母と三時のひだまりダイニング

朝月春樹

スコーン

 イギリス風の宿泊施設に研修に行った私は初めてスコーンというものを作った。そのスコーンは口の中の水分が持っていかれるし、ただ甘いだけだしであまり美味しいとは思えなかった。そう、ご飯を頬張りながら話していると「じゃあ、もう一度作ってみるか。」と言う母。私は二つ返事で「うん。」と言った。なんせ、母のレシピはどれも美味しいのだから。母は、冷蔵庫の横にマグネットクリップでまとめられた手書きのレシピ達の中から一枚抜き取った。

 三時手前。私は母のレシピを見ながら薄力粉と強力粉をボウルにふるい入れ、砂糖と混ぜる。

 「ここで、いいものを入れます。」

 そう言って母が持って来たのはカルピスバターだった。このカルピスバターが物凄く美味しいのだ。トーストにのせるだけで、トーストの味が格段に違う。それをスコーンに使うのだ。美味しくない訳がない。常温に戻したカルピスバターを先ほどのボウルに入れる。そして、ほろほろになるまで粉とバターをスケッパーでさくさくと切るように混ぜる。小麦とバターの香りが鼻に充満する。これだけで食べられそうなくらいいい匂いだ。牛乳と卵を混ぜてひとまとめにしたら、打ち粉をふるった台に生地を載せて延ばし、折り重ね、また延ばす。赤ちゃんの肌のような生地の触感が気持ちよい。延ばした生地を等分に三角形になるように切っていく。そして、切った生地に牛乳を少し塗りオーブンで焼く。なぜ牛乳を塗るのか母に聞いてみると「焼き色をつけるため」とのこと。焼き上がりが待ち遠しい。ふと、母がくすくすと笑っているのに気付いた。

「何の踊り?」

と母に笑い交じりに言われて、自分の体が動いてることに気づいた。少し恥ずかしくも思ったが、楽しみの方が勝ってしまいそのまま踊ることにした。

 そうこうしている間に、オーブンが「焼きあがったよ」とピーピーという音で知らせた。オーブンを開けると、もわっとした熱い空気とともに、バターの香りと甘い香りが一気に広がった。

 焼きたてのスコーンをお皿に盛りつけ、お気に入りの紅茶を入れてテーブルへ持って行くと、いちごのジャムと器に盛られた白い何かが並んでいた。何だろうと眺めていると、

 「それは、紅ほっぺのジャムとクロテッドクリーム。」

と母が説明してくれた。紅ほっぺは知っている。美味しいいちごだ。

 「クロテッドクリームって何?」

 私は母に聞いた。すると母は

 「発酵させた生クリームみたいなのじゃなかったかな?」

 と曖昧な回答をした。後で調べてみたところ、バターと生クリームの中間のクリームでイギリスのとある地方で伝統的なクリームなんだそう。椅子に座って紅茶をひとくち飲む。紅茶特有の苦みと茶葉本来の甘味が口に広がる。美味しい。カップをゆっくり置き、スコーンへと手を伸ばす。

 「おおかみの口の所から、割ってみ。」

 と母。

 「おおかみの口?」

 「そう。スコーンの側面から見て真ん中の辺りに割れ目があるじゃない?それが、おおかみの口。」

 言われた通りおおかみの口から割ってみる。すると、優しい香りがふわっとスコーンの蒸気とともに広がる。『赤ちゃんの匂い』とどこかの本に書いてあった。それが今はよくわかる。一口大にスコーンをちぎって、そのまま食べる。ほろほろでさくさくのスコーンの表面と内側のしっとりでふわふわの食感。バターの香りと小麦の香ばしい味。ほっぺたが落ちそうだ。次に、一口大にちぎったスコーンにクロテッドクリームと紅ほっぺのジャムを載せる。そして、食べる。冷え冷えで濃厚なミルク感のあるクロテッドクリームと程よい酸味と甘い紅ほっぺのジャム、そしてスコーンの食感や香り、味。美味しすぎて思わず笑みがこぼれてしまう。あまりの美味しさに一気にたべてしまい、お皿にはひとかけらのスコーンもなかった。「スコーンならまだあるよ。」と母に言われ、私はお皿を持ってキッチンに向かった。

 どのスコーンにしよう。

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母と三時のひだまりダイニング 朝月春樹 @mokumoku_cloud36

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