ゴールズ

柳なつき

万華鏡のような世界で

 えんえんと続く、万華鏡のような世界。

 大人は、はじまりとその先の道がたくさんあることは教えてくれるけど、おわりもおなじ数あることは、なかなかに教えてくれない。

 この世界の大人たちは。

 子どもたちに対して、いつだってそうだ。そして可能性というものの意味を悟った瞬間、……子どもは、大人の仲間入りをするのかもしれない。とてもとても喜ばしいことに。そして、とてもとても哀しいことに。


 最近、得た、人類に対する私の考察。


 ひとつはじまれば、ひとつ、つづく。

 ひとつ、つづけば。ひとつ、おわる。

 だから。はじまりがあれば、おわりがある。


 ロジカルに考えてみれば当たり前のことなのに、どうやら、おわりを考えることを私たちの社会はよしとしない、らしい。



 走る、走る、走る。

 万華鏡の世界を。

 光がきらめく。青に紫に白に黄緑に。光が眩しい。私が歩くたびに、ぐにゃぐにゃと可変式にゆがんでいく。曲がっていく。世界すべてが。


 すべての道はおなじに見えるけど、すべての道は違う方向につながっている。

 どれが正解だなんてわからない。けれども私は駆け続ける。だから私は駆け続ける。


 走り続けるとふいに世界全体の色が変わる。赤に黄色に緑に水色になる。

 紫に白にピンクに黒になる。

 色と、光の、支配する世界。



 いつからこの世界にいるのだろう。

 もうずいぶんむかしから駆けている気がする。

 駆けることこそ私の仕事だ。

 駆けることだけが私の存在意義だ。


 私が駆けると人類の可能性が増える。次元演算装置とは、そういうものだ。


 知っている。私は「可能性」と呼ばれる、もはや一種の概念的存在だ。

 私が駆け続ければかならずどこかにたどり着く。

 ゴールを迎える瞬間、私は役目を終えて――「可能性」は持てる可能性のすべてを発揮したうえで、歴史的事実として、終わる。



 世界のはじまりは、ひとつだったのかもしれない。

 でも、ほんとうに?

 宇宙が爆発したのかしら。

 超次元的な存在が産み出したのかしら。

 すべてがねじれてしまったのかしら。

 それとも、それとも、それとも……。


 そして人間はつねに可能性を選び続ける。

 哲学も宗教も芸術も科学もモノも、なにもかもが世界にうまれた。なにもかもが必要だったから、うまれたのかもしれない。


 世界は一方通行なのかもしれない。

 でも、ほんとうに?

 終末がいつかくることを信じ続けていいのかしら。

 直線的な世界の進歩を事実として認め続けていいのかしら。

 ただの意味ないカオスとしてこの世を認めていいのかしら。

 それとも、それとも、それとも……。


 哲学を選べば哲学になる。宗教を選べば宗教になる。科学を選べば科学になる。芸術を選べば芸術になる。モノを選べばモノになる。もっともっと、なんでも、なんでもだ。人間の価値観は、ひとつではない。人間の価値観は、ひとつであるべきではないのかもしれない。さまざまな価値観がある。だから、ひとつだけが絶対に人類に選ばれることはありえない。


 どれかひとつを人類すべてが選んでしまったら、それはすくなくとも「人類」という存在の、おわりのはじまり。「人類」は人類を超えることができる。

 それは幸せなことなのかしら。

 それは不幸なことなのかしら。

 どうなのかしら、それとも、それとも、それとも。




 駆けていた私は、ふいに立ち止まった。

 万華鏡が、万華鏡だったはずなのに――ひとつひとつ、扉になって。ピンクの、空色の、濃いピンクの、淡いピンクの、青の、金色の、水色の、やっぱり水色、水色の、やっぱり金色の、ほかにもいろんないろんないろんな色が――きらきらきらきらと、眩しいほど、きらめいている。

 光を。ほかの扉の可能性の光を、反射して。




「……未来が、いくつも見える」




 私に言わせれば。

 未来はすなわちおわりのこと。

 はじまれば、終わる。

 終わるのだから、はじまる。

 あるいは終わらないはじまりもあるのかもしれない。

 でも、それは、限りあるいのちをもつ人類の考えることじゃない、のかもしれない。



 すべてはひとの営み。



 社会性をもったから磨り減った。だから、社会性を捨てることができる。

 娯楽を発見したから醜くなった。だから、娯楽を憎悪することができる。

 幸せだったから不幸になった。だから、幸せであり続けるためにすべてを犠牲にできる。

 選べないから泣くしかなかった。だから、選ぶことができる。

 遠くにいるからひとりだった。だから、近くに行くことができる。

 大人になるからつまらなくなった。だから、子どものままであり続けることができる。

 感情があるから傲慢だった。だから、感情を失うことができる。

 失ったからつらかった。だから、失ったことを忘れることができる。

 ひとりになったからつらかった。だから、ひとりにさせることができる。



 それはすべて進化への道か、悲劇か、超次元的存在の予定か、あるいは。



 科学技術もなんでも進む。

 でもすべてはひとの営みだ。

 これから先も、人間は人間であり続ける。




 人間が人間でなくなったとき、


「……それは、人間のゴールといえるのかしら」




 人間のもつ「可能性」という抽象的存在でしかない私は――天を、仰いだ。

 ただそこには無数の白い光がちらちらきらきらとしていて。

 選べない。まだ。


 ……どうして私をつくった存在は、私を「可能性」としてつくりだしたのだろう。まったく、はた迷惑な話だ。「可能性」という言葉をつくって、概念をつくって。そうして、そのまま……無限の可能性の漂うこの重なりあう何万もの次元の世界に、放っておくなんて。


 だれかが、抽象の世界に私をつくり出したのかもしれない。

 それはおぼろげな記憶がある。

 神がかり、あるいは、いわゆる超古代文明と人類ならば言うであろう技術で――次元の世界に、きっと私を閉じ込めたのだ。宇宙、あるいは宇宙のそとから、……もっと、もっと、信じられないほど彼方から。




 はるかはるか彼方から、彼らはあなたたちを愛していた。




 ……私も。

 もうどこから来たのかも、覚えていない。

 ただ、わかっていることがある。

 私は、私をつくってくれた存在のたしかに愛する、……人類という存在を、ともにある「可能性」として愛し続けるだけなんだ、って。



「可能性がなくなるとき。私も、終えることができる」



 でも、それは、いつなのだろう。

 私には見える。人類のいまもつすべての可能性が。そしてそれはいまもどんどん増えている。どんどん、どんどん、星の数より増えている。


 私はうまれたときから人類とともにある。

 でもそれは、私が超次元的存在であることをけっして意味しない。

 私は人類とともに生きるもの。

 人類が、なぜか獣ではなく人間になろうと決めたと同時に――人類の「可能性」である私は、うまれたのだから。



「人類はゴールをたくさんもっている」



 人類に、とどくわけもないのに。

 彼らが天文学的と呼ぶほどの数ひとつひとつの可能性を知る、人類の「可能性」という概念である私は、つぶやく。

 ……ひとが空を見てつぶやくのはこんな気持ちなのだろうか、と夢想しながら。



「人類は、未来をえがく。そして彼らのスタートひとつひとつの数ほど、……ゴールは、あるというのに、ね」



 そして人類はいつ終わるのだろう。

 増え過ぎた可能性たち。

 そのすべての可能性が収束するのは、あるいは拡散するかのように発散するのは、いつだろう。そのとき人類は、おわりを迎える、はずだけれども。

 ……それとも、私という存在をうみだすほどに稀有な生物である人類のことだから。

 私という、人類の「可能性」の予想なんか遥かに超えるほどの、きれいなゴールを――最後の最後には用意してくれていたり、するのかしらね。



 万華鏡の世界がきらきら輝く。すべての色が、ここにある。



「人類。あなたたちの可能性は、あなたたちと心中する」



 だから、願わくは、どうか。

 私に。「可能性の概念」である、私に――ひとの心があることを。

 どうかどうか、最後は、みんなにわかってほしい。



 そんなささやかな、孤独な私のひとりごと。

 可能性は、……いつだってさみしいから。

 そして、可能性はいつだって――信じられないくらいに力強くて、輝くから。




 まるで万華鏡の世界、そのものなのだから。




 だから。人類。どうか。

 そう祈って、深呼吸して。

 私はもういちど、駆け出した。人類の可能性を、愛し続けるために。

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ゴールズ 柳なつき @natsuki0710

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