カクヨムの国のチャンピオンシップ

古博かん

第十回お題作品「ゴール」KAC202110

 カキッサがお家で読書をしていた時のことだ。外が何やら騒がしい。

 ガサガサ、ゴソゴソ。

「あら、何かしら?」


 テラスの近くの生垣の根元が、わさわさと揺れている。不思議に思ったカキッサが庭に出て、そっと生垣の根本を覗き込むと、小さな丸い生き物が「ああ、忙しい。忙しい」と言いながら這い出てきた。


「何が忙しいの?」

 生垣の下から現れたのは、小さなハリネズミだった。頭の上に大きな懐中時計をたずさえて、小さなハリネズミは「忙しい、忙しい」と繰り返す。


「ああ、こんな所にいたんだね、カキッサ。ほら、急いで急いで、始まっちゃうよ」

 カキッサを見上げた小さなハリネズミは、そう言ってカキッサを急かしながら、ガサゴソと生垣の下を潜り始める。


「一体、何が始まるの?」


 わけも分からず急かされるまま、カキッサは気が付くと生垣の下に潜り込んでいた。生垣が大きくなったのかと思ったけれど、どうやらカキッサが小さくなったらしい。目の前の小さかったハリネズミは、小さくなったカキッサと同じくらいの背丈になった。


「ほら、急いで急いで。遅れるよ」

 ハリネズミは頭の上の懐中時計を指さして、カキッサの背中をツンツンと鼻先で押し出した。


「わあ。これは一体何が始まったの? みんな走ってる」


 生垣の下を潜ると、いつの間にかたくさんの人が周りにいて、みんなどこかへ向かって一目散に走っている。


「さあ、急いで急いで!」

 促されるまま、カキッサはみんなが目指す方向へ小走りしながらついて行く。途中で頭に、こつんと何か当たり、見上げると青いアイシングをほどこした星型のクッキーが降っている。


「わあ、美味しそう。これ、なあに?」

「幸運の星だよ。せっかくだから、貰っておきなよ」


 あとで小腹が空いたら食べようと、カキッサはクッキーをポケットにしまう。

「何だかよく分からないけれど、楽しそうね」

 呟いたカキッサの背後から、カチカチとハサミの音を立てながら、不思議な物体が数を数えて追いかけてくる。慌てて足を早めて逃げた先に、真っ白な扉が三枚並んでいた。


「さあ、選んで選んで!」

 ハリネズミが小鼻をヒクヒクさせながら、カキッサを急かす。


「急に言われても、どれを選べばいいのかしら?」


 扉の前で小首を傾げるカキッサに、ハリネズミは「直観だよ、直観!」と繰り返す。

 ええい、ままよ。

 カキッサは思い切って真ん中の扉を押し開けた。すると、足元にポッカリと穴が空いていて、カキッサはそのままピューッと落ちていく。

「一体、どこに行くのかしら?」

 落ちながら、カキッサは考える。傍らのハリネズミは頭上の時計を掴みながら「急いで、急いで」と告げて一足先に落ちていく。


「待って、置いていかないでちょうだい」


 慌てて宙を泳ぎながら、カキッサはハリネズミの小さな尻尾を見失わないように落ちていく。ころりと転がり落ちた先には一面、水盤すいばんが広がっていた。


「あら、誰かいるみたい」

 水盤の真ん中で、女の人が一人うずくまってうつむいている。

「こんにちは。どうしたの?」

 カキッサはそっと声をかけるが、女の人は俯いたまま肩を震わせて泣いている。遠くでハリネズミが「急いで急いで」と急かすけれど、女の人を放っておくことはできなかった。


「悲しいの? そうだ、これあげる。幸運の星なんですって。食べたらきっと元気が出るわ」

 おやつにしようと思っていたクッキーをポケットから取り出して、カキッサは女の人にそっと手渡した。すると、手渡された女の人はキョトンとした様子でクッキーを見つめ、それから小さく口元とほころばせた。


「ありがとう。お礼にこれをあげる。きっと役に立つから」


 そう言って女の人がカキッサに手渡したのは、一台のスマートフォンだった。じっと掌のスマホを見つめていたカキッサがお礼を言って顔を上げると、そこにはもう誰も居なかった。

「あら、どこに行ってしまったのかしら?」


 首を傾げたカキッサの耳に、カチカチとハサミの近づいてくる音が聞こえ、慌てて走り出す。どこに向かえば良いか迷ったカキッサの掌で、スマホがピコンと音を立てた。


「この先、三百メートル進んで右折」

「あら、ご親切にどうも」


 スマホのナビに従い走ると、たくさんの人が走っていた。そして、沿道えんどうにもたくさんの人が集まっていて、賑やかな声援が飛んでいる。

「よかった。追いついたみたい」


「さあ、頑張って。あと半分だよ!」

 いつの間にか、半分まで到達していたらしい。カキッサは時折降ってくるクッキーを拾いながら、みんなが進む方向に一緒になってついて行く。


 進んだ先に、今度は不思議なお椀が次々と流れていた。

「これはなあに?」

「お椀だよ。二十一番目のお椀に飛び乗るんだ。間違えたらリタイアになるから、気を付けて!」

 いつの間にか、ハリネズミが隣にいて、小さな小鼻をヒクヒクとさせながら教えてくれた。

「二十一番目ね、分かった」

 カキッサは注意深く数え始める。十九番目まで来て、それと思ったけれど、二十一番目のお椀はあっという間に流れ過ぎて行った。

「思ったより、流れが早いのね。気を付けなくちゃ」

 気を取り直して、カキッサはもう一度お椀の数を数え始める。周りでは、ぴょいぴょいリズム良くお椀に飛び乗って先に流れていく人たちがいる。


「それ!」

 思い切って岸を蹴って、カキッサはお椀に飛び乗った。ぐらりと揺れたけれど、振り落とされることなくお椀に座り、みんなと一緒に流れに乗って進んでいく。

「次は何かしら?」

 流れが緩やかに分岐していき、たくさんいた人たちが少しずつまばらになっていく。少し心細くなったカキッサは、ポケットに忍ばせていたクッキーを一枚取り出して、サクッと口の中に放り込んだ。

「わあ。甘くて美味しい!」


 元気を取り戻したカキッサのお椀が、こつっとどこかの岸辺に流れ着いた。そっとお椀から降りて岸辺に向かうと、何だか周囲に眩い光が満ちていた。

「ここは一体、どこかしら?」

 そっと歩いていく先に、ハリネズミが「忙しい、忙しい」と言いながら小さな尻尾を振っている。

「ハリネズミさん! 先に着いていたのね、ここはどこ?」

「さあ。天国かな、極楽浄土かな?」

 呑気な調子でハリネズミは頭上の懐中時計を指さして、「急いで急いで」と驚くカキッサを急かす。


「そんな。わたし、いつの間に死んじゃったの?」

 ひょっとして、さっき食べたクッキーのせいかしらと慌てるカキッサを、ハリネズミは可笑しそうに振り返る。

「あはは。きみは面白いことを考えるね」

 プルプルと背中を揺するハリネズミに着いて行くと、目の前に大きな白い機械が現れた。


「わあ。大きい!」

 感嘆するカキッサに、ハリネズミは「時々動くから踏まれないように気を付けて」と注意する。

「あら、大変。踏まれちゃったら本当に天国か極楽浄土に行ってしまうわね」

 二本の大きな白い足の間をすり抜けて、カキッサとハリネズミは向こう側へと進んでいく。光がどんどん強くなり、あまりの眩しさにカキッサはとうとう両目をつむった。


「さあ、あと少しだよ!」

 ハリネズミの声が聞こえて目を開けると、目の前には青々とした海が広がっていた。

「わー、綺麗」


「さあ、次はあの山の向こうに行くよ」

 小鼻をふんふんさせながら、ハリネズミは頭上の懐中時計をしっかりと両手で捕まえた。


「ここに来て、山登りをするなんて思わなかったわ」

 時々降ってくるクッキーをしっかりとポケットにしまいながら、カキッサは小走りに石畳を進んでいく。


「全くだ。考えたやつの気が知れないね」

 ちょいっと悪態をついたハリネズミがプルプルと背中の針をそば立てた。


「さあ、急いで急いで。車が出ちゃう」

「あら、車に乗れるの?」

「歩きたいなら、それでもいいよ。間に合わなかったら強制リタイアになるけどね」

「ここまで来て、リタイアは嫌だわ」

 カキッサは頬を膨らませて首を振ると、路肩に停めてあった古びたトラクターに乗り込んだ。


「こんにちは。山の上まで乗せてくださいな」


「タダで乗る気かい?」

 トラクターの運転手が口を尖らせる。カキッサは少し考えて、ポケットからクッキーを取り出すと、運転手さんに手渡した。

「はい、どうぞ」


「おや。幸運の星じゃないか、気前が良いね。さあ、出発するよ、シートベルトはちゃんと締めたかい?」


 運転手はクッキーを口に放り込むと、上機嫌になってトラクターを発車させた。ガタガタの田舎道をトラクターは右に左に大きく揺れながら進んでいく。

「運転手さん、落っこちたりしないでね!」

 荒い運転に強ばりながら、カキッサは悲鳴をあげる。生きた心地がしないまま、車に揺られてぐったりした頃、トラクターは頂上付近で草の生い茂る路肩に突っ込んで停止した。


「さあ、ここからは一人で行きな」


 トラックを放り出されて、カキッサは石畳を進んでいく。途中、カチカチとハサミの音が聞こえ、カキッサは慌てて走り出した。


「わあ、綺麗な教会ね」

 ぎいと音を立てて開いた扉の向こうへ進むと、両側からパーンとクラッカーが鳴り響いた。


「ゴールおめでとう!」


 迎え入れられて、カキッサは目を白黒させながら周囲を見回す。すると、同じようにたくさんの人が集まっていた。

「わあ、みんないるわ」

 嬉しくなったカキッサが飛び上がると、小腹がぐうと鳴った。

「あっちでゆっくり休むといいよ」

 そう促された時、カキッサはポケットにしまっていたクッキーのことを思い出した。

「ねえ、これ食べても良い?」

「おや。食べてしまうのかい? 良いけど、食べ過ぎには注意するんだよ」


「大丈夫。バケツいっぱい食べられそうよ」

 バケツいっぱいもないけれど、カキッサは満足そうにポケットのクッキーを頬張った。


「頑張ったあとのクッキーは、何倍も美味しいわ!」


 全部食べ終わったカキッサの体は、ズンズン大きくなって気が付くとテラス脇の生垣の側にたたずんでいた。

「あら」

 小首を傾げたカキッサは、読みかけの本のことを思い出してパタパタとおうちに戻っていった。



カクヨムの国のチャンピオンシップ 完

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