エピローグ

 クリスマス当日。学校が冬休みに入ったこともあって、平日の真昼間はフリー、何者にも時間を縛られることはなくなった今日この頃。

 俺はカバンに一生懸命完成させた企画書を詰め込み、いつも足取りが重いと感じていた出版社へと足を運んでいた。


「はい、これでいいでしょう」


 そして、コーヒーのカップが三つ重なった時、槙原さんからそんな言葉をいただいた。


「ホンマでっか!?」


「TVにでも流れそうなタイトル風に驚かないでください」


 まったくもう、と。槙原さんはため息を吐く。


「いや、だって! 今まで「あ、これが恋人いない原因なんだな」って思うぐらい容赦なく何度もボツにする槙原さんがいいって言ってくれたんですよ!?」


「ぶん殴りますよ?」


 あら、容赦ないお言葉。


「初めの「マジで、今回は、自信作なんです!」という言葉はどこに行ったんですか?」


「だ、だってですね……」


 今まで何度もボツを食らえばそりゃあもう不安になるに決まっている。

 ここまでは自信があったものの、槙原さんの目を前にしたら意気消沈してしまうのは必然だと思う。


「まぁ、お気持ちは理解できますのでこれ以上は何も言いませんけど……とにかく、私はこれで問題ないと思います。正直、面白い《・・・》です」


「ッ!?」


 面白い───その言葉に、思わず涙が出てきそうになる。

 その一言だけで、今までの苦労や努力が報われたような……そんな気がしてしまうのだ。

 安心という言葉は本当に強力だと思う。一気に口の中が乾いてきてしまった。


「私はこれで問題ないです。ラブコメの流行りも少し取り入れつつ『付き合ってから』のラブコメらしいコンセプトとストーリー……今までにはない『味』と『面白さ』を感じました。後はお話させていただいた通り、編集長がこの企画書を見て判断します───まぁ、この内容であれば問題ないでしょうが」


 槙原さんの一言一言が俺の胸をすいてくれる。


「お、俺は何をしたらいいですかね……?」


「何もしなくて結構です。というより、出版をしたことがないわけではないのですから、この後の流れはご存知でしょう? 加え、企画書提出する前にお話しましたよね?」


 企画書が編集に通れば、次は企画書会議に通す。本来であればそこで出版が決まるのだが、今回は予め根回しはしてあるので編集長さえ通れば形だけの企画書会議を経て出版が正式に決まる。

 後はプロットを槙原さんと練って初稿を進める───そんな流れだ。

 もちろん、槙原さんの言う通り事前に教えられてはいた……けど、若干舞い上がっているんだ、忘れていても仕方がない。


「うっす! ご連絡待ってます!」


「ふふっ、ここからは私が頑張る番ですので、気長に待っていてください」


 頑張ります、と言って槙原さんは席を立つ。

 今日に限ってはいつもより短い打ち合わせだったが、終わった時の気持ちは今までとは雲泥の差だ。

 立ち上がり、部屋から出ようとした槙原さんの足が止まる。


「リアリティを含みつつ、共感や憧れ、体験がしっかりと練られていました……今までの中で一番のデキです」


 ポツリ、と槙原さんの口から溢れた声は、どこか柔らかいものだった。


「如月先生の頑張りはよく理解しているつもりです。だから───如月くん《・・》は本当によく頑張りましたと、一人の大人として褒めさせてください」


「……こちらこそ、今までありがとうございました」


 その言葉を言い残し、立ち去る槙原さんに向かって頭を下げる。

 槙原さんは、俺が何度も面白くない企画書を持ってきても真剣に見てくれた。

 見捨てないで、実った今日まで一緒に考えてくれた。そのことに、感謝を抱かないわけがない。


「……さてと、行きますかね」


 槇原さんが扉を閉めて姿が消えたことを確認すると、俺は横の椅子に置いてあるカバンを手に取ってそのまま部屋を出る。

 まだまだ明るいが、薄らと空は曇りがかっており、白い点がまばらに落ちていく景色が去り際に窓から見えた。


 ♦♦♦


「せ~んぱいっ! お待たせしました!」


 出版社を後にすると、最寄りの駅前で俺を呼ぶ声が聞こえた。

 人がごった返している中、メッシュの入った髪の少女が手を振ってこちらに向かってくる。


「おう、待ってないけどお待ちしました」


「ふふっ、何ですかそれ」


 近くまで寄って来た睦月はおかしそうに笑う。

 もう一度言う―――今日はクリスマス。つまり、睦月とデートをする日だ。

 あの時、過労で倒れかけてしまった睦月は二日で体調が回復し、無事にクリスマスデートに間に合うことができた。


 かくいう俺も、さっきまでのやり取りを見れば分かる通り、企画書を無事に完成させて今日という日を無事に迎えることができた。

 今の俺達に何も背中にのしかかるものはない。これで思う存分デートすることができるぜひゃっほい!


「先輩は、出版社からそのまま来たんですか?」


「まぁ、一回家に帰ってたら間に合いそうにないし」


「時間ずらせばよかったですかね?」


「安心しろ睦月。俺はそのままデートができるような格好で来ているから問題ない」


 まぁ、朝一からワックスは非常に不快ではあったのが。少しベタベタしたこの感じってあんまり好きじゃない。


「そうですねっ! 今日の先輩は格好いいので問題なしですっ!」


「ん、照れるー」


 満面の笑みで言ってくれるんだもの。照れてしまうのは仕方ないと思う。


「そういえば……そ、その……」


 満面の笑みから一変。言葉に詰まりながらモジモジとし始める睦月。

 そして、おずおずといった様子で口を開いた。


「……企画書、どうなりました?」


 睦月にはちゃんと出版社に企画書を出してから来ることは伝えたもんな。気にならない方がおかしいか。

 ……今回の企画書は俺と睦月の二人で作ったと言っても過言ではない。

 睦月がいなければこの企画書も作れなかったし、『付き合ってから』のラブコメも理解することができなかっただろう。


 睦月には企画書がどうなったのか聞く権利がある。

 だから、俺は睦月の心配そうな顔を覗き込んで大きくサムズアップをした。


「バッチリ! 無事に企画書を通せました!」


「ほ、本当ですかっ!」


 睦月の表情が喜びに変わる。


「マジもんの、マジ。睦月のおかげで槇原さんからの許可はもらったぜ!」


「や、やりましたね先輩っ! これで夢が叶いましたよっ!」


 ピョンピョンとその場で飛び跳ね、まるで自分のように喜んでくれる睦月を見て思わず笑みが零れる。

 ……この世広しと言えど、ここまで喜んでくれるのは睦月だけだろう。

 自分のためにここまで喜んでくれる少女は、やっぱり俺の彼女だけだ。


「これも睦月おかげだよ。ありがとうな」


「いえいえ、お気になさらずっ! 先輩の夢は私の夢! 先輩のお隣にいるのは私ですからねっ!」


「……そうだな」


 お礼代わりに、俺は手袋をはめた手で睦月の頭を撫でる。

 嬉しそうに目を細めた睦月は、まるで猫のように見えた。


「それじゃあ先輩、時間が減っちゃうのでそろそろデートをしましょうか!」


「おう、行くか」


 撫でた手を下ろし、流れるように自然と手が繋がれる。

 吐いた息は降っている雪のように白く、今日だけはそれがどこか幻想的に見えた。


 ――――さて、俺という物語がラブコメであるのなら。


 Q.ラブコメは付き合ったらお終いですか?


 という問いにどう答えるべきだろうか?

 前までの俺であれば『分からない』と答えたかもしれない。

 付き合う過程こそが一番であり、付き合ってからの時間に劇的なものなんてないのだから、と。

 だけど、今であれば違った解答が出せると思う。

 だって───それは全て俺の彼女が教えてくれたのだから。


 A.ラブコメは付き合ってからが最高のラブコメである。

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Q.ラブコメは付き合ったらお終いですか? A.終わらせちゃうんですか? 楓原 こうた【書籍6シリーズ発売中】 @hiiyo1012

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