睦月が頑張る理由

 間一髪とは正にこのことだろう。

 階段を踏み外し、そのまま転げ落ちていたら運が悪ければ大事だ。

 様子が気になって見に来れば、落下する睦月の姿があって……流石に冷や汗をかいた。


 とりあえず、見るからに体調が悪そうな睦月を部屋まで運び、そのままベッドへ寝かせた。

 菜々花さんには話はしてあるので、今日の夕飯をご相伴に預かることはなさそうだ。


 きっと今頃、冷えたタオルとか病人食を作ってくれている頃だろう。

 ……それにしても、こんな状況だっていうのに『YES/NO』枕が雰囲気ぶち壊しの一物にしか見えて仕方がない。


「……どうして、ここにいるんですか?」


 ベッドに横たわった睦月が弱々しそうに口にする。


「飯を食いに来た」


「……嘘です、先輩ってご飯を食べに来るぐらいじゃ私のお家になんて来ませんよ」


 その通り、俺はきっと飯を食べに来るぐらいの理由じゃこの家には来ない。

 ……メンタルごっそり削られるからな。


「まぁ、嘘ではあるんだが……とりあえず、俺が来た理由は今の睦月ってことで理解してくれね?」


 病人にあまり喋らせたくない。とりあえず、元気になってから色々話したいところだ。

 しかし、睦月は俺の顔に体を向けながら口を閉じようとしなかった。


「……やっぱり、心配で来ちゃったんですね」


「分かってんなら、今は休めよ」


「……分かってますけど、ちょっと先輩とお喋りしていたいです」


 ベッドから伸びてきた小さな手が俺の袖を握る。

 行ってほしくないと、弱くて力が籠っていない手が如実にアピールしているように見えた。

 別にどこかに行くつもりはないが……少しだけなら話し相手をしてもいいだろう。

 睦月が寝るのは飯を食べてからになりそうだからな。


「とりあえず、風邪じゃなさそうだってさ」


「……それはよかったです。もし長引いちゃえば先輩とのクリスマスデートに行けなかったですもんね」


「言っておくが、風邪じゃないけど『過労』だからな? どっちにしろ、治るまではクリスマスデートはしない」


「そ、そんなっ!?」


 睦月が驚き勢いよくベッドから起き上がる。

 俺はそんな睦月を見て小さくため息をついて、そのまま無理やり横にさせた。


「頼むから、少しは俺達の身にもなってくれ。一歩間違えれば大事だったんだぞ?」


 クリスマスデートは確かに俺も楽しみにしていたさ。企画書は最後の部分を残してデートができるようなところまで進めたし、何なら睦月と行くためにレストランも予約してある。

 だけど、体調が悪いなら話は別だ。来年も行けるデートよりも、睦月の体調の方が大事なんだから。


「……で、でも」


「でも、じゃない。ここは俺も譲らんからな」


「……はい」


 過労で倒れた───までは行かなくとも、足元がフラつくぐらいまでには過労の前兆が来ているのだ。

 その気持ちを分かってくれたのか、睦月は悲しそうな顔をしながら布団にくるまった。


「……最悪です」


「何が?」


「……色々、ですよ」


 デートに行けないことのショックが大きいのか、睦月は小さく弱音を零す。


「……色んな人に迷惑かけて、中途半端にやるだけやって役に立てないし、私ってつくづくダメな子なんだなって思います」


 それは何を指して言った言葉なのか? 具体性も何一つない言葉であった。

 だから、ここまで進んでしまえば───踏み込まざるを得ない。


「……なぁ、睦月? 最近、何を悩んでたんだ?」


 悩んで、倒れそうになるまで頑張った。その理由が知りたかった。

 もしかしたら俺も力になれるかもしれないから。俺も力になってあげたいから。

 倒れたことへの負い目があるのか、睦月は頑なに語ろうとしなかった口をゆっくりと開く。


「……私、先輩の役に立ちたかったんです」


 語り出した口から出てきた言葉は───まさかの俺のことであった。


「……先輩、企画書今月までだって。今月できなかったらもうやめちゃうって」


「……聞いてたのか」


 それは、俺が同期と会った喫茶店で言ったこと。だけど、その言葉は『見栄を張って意気込んだ』ものだ。


「……そんな状況なのに、何も知らない私が安易に『手伝う』って言っちゃったから、先輩は迷惑なんじゃないかって。私のために渋々付き合ってくれたんじゃないかって」


 そんなことはない。睦月の行為が迷惑だなんて思ったことは一度もない。


「……だから、何もしないで先輩の時間を作ろうって思ったんですけど───そしたら、私は先輩のことを支えてあげられるような女の子じゃなくなっちゃうから……あの人達みたいに先輩を支えてあげられないから」


 あの人達───それはきっと、桜や姉崎さんのことを言っているのだろう。


「……だから先輩の役に立たなきゃって。あの人達に負けないように、先輩の隣にいるのは私じゃなきゃいけないんだって……そう思ったから」


 チラリと、睦月の机の上を見る。

 そこには大量に積まれたラノベの山と、開かれたままのノートが広げられてあった。

 積まれてあるラノベは全てラブコメのジャンル。ノートにはいくつもの蛍光ペンの印が目立っている。


(なるほど、ね……俺のために調べてくれてたのか)


 きっと、睦月が言ってくれた『付き合ってからしてみたかったこと』は、ラノベを知らない人間の思い付きの言葉だから、本当に役に立てるような情報を読んで纏めて教えてようとしてくれたのだろう。

 机の上を見ただけで、睦月の頑張りやその理由、気持ちと行為が痛いほど伝わってくる。


「……でも結局ダメでした。先輩に心配かけちゃって、こうして私のせいで時間を奪っちゃって……本当に、ダメな子です」


 弱々しい言葉はそれを最後に途切れてしまう。

 横になっている睦月の瞳には薄らと涙が浮かんでおり、それほどまでに思い悩んでいるのだと窺えた。


(馬鹿だなぁ、睦月は……)


 そんなことを思ってしまう。

 勝手に一人で悩んで、頑張って、倒れそうになって───本当に馬鹿としか思えない。

 そしてそれ以上に───嬉しいと思ってしまった。


「言いたいことはいっぱいある……が、とりあえず一つだけ───」


 俺は睦月に浮かんだ涙を手で拭いながら、その瞳に向かって真っ直ぐと言い放った。


「俺は、睦月が隣に立てないような女の子じゃないと思っているよ」

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