時間さん

猿川西瓜

お題 ゴール


 自分の吐く息の白さを楽しんでいた。

 今年の年度末に私は小学校の仕事を辞めるつもりだった。

 こんな寒い中で立っていることももうないのだろうなぁ。そう思うと、今までの、説明しづらいまでの多忙な日々も、懐かしく思い出されてくる。


 ゴール前で次々と抱き合ったり健闘をたたえ合う小さなランナー達を眺めていると、微笑ましく、退職をすることを少し後悔してしまう。けれども、自分にとってはもうこの仕事は体力の限界だった。


 ほとんどゴールしたあと、最後の一人が入ってきた。隣のクラスの、太っている子だ。よく完走したと思う。ポンポンと手袋で拍手しながら彼を迎えた。

 大阪城公園半周のコースだが、小学6年生にとってはマラソン並みの長さに思えただろう。

 その子のクラス担任の「よく頑張ったね」という声が聞こえる。

 けれど、私にとってはなんとなく気になることがある。職員会議でもある程度は聞いていた。

 学校関係者ではない、母親らしき人がいた。参観日でもないのに保護者がたった一人、特別にそこにいた。その人が、まだ道の向こうをじっと観ている。

 実に人の良さそうな顔だった。

 最後の一人の太っている子は、その人の子どもではなかった。

 母親は、心配そうにまだやってこない息子を笑顔を浮かべて待っている。


 ゴールテープはまだ張ったままだったが、ポールやテント周辺が徐々に片付けられはじめた時、一人、バランス悪く走ってくる子がいた。

 ガリガリの男の子だった。わき腹が痛いのか、よろよろしている。それにしても細い。とても髪が長く、女の子のようにも見える。

 ゴールした瞬間、母親が「はい、がんばったね。お疲れ様」と言った。

 そのゴールの仕方も変わっていた。テープの横を通り過ぎてきたのだ。彼はテープを切っていない。ゴールをしない、ゴールだった。


 その子はゴール後、いきなり母親を蹴り始めて、叩き始めた。

 そして体中を手で触り、手のひらをふっふっとふきはじめた。

 まるで掃除でもするように。お風呂で、手で身体をこするようにしては、手のひらに息を吹きかけていた。


 まわりの同世代の子は、ポカンとした顔で見ていた。同じクラスであろう子らは、どこか微妙な表情だった。

 自分はゴールの片づけを手伝い、テントをたたんでトラックに乗せた。母親と息子はそのまま歩いて帰っていった。体育館にこのあといったん集合なのだが、母親とその子は別行動らしかった。クラス担任のT先生も、「どうも、お疲れさまでした」とその母親に深々と頭を下げていた。T先生も、今年で辞める。といっても教職は続けるらしい。

「あの子が卒業するので、私もホッとしてこれを機会に別のところに行こうと思って」

 T先生はベテランの女性教諭で、どんな問題児も扱える名先生として後々わりと有名な校長になる。

「あの人はYさんとこの子どもだよ。小学校三年生からああなったんだって。どうしてそうなったんだろうね」

 片づけをしている男性教諭のKさんが言った。


 自分の姪っ子は元気に学校に通っている。小学校三年生の姪っ子の顔がふと浮かんだ。

 トラックの助手席に乗りながら、短い時間だがKさんから事情を少しだけ聴いた。


 その子は三年の頃から半分登校拒否で、こうやって体育の時間だけやってくるのだった。体育の時間だけで三年間が過ぎた。授業に出ていないのに進学しているのは、校長の裁量によるものらしい。

 最初は部屋から出ずに、ベランダでトイレをしていたらしい。

 風呂上がり、タオルは使えなかったが、しぼったタオルは使えるようになったらしい。今までは空気乾燥にまかせて身体を乾かしていたという。

 そうして、少しずつ回復していっているが、ショックなことが起こると、体中を洗うためにランドセルごと風呂場に入って教科書をぜんぶびりびりにやぶいて、泣いていたことがあったらしい。母親が教科書をストーブで乾かして、セロテープでつなぎ直したという。


 親不孝なお子さんだ、とは思わなかった。自分だって、学校が辛くて辛くてたまらない暗黒時代があった。……いや、そういうレベルではないだろう。結局、父親は何をやってるんだとか、父親批判みたいなオチになった。

 ……そういう問題でもないだろうなと思いながら、適当に話していると、自然とそういう流れになった。父親も、やはり辛いだろう。


 トラックから、ふと窓の外を見ると、歩道をその当の親子が歩いていた。

 遠くからでもよく分かった。その子はあまりにも透明な目をしていた。こんな綺麗な目があるだろうかと思った。年を重ねて、色んな事を知って、どんな大人になるのだろうか。

 しぜんと、涙がポロポロと出てきた。

 自分が母親だったら……とか、かつての自分とかを重ねたのではなく、ただ単に、とても悲しかったのだった。

 ビリだから悲しいとか、走っていて悲しいのでもなく、悲しいから悲しいでもない。

 ただ、時間が悲しんでいるのを感じているような。そんな遠くからの悲しさだった。


 自分はそれを「時間さん」と名づけた。「時間さん」という人物とかそういうのがいて、その時間さんはとても悲しんでいる。それにつられて自分は泣いている気がする。


 その後、その子は、学校にほとんど来ていないのに、Kさんの話通り校長が留年をさせることを拒否させ、無理やり中学に入れることになった。彼がいったいどんな大人になったかはわからない。


 しかしその子の印象は目だけで、不思議と母親だけはよくおぼえている。

 横断歩道の向こう側に緑色のゴロゴロを持って買い物をしている姿を見たことがある。いかにも上品な人で、自分は一言二言会話したことがある。


 あの母親は、そして息子はどんな人生を歩んでどんな所にたどり着くのだろう。

 それは他の生徒たちも同じだったのだけれど。

 今でも、一般企業で事務仕事をしながら、その子の透明な目と、母親が緑色のゴロゴロをひいて歩く姿を思い出しては「時間さん」というのを感じる。

 どこかに立っていて、とても悲しんでいる気がする。

 すすり泣いているかもしれないけれど、お酒を飲んだり、音楽を聴くと、聞こえなくなる。

 母を叩くあの子の姿が、「時間さん」のような気がする。

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