識さは謝ります。すみません」
「いや、構わない。寿がそう計らったのだろう? それに、非常識ならお互い様だ」
親父さんはチラリと神奈を一瞥し、俺に視線を戻す。
やっぱり、親的には家出をして二ヶ月も他人の家に住んでいたのが許せないらしい。
「もう一つ、正直に言うと……姉に神奈と話をつけてこないと原稿を受け取らないと脅されました。仕事が出来ないのは困るので」
「ふっ、君はやはり正直な男だな。いつまでもお客様を立たせておくわけにもいかない。好きなところに座ってくれ」
「失礼します」
迷わずに入口から最も近い椅子に腰を落ち着けた。
うわっ……超座り心地がいい……執筆用に一つ欲しいぐらいだ。
「それで、話とは? まさか、琥珀を連れ戻しにきた。なんて話じゃないだろうな」
神奈は俯いたまま、さっきから一言も発していない。
俺は鼻を鳴らして、親父さんに言い返すために口を開いた。
「――逆ですよ。俺は文句を言いにきたんだ。神奈にも、あんたにもね」
やっぱり、堅苦しいのは苦手だ。
さっきまで少しばかり礼儀よく話していた姿勢を崩す。
「文句だと?」
「ああ。直接言おうともせずに逃げ、こっちの話を聞こうともしないそいつと……娘の夢を応援しようともせずに無理だと決めつけるあんたに、俺は文句があって来たんだ」
「……自分がなにを言おうとしているのか理解しているんだろうな」
さっきまで、多少は客人として扱われていたのだろうが、今ので完全に敵として認識されてしまったらしい。
雰囲気とプレッシャーが全然違う。
「家族の問題に他人が口を挟もうとしているんだぞ」
「それを分かった上で、そうするためにここに来た」
車の中で、ずっとなにをどう言うかを考えていたけど、どう考えてもどう遠回りな言い方をしても、神奈の家の問題に口を挟む以外の答えは見つからなかった。
「というか、あんな未練たらたらの手紙を残された身にもなれ。涙の跡があざといんだよ」
また俯いて黙りこくった臆病者に、俺はにべもなく言い放った。
「あざとっ!? 私がどんな想いであれを書いたと思って……!」
「知るか。直接言われたわけじゃないからな。手紙で文章書くだけなら嘘でも出来るだろうが」
第一、人ん家まで押しかけてきて弟子になりたがるような人間が、親に言われたからってそんな簡単に諦められるわけがない。
「本当に諦めるつもりなら、この場で直接俺に言え。そうしたら、まあ……言うつもりだった文句も半分は飲み込んで帰ってやる」
「それでも半分は言うつもりなんですね……」
「当たり前だ。お前のせいで色々と集中出来ないわ、原稿は受け取ってもらえないわで散々なんだ。このぐらいの権利はあってもいいだろ」
言ってから、親父さんの方をちらりと一瞥した。
「大体、あんたはどうして神奈が作家になることを反対している? あの口振りだと、なるのはおろか目指すことすら反対してるように聞こえたんだが」
「……それを部外者の君に話す義理はない」
まあ、予想通りの返答だ。
確かに俺がそれを聞いても何にもならないかもしれない。
「気に食わないんだよ。人の夢を簡単に無理だって否定する奴。ましてや娘のことだろ。応援すらしてやらないなんて親としておかしい……」
「貴様になにが分かるッ!」
俺の声は途中で親父さんの大声に遮られた。
剣呑な表情でこっちを睨んでくる親父さんに俺は驚き、思わず口を噤んだ。
「……お父さん……」
神奈の悲しみを含んだ呟きにも目をくれず、親父さんは歯を食いしばり、俺だけを睨み続ける。
「あんな……あんな……入れば傷だらけにされる世界に……娘を放り出せるものかッ! 妻だけでなく……大事な娘を……!」
「妻……?」
引っかかった部分を口に出すと、親父さんは明らかに言うつもりはなかったことを言ったという様子でハッとし、眉根を寄せた。
作家の世界のことをよく分かっているような言い方といい、今の妻という発言……
「神奈、お前の母親は、作家だったのか?」
「……………………はい」
長い沈黙の末に、神奈は頷いた。
「――私の母親の名前は神奈真白。ペンネームは、天科真白です」
「……お前が……先生の娘……? そう、だったのか……」
唐突に言われたことだったが、あまり驚きはなく、なぜかその事実は俺の胸にストンと落ちてきた。
今まで気が付かなかったが、言われてみれば、神奈はあの人の面影がある。
「……話すつもりはなかったんだがな」
「作家の業界のことを天科先生のことで知っていたから神奈が作家を目指すことすら反対していた、と。なるほど、納得した」
「……素人目からしても、彼女の、真白の才能は圧倒的に思えた。そんな彼女でさえ、ズタボロにされたんだ。他人の作品を評価しただけで、特別な何者かになったつもりでいる愚か者どもに……! そんな場所に、凡庸な琥珀を送り出すなんて残酷な真似、傍で真白を見ていたからこそ出来るわけがない」
「神奈の作品を見たことが?」
「寿に頼んで、琥珀の小説のデータを送ってもらって読んだ。真白とは比べるべくもなく、普通だった。だからこそ、絶対にあの生き地獄のような世界に足を踏み入れることはないのだと、安心していたんだがな……まさか家出をして、作家をしている同級生の家に転がり込むとは……」
親父さんは深く息の塊を吐き出して、疲れたという表情を片手で覆うようにした。
「大切な人が傷ついていくのを傍で見ているのは、つらいんだ。琥珀は作家にはさせない。分かってくれ」
切実に吐かれたその言葉を皮切りに、再び室内は沈黙に満ちた。
――なんだ、それ。それは、つまり。
「自分が傷つきたくないから、神奈に作家を目指すなって言うのか」
「なんだと……!」
「今までの話の全てに、言葉の全部に、神奈が夢を諦めなければいけない理由がないだろうが! ふざけるな!」
荒々しく立ち上がり、目の前の机に拳を叩きつけた。
鈍い痛みが拳を駆け上がってきたが、すぐに怒りに飲み込まれて気にならなくなった。
「……いいんです。鷹村くん。お父さんの言う通り、私にはお母さんのような文才が――」
「――才能がなんだって言うんだ! 俺にだってそんなものはない! いつも創太やいなりに負けっぱなしだ! だけど関係ない、いつか絶対勝つ! 才能なんて形のないものに振り回されて、賢く諦めた振りをするのはやめろ!」
「少なくとも、文才は文章という形になって証明されている! 君のそれは詭弁だ!」
「詭弁だったとしても才能がないから諦めるなんて、俺たち子供が簡単に吐いていいセリフなわけがない! 文才がないからって作家になれないなんて根拠にはならない!」
「作家になれるという根拠もない!」
あーもうめんどくさい! 親のあんたが神奈を信じてやらないのなら、俺が――!
「絶対になれる!」
断言した。
神奈が俯きがちだった顔を上げ、目を丸くしたのを視界の端に捉える。
「どうしてそう言い切れる!? 変な希望を持たせて破滅に向かわせるぐらいなら最初から……!」
「――何故なら、俺がこいつの師匠になるからだ!」
俺が傍でこいつを信じてやるしかないだろ!
たった今、決めた。
俺は、神奈琥珀の師匠になる。
「どう、して……今まで、ずっと弟子だとは認めないって……」
「自分でもよく分からん。あまりに否定されるもんだから、見返してやりたいって思ったのかもしれないし、お前が先生の娘だから、先生によろしくって言われたからかもしれない」
「なんですか、それ」
「ただ、たった今そう思ったんだよ。弟子にするって」
不思議と、今まで否定していたそれが真っ先に俺の胸の中に飛来してきた。
本当にそんな感じなんだ。
俺にとっても急なことで言葉で説明なんて出来やしない。
「――なあ、神奈」
静かに、水面に波紋を立てるように、俺は問う。
「人見知りで引っ込み思案だったお前を、俺の文章が変えたんだろ?」
「……はい」
「だったら、信じてくれ。お前を変えてみせた俺の言葉を。お前は作家になれる。絶対になれる」
「……だけど」
「お前が自分を信じられなくなったら、俺を信じろ。お前は本当はどうしたいんだ。取り繕うな、お前自身の口で、お前自身の言葉を聞かせろ――琥珀ッ!」
「……っ! ……わた……私は……!」
神奈の目が、一瞬だけ父親の方を向いて、すぐにまた俺を見据えた。
その蒼い目には、もう迷いを感じない。
「私は作家になりたいです! 諦めたくなんてないです! 私を弟子にしてください、師匠!」
「ふん。俺が弟子にするからには、中途半端に諦めるなんて許さないからな」
「はい!」
神奈は……琥珀は雲間から覗く日の光のような笑みを浮かべ、大きく返事をしてきた。
言ってしまったからには、俺もこいつの師匠として、全力で作家になるために手助けをしてやろう。
「……さっきから黙って聞いていれば、そんなことを認めるわけがないだろう」
「……お父さん……」
琥珀自身の問題は解決したが、あとはこの人の問題が残っている。
だが、これ以上俺がどうにか出来るような感じはないし……ん?
思考を働かせて、手札を探っていると、ポケットにちょっとした違和感があることに気が付いた。
そうだ、寿さんから手紙を受け取っていたのを忘れていた。
奥様と言っていたということは、ここで聞いた話と合わせて考えて、この手紙の差出人は……
俺は若干くしゃりとなった手紙をポケットから取り出して、封を開けた。
「なんだ、その手紙は」
「師匠?」
「これは、天科先生から俺に宛てられた手紙だ」
二人が息を吞むのが伝わってきた。
それを合図に、俺は手紙に視線を落とした。
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