箱庭

びば

箱庭

 陽の暖かい光が辺りを包む、初夏の陽気。

 昔ながらの作りである旧家の軒下。孫と祖父の二人は作りかけの箱庭を見ていた。

 それは小さいながらも精巧な作りで、絶妙な深緑色の粉が吹きかけられた綿で作られた垣根はぐるりと模型の家を囲み、小枝で組んである門を挟んでいる。門から母屋へと続く砂利は小石で再現され、他の露出している土台部分も見事に再現している。まばらに生えている草の造詣は、かしこに散りばめてある薄緑色の粉末で表現。模型の家も、土台から木工細工で作った手作りで、縁の下から屋根まで細部まで再現し、仕上げにニスを塗ってある。

「ずいぶん時間がかかったけど上手に出来たね!」

 完成を間近に、孫は箱庭を見下ろし、はしゃいで祖父に言う。

「そうかい。気に入ってもらって何よりだが……本当に学校に持って行くのかい?」

「勿論! だって僕の工作の宿題だよ?」


「――――ふむ」

 もともと孫の頼みということで作り始めた箱庭だったが、祖父はいつのまにか自分なりのこだわりを持ち始めた事に気づいた。


 数時間でぐるりと回れてしまうこの島には学校が一つだけある。

 代々島で暮らす祖父の家系は、孫の父親も、その父親である祖父も、その父も祖父もずっとそこで学び育ったのだが、遊び道具も少ないこの島で、はたして自分の改心の出来である箱庭は無事に戻ってくるだろうか?

 孫も手伝ったが作りこんだのは祖父であり、愛着もある。出来ることならば今後も傍に置いておきたい。けれども早く友達に自慢したいのか、今から友達の羨望の眼差しを期待している孫には、とても言い出せない。


 ややあって、祖父は決心した。

「わかった。そうだなぁ、お前も手伝ってくれたし、これはお前のものだ」

 言葉の意図が分からず、首をかしげながら孫は箱庭に手を伸ばす。

 その先、箱庭の隅に、本来あるべきはずのものが無かった。

「ん……むむ……?」

 訝しげに見てみると、庭の隅にあるはずの柿の木が箱庭には無い。

 一見すればどうということのない些細な欠落だが、祖父はそれが譲れなかった。

「ふむ。ちょっと待ちなさい」

「えっ……おじいちゃん! 僕のだよ? 取らないでよ!」

 箱庭はひょいと取り上げられ、孫は祖父に抗議する。祖父は箱庭と、母屋の向こうにある柿の木を交互に見ながら、考え込み始めた。


 ふと昔を思い出す。


 目の前にいる孫よりももっと幼い時の話。

 秋も深まり冬の寒さを感じるころに、幼き祖父は弟と共に、柿の木の周りに居座って近所の悪友に備えていた。

 茂った垣根の根元でひそひそと声がする。柿の実を奪う悪友達の作戦会議だ。

 いくら話したところで手段は変わらない。

 手段は毎回、竹竿でつついて虫取り網で受け止めるという単純なものだった。

 垣根にも届かない身の丈を精一杯伸ばし、悪友の操る竹竿が柿に触れるかの刹那、祖父と弟は垣根から、ばあ。と飛び出す。

 それに驚き一目散に逃げる悪友。あまりの可笑しさに、弟と二人笑い転げた。


 その思い出の柿の木が、箱庭には無いのだ。


 かつての悪友は腐れ縁となり、弟と同じく自分よりも先に逝った。

 長い年月の中、それでも柿の木は有り続けたのだ。

「そうだよなぁ、おまえが足りなかったんだな」

 完成間際の箱庭をじっと見て祖父が呟くと、おもむろに柿の木の下へと向かい、小枝を一本折る。柿の木を表現するために、柿の木に勝る素材はない。

「おじいちゃん、まだ作るの? 何か手伝う?」

 怪訝な顔をして孫は祖父を伺う。しかし孫が見た祖父の顔は、満面の笑みだった。


「よし、完成だ。壊すなよ?」

「やったあ!」

 祖父から箱庭を受け取ると、孫は箱庭を諸手で持ち上げ、万歳の姿勢ではしゃぐ。

 ぐるぐると回りながら廊下を行く孫の姿を見て、祖父は箱庭が壊れまいかと気が気でなかったが、いいやあれは孫のものだと自分自身に言いつけるように心の中で繰り返した。

「こらこら、そんなに振り回したら壊れてしまうよ」

 精一杯のささやかな叱咤に留めた。


(こらこら、そんなに振り回したら壊れてしまうよ)


 ガチリ。と記憶の中の歯車が動いた。

 幼い頃、弟と庭で虫取り網を片手に、トンボを捕まえようとした。

 あまりに捕らえられないせいか、祖父に作ってもらった網を思い切り振り回し、咎められた。


「……足りない」


 何かが足りない。あの箱庭には何かが足りない。

 ずっと思ってきたが、それが何なのかは一向に分からなかった。


「……足りないんだ」


 柿の木のことを思い出したときも、それは分からなかった。記憶の水底に沈みきってしまったものなのか、それともそもそも想定していなかったものか。


「……………………分かった」


 そしてついに分かった。

 箱庭に欠けているもの。近すぎて、近すぎることで想定すらしなかったもの。


「……ちょっとこっちに来なさい。後一つ、足らないものがあった。すぐに作ってあげるから、おじいちゃんに貸しなさい」

「えー。もう十分だよ!」

「そんなこと言わず、貸してみなさい。材料はもうあるから、すぐに作れるよ」

 満面の笑みで祖父は続ける。


「実物に勝る材料は無いからね。すぐに完成するよ」


◇ ◇ ◇ ◇


 陽の暖かい光が辺りを包む、初夏の陽気。

 昔ながらの作りである旧家の軒下。祖父は一人、作り終えた箱庭を見ていた。

 それは小さいながらも精巧な作りで、絶妙な深緑色の粉が吹きかけられた綿で作られた垣根はぐるりと模型の家を囲み、小枝で組んである門を挟んでいる。  門から母屋へと続く砂利は小石で再現されており、他の露出している土台部分も見事に再現している。まばらに生えている草の造詣は、かしこに散りばめてある薄緑色の粉末で表現し、模型の家も土台から木工細工で作った手作りで、縁の下から屋根まで細部まで見事なつくりになっていて、仕上げにニスを塗ってある。

 庭に伸びる柿の木は身ぶりの良い小枝が広がり、傍らには子供が一人。

 生っている実を取ろうと、手を伸ばしていた。

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箱庭 びば @yomogiviva

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