【KAC202110】ゴールは終わりではない

木沢 真流

ゴールは続いていく

「結核の発生届けの記載は初めてですか?」

「ええ、実は私まだ働き始めて2ヶ月なんです」


 画面に映る男性は眉間にしわを寄せると、肩をすくめた。


「なら仕方ないですね、入りたての頃は見るもの全てが初体験ですよね。私も入社したての頃はそうでした」

「はい、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 そんな不慣れな私にも画面の男性は嫌な顔一つ見せず、熱心に指導してくれた。記入の場所、注意が必要な場所、記入漏れが多い場所。その他この届けを出した後、半年後にはどのような書類が必要になるか、その記入の仕方まで丁寧に教えてくれた。頭の薄くなりかけた、目のぱっちりした中年、そんな表現があう男性の額にはよく見たら「熱心」の二文字が書いていそうだった。

 おそらく私が女性だからではない、きっと誰にでもこんな風に指導してくれるんだろうな、そんなことをぼんやりと考えながら、その説明を続けるその男性をしばらくじっと見つめていた。


「あの……どうかしましたか?」

「ああ、すみませんちょっと考え事してて」

「一度にたくさん喋っちゃってごめんなさいね。ここまででわからないことはありますか?」


 私はゆっくりと首を振った。


「大丈夫です、続けてください」


 私がそう言うと、画面の男性は再び説明を始めた。

 私のこのやりとりはひと昔前の人が見たらまるでオンラインで指導でも受けているように見えるかもしれない。

 しかし実際は違う。

 こんなことができるなんて、科学の進歩は目覚ましいなと本当に思う。そんな私の気持ちに気づいたかのように男性はふと説明をやめた。


「それにしてもすごいですね、このシステム。こんなことができるなんて」


 私は思わず、えっ、と声が漏れた。


「そ、そうですね。ちょうど私もそれを考えていました。私の考えた伝わったのかと思って驚きました」


 男性は、はっ、はっ、と声をあげて笑った。


「それはさすがに無いでしょう。だって私にはあなたがどんな人か全くわからないんですから」


 それもそうか、と私は頷いた。私はこの男性のことを知っている、しかし男性は私のことは知らない。なぜならこの男性はAIだからだ。正確には実在する人物の指導、考え、行動などをAIに学ばせて作り上げられたPECUSと呼ばれるプログラムだ。だから私が質問すればそれに対し答えてくれるし、反応もする。でもそれは全てAIが実際に存在した人間を元に計算した行動で、この場合は数年前この部署にいた山本という男性の行動をAIが作り上げたプログラムだ。私はまるでその人物がそこにいるかのように色々なことを聞くことができる。このPECUSのおかげで、引き継ぎの効率は格段に向上した。


「あの……さっきから私のこと見つめてません?」


 はっ、と私はきっと目をまん丸に見開いた。図星だったからだ。


「いや、あの……」

「困りますよ、私これでも妻子持ちなんですから」


 そう言いながら、わっはっはっ、と上げる山本の笑い声を聞きながら、そっちかよ、思わず私は心の中でつっこんでいた。


「山本さん」

「はい?」

「ご家族大切になさってるんですね」


 へ? と一瞬止まってから、山本は鼻の下をこすった。


「そりゃそうですよ、愛する妻と、愛娘ですからね。私のくだらないギャグにも笑ってくれる優しい家族です」


 そんな大切な家族、壊すわけないよ、私はそう言いかけてやめた。その時、後ろから誰かの声が聞こえた。


「あれ? またPECUSしてるの?」


 はっ、として私はすぐにPECUSの電源を切った。


「あの……すみません」

「いいのよ、なにも消すことないのに」


 ベージュのスーツに身を固めた先輩の田中さんだ。キュッとしたウエストと腰まで伸びるブロンズヘア。今日も出来る人オーラが滲み出ている。


「え……と、誰のPECUS? ああ、山本さんね」


 田中さんは私の横に腰掛けると、持っていたコーヒーカップに口をつけた。そしてふう、と一息つくと、遠くを見つめた。


「山本さん、ほんっと面白い人でね、いつもみんなを笑わせてた。部屋に入った瞬間わかるの、今日は山本さんいるかいないか」

「ほんとですか、それって大袈裟じゃないですか?」

「ほんとよ、だっていっつもしゃべってるからあの人」


 田中さんのキリッとした目尻から、優しい笑みが溢れた。


「人に教えるのも一生懸命でね、そのせいで帰るのもいつも遅かったな。それはあなたの方がよく知ってるか、ね? 山本さん」


 私はふと昔のことを思い出した。確かに父の帰りは遅かった。私が小さい頃よく本を読んでとせがむと、途中で寝始めてしまうこともしばしばだった。それを私は叩き起こしていた。遅く帰ってきても、明るい声で「デイヴィッド・ベッカムが帰ってきたよ」とあまり面白く無いギャグをよく言っていた。私と母はそんなに笑ってはいなかった。

 休日には昼寝をしている父の背中に何回もドロップキックを喰らわせ、昼寝を邪魔していた、ごめんねお父さん。


「あれから15年か、まだ見つかってないんだよね? 山本さん」

「——はい」


 そっか、そう呟くと、田中さんは私に少し目をやった。それから小さく頷いた。


「私、まだ信じられないんだよね、山本さんが津波に飲み込まれたなんて。でもさ、あの人のことだから15年後にふと現れて、『いやー、泳いでくるの大変だったー、高い波だったなぁ』なんてずぶ濡れになりながらやってきそうな気が今でもしてるの」

「ですよね、『ベッカムはサーファーなんだぞ』ってよく言ってましたから、サーフィンで来るかもですよ」


 笑った、田中さんと一緒に。

 こうやって笑えるようになるまでどれだけの時間がかかったのだろう、もう覚えていない。最初はどうしたらいいのかわからなかった、まだ遺体がみつかっていない父の帰りを信じたいのか、それとももう諦めて前へ進めばいいのか。結局長い年月が経って、今はその両方があっていい、そう思うようになった。その二つはきっと完全に切り分ける必要はないのかもしれない、その曖昧な境界こそが今の私の心をつなぐ大事なことなのかもしれない、今はそう考えるようになった。


「でもまさか山本さんの娘さんがこの会社に入ってくるとはね」

「そうですね、私も最初は考えてませんでした。でも途中からこの会社に入ることを一つのゴールとして捉えるようになりました。お父さんがどんな人だったのか知りたくて」

「ゴールか、そしてお父さんの成しえなかったゴールを娘のあなたが引き継ぐわけね。今の姿を見たら山本さん、すごく喜んだでしょうね」


 それだけ言うと、田中さんはカップに入ったコーヒーを飲み干した。ふわっと、酸味と甘味のある香りが広がった。田中さんお気に入りのコロンビア豆の香りに違いない。それから、じゃねー、と言って颯爽とブロンズの髪を揺らしながら田中さんは休憩室を出ていった。


 少し前まではこの会社に入るのがゴールだった。でもそれが達成されたら次はここでどう納得できるように仕事をできるかが次のゴールになった。こうやって次から次へとゴールがあって、それを達成したらまた別のゴールがあるのだろう。そうやって人は進んでいくのだ。

 お父さんの時は止まったままだ。でも私は進まなければならない、あの時、時計の針を進めたくても進められなかった人の分まで。だから私は行く、次のゴールに向かって。






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