宇宙ラジオ

旦開野

宇宙のどこかから放送しています

 午前0時。自室の窓を開けてベランダに出る。外は少しじめじめしていて、雲の隙間から月明かりが見えた。今日は星があまり見えない。ポケットに入れておいたイヤホンを耳に突っ込み、古いカセット付きラジオに繋げる。僕は、使われていないはずの周波数にダイヤルを合わせる。

「こんばんは。今日も宇宙のどこかから、誰かにこの声が届いていることを願って、放送しています」

 毎晩、僕に聞かれてるなんて知らずに、彼はポツリポツリと話し出す。








「言われなくてもやるよ」

「嘘言いなさい!一昨日だってそう言って宿題忘れてたじゃない!どうせやらなきゃいけないんだからやっちゃいなさい! 」

「……」

「ちょっと!!聴いてるの? 」

「……うるさいな、ちょっと黙っててくれよ! 」

 23時55分。部屋のドアを挟んで母が怒鳴ってきた。ゲームの音がうるさかったのか、起きているのがバレてしまったようだ。最近ずっとこんな調子だ。僕は母の怒鳴り声から逃げるように、前におじいちゃんからもらった古いラジオとイヤホンを持ってベランダに逃げた。

 母が意地悪で怒鳴りつけているわけではないというのを、僕はわかっている。それでも、母の言うことを素直に聞こうとすると何だか体がむずむずして、イライラして、ついつい怒鳴り返してしまう。そんな自分にもムカついてしまう。行き場のないこの気分を落ち着かせるために、僕はラジオを使って現実とのつながりを遮断する。深夜になると住宅しかないため、あたりは真っ暗になる。そのおかげでこの辺は星が綺麗に見える。僕の頭上には、春の大三角形が輝いていた。

 ラジオのチャンネルを次々と変える。別にお気に入りの番組があるわけではない。僕の耳を塞いでくれれば十分だった。この日までは。



ザザザザザ……


 突然ノイズが入った。騒音はしばらく続いた。チャンネルを変えても誰の声も、歌も、ジングルも聞こえてこない。このラジオももう古い。僕はてっきり壊れてしまったのかと思った。寿命だよなと諦めながら、しかしまだ眠る気にもなれず、星空を眺めながらその雑多な音に耳を傾けることにした。


「マイクテスト、マイクテスト。これで記録できてる?」

 突然入った男性の低い声。

「うわっ」

 僕はびっくりして思わず声を上げてしまった。一体これはどこの局の番組だろうか。キー局の放送とは思えない。ローカルの番組か、個人が発信している微弱な電波をキャッチしてしまったのだろうか。僕は気になってチャンネルを変えることができなかった。

「どこかの誰かに届いていることを願って。宇宙を彷徨うものから愛を込めて……ちょっとかっこつけすぎたかな」

 この人は一体何を言っているのだろうか。僕はそう思った。


 番組は特にBGMが入らないままに淡々と進んでいった。番組と言っても男性が一人、たわいもなく、主に惑星や宇宙について話をしているだけなのだけど。やはり個人が趣味でやっているラジオのようだ。それにしても宇宙を彷徨うものって、どういう設定なのだろうか。宇宙からラジオが入るなんてありえない。というか宇宙を彷徨うって……膨大な空間で彷徨っていたら人間は生きていけないんじゃないだろうか。自分は宇宙人か何かの設定なのだろうか。色々ツッコミどころは多いが、宇宙についての知識はものすごく、話自体は面白いのでついつい聴いてしまう。彼はよほど宇宙が好きなんだろう。


「それではまた明日。またこの時間にお会いできることを、誰かが聴いてくれていることを祈っています。お休みなさい」

 聴き終わって部屋に戻ると、時計の針は午前1時を指していた。


 しばらくの間、深夜0時にベランダに出て、星空の下、自称宇宙を彷徨う人のラジオを聴くのが僕の日課となった。マイペースに話す彼の声は僕にとって、心地の良いものだった。

 彼はいつも同じ言葉で番組を閉める。

「またこの時間お会いできることを、誰かが聴いてくれていることを祈っています」

 僕はこの言葉を聴くたびに、彼に伝えたかった。また今日も会えたと。また今日も僕はこのラジオを聴いていると。しかし伝える手段がなかった。普通のラジオ番組であれば、メールアドレスや住所、最近ではホームページやSNSなどからラジオパーソナリティに想いを伝えることができる。しかし相手は個人でやっているラジオ局だ。住所を教えるわけにはいかないだろう。SNSや、ホームページくらいなら作れそうなものだが、彼はそれらの情報については一切触れてなかった。僕は彼のおかげでずいぶん心の平穏を保つことができている。とても感謝しているのに、何もできないことがとてももどかしかった。

 

 この日の放送はいつもと違った。彼が話し出す前、いつもは静かなのになんだがゴーゴーという大きな音が聞こえた。そんな中で、彼はいつも以上に声を張り上げながら話し始めた。

「この放送は今日が最期になるだろう。いつもの時間に始めることができて本当によかった」

 どういうことだろうと、僕は後ろで聞こえるゴーゴーという音にかき消されそうな彼の声を懸命に拾った。

 彼はここで初めて、自身のことについて話し始めた。


 今から5年ほど前。有人ロケットが火星へ向かって飛び立った。1969年に人類は月へ降り立ったが、それ以来、人は火星どころか、月にすら着陸していなかった。しかしこの年に行われたのは火星の有人探査計画。成功したら人類は宇宙に歴史的一歩を再び踏み出すこととなるはずだった。ロケットに乗り込んだのは4人の宇宙飛行士。そのうちの1人は星圭吾という日本人だ。

 彼らを乗せたロケットは無事に打ち上がり、計画通りの航路を辿った。しかし打ち上げ成功から3ヶ月、ロケットは消息を絶った。広大な宇宙の中、一つのロケットを探すことなどほぼ不可能。絶えず地上からなんとか連絡を取ろうと発信を続けたが、いつまで経っても応答はなく、火星着陸の計画は失敗に終わった。


 今ラジオを通して話しているのはその日本人宇宙飛行士、星圭吾だという。自分たちはロケットに残った燃料、食料で今まで生きながらえたものの、広大な宇宙の中で、航路を見失った今、ただただ宇宙を彷徨うことしかできないのだと言う。そして燃料がつきかけ、ロケットは近くを通る小さな星に衝突しようとしているとのことだった。

 僕は彼の語ること全てを信じることができなかった。だって高度な技術を持ち合わせている宇宙機関が受け取れなかった彼の言葉を、どうしてこんなオンボロラジオが受信するのか。そんなことありえるはずがないじゃないか。だけど……


「もし、この記録を聴いてくれている人がいるならば、伝えて欲しいんだ……私の家族に……」

 それを聴いた途端、僕はカセットの録音ボタンを押した。嘘か本当か、ありえるかありえないかは後で考えればいい。今はとにかくこの音源を残す必要があると僕は思った。これが僕が唯一できる、彼に対しての恩返しだろうから。 

 彼はゆっくり、そして丁寧に奥様と娘に向けて、最期になるであろうメッセージを口にした。言葉を終えたところでイヤホンからはドーンという大きな音が聞こえ、砂嵐が流れた。僕はそっとラジオの録音ボタンを押した。頬には何か、温かいものが伝っていた。





「間違いありません。主人の声です」

星圭吾の奥様、幸恵さんは涙ながらに答えた。10歳になるらしい真美ちゃんはその様子をキョトンとしながら見ていた。

 僕はこの放送を聞いた翌日、星さんのことを調べ、以前勤めていた会社に問い合わせて、奥様に会わせてもらえるようお願いした。母の協力もあって、こうして幸恵さんにカセットテープを渡すことができた。

「どうしてこんな普通のラジオで、圭吾さんの声が聞こえたのは分からないけど、とにかくお渡しできてよかったです」

「本当に。不思議なことがあるものですね」

 薄いピンクのハンカチで涙を拭きながら幸恵さんは答えてくれた。








「あなた、いつの間にそんなにしっかりしたの。幸恵さん、関心してたわ。しっかりした息子さんねって」

 車の運転席から母はそんなことを言った。僕はその言葉にうまく答えることができなかった。

「あのさ……」

僕はなんとか声を絞り出した。伝えなきゃとは思うけれど、やはりどこか気恥ずかしかった。

「最近ちょっと喧嘩腰だけど、ちゃんと感謝してるから」

「何?急にどうしちゃったの?」

「いや、別に……」

 今回、なんの偶然かは知らないけれど、圭吾さんと繋がった。だけどそれは一方通行で、僕の気持ちを圭吾さんに伝えることはできなかった。彼は宇宙に飛び立つ前、きっと家族に想いを伝えただろう。だけどそれでも物足りなかった。今回、僕がたまたまその声を届けられたけれど、圭吾さんの声は、もしかしたら幸恵さんと真美ちゃんに届かなかったかもしれない。人はいつ、どんなことが起こるかわからない。僕は出来る限り、後悔のない人生を送りたい。僕の想いはできる時にちゃんと伝えたい。ただそう思っただけだ。

「ふーん」

 そう答えた母は、心なしか嬉しそうに見えた。

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