睦月がいてくれたから

「……え?」


「むしろ、睦月じゃないと嫌だ。それだけははっきりと言える」


 蟠りと不安を消して、今の俺の言葉を伝えたい。

 生憎と、俺は睦月みたいにエスパーじみた察する能力は持ち合わせていない。

 だから、ちゃんと言葉で伝えなければならない。


「睦月が役に立たないなんて思ったことはない。睦月が教えてくれた『付き合ってからしてみたかったこと』や、『付き合ってから』のラブコメも、俺の企画書作りに役立っている」


 お世辞でも気遣いでもないのだと伝えるために、言葉だけでなく態度でも伝えようと思った。

 だから、俺は掴まれる袖に伸びた手を握る。


「睦月は作家じゃないから桜や姉崎さんよりも知見がないのは当たり前だ。だけど、俺は睦月が隣に立ってほしい人間だと思ってる。何故か分かるか?」


「……分かりません」


「それは、別に作家業だけが俺の全てじゃないからだ」


 俺の夢は本をもう一度出すこと。それに変わりはない。

 だけど、俺を構成する全てがその一つに集約されているわけじゃないんだ。

 日常生活のちょっとしたことで笑ったり、泣いたり、怒ったり、不安になったり、幸せだと感じる一時全てが、作家とはまた別のこと。

 会いたいと思う人間は睦月だけ。それは、そんな日常生活の喜怒哀楽を大部分が睦月の存在によって占めているから。


 作家で食っていける人間なんて極僅か。そんな人間じゃない方が多い。

 つまりは、作家であり続ける時間の方が少ないんだ。

 四捨五入しているわけではない。損得で天秤に乗せているわけではない。

 日常という大部分が人生の大半を占めているからこそ───その日常にいてほしい人間こそが隣に立ってほしいんだ。


 だから、俺は睦月に作家業で役に立ってほしいとは思わない。

 ……ただ、隣にいてくれるだけでいいんだ。


「俺は睦月が好きだ。それ以外の理由で隣にいちゃいけない理由を立てるな。役に立つ立たないは勘定に入れたことなんてこれまで一回もない。役に立たなくても睦月は俺の隣にいてほしいし、今回してくれたことは俺の中では十分に役立ってるから胸を張れ。桜でも姉崎さんでもできないようなことを教えてくれたんだ……これ以上、睦月が頑張ってくれる必要なんてないんだよ」


 後は俺の仕事だしなと、優しい笑みを向ける。


「先輩……」


「それに、勘違いしてるから言うが……別に、今回の企画書がダメでも次がないわけじゃないからな?」


「そ、そうなんですかっ!?」


「そうそう。ただ単に、それぐらいの意気込みで頑張るってことを言ってただけ。締め切りが今月っていうのは合ってるけどな」


 確かに、あのセリフだけ切り取られてしまえば勘違いされてもおかしくない。

 ……申し訳ないことをしたような気もするけど、普通は盗み聞きしてるとは思わなかいからなぁ。


「そ、そっかぁ……」


 睦月は俺の言葉を聞いて心底安心したように力の抜けた表情をする。

 それぐらい心配をかけてしまったということだろう。


「……それならそうと言ってくださいよぉ」


「睦月が言おうとしなかったんだからな?」


「……私なら言わなくても分かりますもん」


「俺も早くその域に行けるように頑張るよ」


 不意に握っている睦月の手の力が抜ける。


「……安心したら眠たくなっちゃいました」


「寝とけ。回復するまで絶対安静だからな」


「……クリスマスまでには治します」


 重くなった瞼が何度も閉じたり開いたりを繰り返す。

 これから飯があるんだが……まぁ、本人が寝たいならそれでいいだろう。

 菜々花さんには、後でちゃんと説明しないとな。


「……最後に、ギューってしてください」


「それは手を握ればいいのか?」


「……違います。安心したので私の体をギューってしてほしいんです」


「なんじゃそりゃ」


 小さく苦笑しながらも、俺は睦月の体をそっと起こす。

 そして、背中に手を回して細く華奢な体を優しく抱き締めた。

 体を労わるように、安心させるように全身を包み込む。

 俺の背中にも、睦月の力ない手が回される───いつもとは違うハグだな、と。不思議とそう思ってしまった。


「……ありがとう、ございます……先輩……大好きです」


 抱き締めること数十秒。そんな言葉を言い残した睦月から、どこか可愛らしい寝息が聞こえてきた。

 安心という言葉は強力なものなんだなと、寝顔になってしまった睦月を見て思う。


「……ありがとな、睦月」


 俺はゆっくりとベッドに寝かせると、睦月の頭を起こさないようにそっと撫でる。

 ここまで自分のことを考えて行動してくれたこと、自分の隣に立っていたいと思ってくれていたこと、俺のために頑張ってくれたこと。


(俺も安心したからかなぁ……)


 その全てが、俺の胸の内に『嬉しさ』として込み上げてくる。

 誰が、ではなく睦月だから。

 俺のことを考えて頑張ってくれていたことは心配の面も大きかったが、こうして一人思いに耽ってしまうと嬉しさしか感じない。

 睦月がいてくれてよかった。睦月が彼女でよかった。

 そんな『大好き』という言葉が、今まで以上に強くなってしまうのを感じる。


「あぁ、そっか……これをコンセプトにすればいいのか」


 今まで、読者に『何を伝えたいか』が分からなかった。

『付き合ってから』のラブコメにおけるストーリーやキャラクター、設定までは思いついたのだが……後一歩が足りず苦悩していた。

 だけど、恋人がいるからこそ味わえる『この感情』こそをコンセプトにすれば、明確な差別化と共に憧れや共感を抱かせることも可能になるかもしれない。


 この感情───それは、愛しい彼女に対する『喜び』。

 好きな人が隣にいるからこそ幸せに感じて、好きな人が隣にいるからこそ心配をしてしまって、好きな人が隣にいるからこそ感謝をする。

 彼女の一つ一つの行動全てが、自分に大きな影響を与えてしまう。

 例えば、自分のために頑張ってくれた睦月に対して抱いた……嬉しさ。


 正しく、『付き合ってから』じゃないと味わえない感情だ。


「何だよ……役に立たないなんて卑下しすぎだろ」


 こんなにも役に立ったのに。


 睦月のおかげで───最後の最後まで思いつくことができたのに。

 睦月のおかげで───『付き合ってから』のラブコメが分かったのに。

 睦月のおかげで───俺はラブコメを書けそうな気がしているのに。


「俺の彼女は、睦月以外にあり得ないよ」


 俺の言葉を聞いていたのか、寝顔を見せている睦月の口元は若干笑っていた。


【付き合ってからしてみたかったこと】

 ✖手を繋いでみたい

 ✖一緒にご飯を食べたい

 ✖食べさせ合いっこをしてみたい

 ✖お家デートをしたい

 ✖たまにでいいからハグしてみたい


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