0P

エリー.ファー

0P

 後ろからやってくる影は、もう間もなく先頭にたどり着こうとしております。

 このままでは、影が一着ということになってしまいますが、大丈夫なのでありましょうか。

 多くの観客が固唾をのんで見守るこの状況でたくさんの人の理解を乗せて、しかし、まるで学ぶことのできない要素を多く乗せてレースは大きく動いております。

 状況が状況なだけに、今は職員も右に左の大騒ぎとなっていますから、これがどれだけ特異なのであるかは、理解できることであると思われます。

 影は、影です。

 何者かの影ではありません。

 影自体が本体なのです。

 クラシックカーを四台飲み込み、トラックを三台も飲み込み、落ちてきた枯葉を芝生を飲み込み、馬をもう七頭飲み込んでおります。

 しかし、勢いは決してとどまるところを知りません。どのようなものが足止めとなるのかは一切分かりません。

 場内は、場内は水を打ったように静かであります。

 この声だけが、私のこの声だけがただ響き渡っているのは非常に不気味であります。

 伝説になることは間違いがないというのに、なんとも不吉であり、なんとも忌まわしいのです。これはいけない。これはいけません。多くの人の希望や期待の込められているこの場所で、このような状況は避けるべきと言えるでしょう。

 影は。

 何を思っているのか。

 何を感じているのか。

 何を知っているのか。

 あぁ、もう追わない。

 後ろがついていかない。

 あぁ、止まった。完全に止まった。

 影を追うことをやめてしまった。二位以下でいいと、そのように認めるような走り。

 もう、影の一位が確定でしょう。完全にすべてを飲み込みました。もう、誰も抜け出すことは絶対にできないでしょう。美しいまでの黒。気高い漆黒。

 見てはいけない。見てはいけません。魅入られてしまっては何も残りません。目に見えるものだけではなく、見えぬもの、定義も理解も思想も心もすべて飲み込んでいきます。

 わずらわしさが減ったと喜ぶ方もいらっしゃるかと思いますが、そんな甘いものではありません。あの影の中には神がおります。いずれ、誰かが本物であるとして真似すれば大けがをすること間違いありません。

 完全に、一人舞台。

 足並みを揃えようとしないその姿が、気が付けば光を切り裂く風になる。

 誰もいない。誰も来ない。誰もいやしない。

 犠牲のもとに存在することを意識させる、哲学の塊。

 速度と、速さと、速攻が合わさった現代の魔物。

 鉄のような無骨さに綿のような柔軟さが合わさった影という別種。

 神に愛されながら嘘をつきとおす、矛盾した刹那的発想。

 置き去りにされた者たちを不幸に突き落としながら、その身を地獄に置こうとする悲観的な戯れ。

 これは、これはなんということでしょう。

 私たちの意識が失われていきます。まるで、かき消えるかのような感覚です。腕が消えます。脚が消えます。目が消えます。

 間もなく口も消えるでしょう。

 意識だけがしっかりとあります。まるで実況だけは続けろと神からの啓示を受けているかのようであります。

 死ぬことの恐怖を、生きることの恐怖を、そして勝つことの、負けることの恐怖をその魂に焼き付けて走り続ける闇のことを、私は、皆さんは、人類は、決して忘れることはないでしょう。

 神に愛されなくとも、神が愛されようとした名馬。

 影。

 堂々の一着です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

0P エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ