俺たちのゴール

RAY

俺たちのゴール


「勇者、あたいの残った魔力、すべてあんたに託す……あとは……頼んだよ……」


 魔法使いの杖から放たれた、オレンジ色の光が勇者の剣に吸い込まれて行く。

 魔法使いは小さく微笑むとその場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。


「魔法使い!」


 悲痛な叫び声が玉座ぎょくざの間に響き渡る。

 勇者は魔法使いのところへ駆け寄ってボロボロになった身体をしっかり抱きしめた。怒りと悲しみに身体を震わせながら視線を周囲に向けると、おびたしい数の魔物の死骸が転がっている。そんな中、やりで鎧ごと貫かれた戦士と、自ら作り出した、血の海に浸る僧侶の姿が目に映る。


「残ったのはキミだけだ。でも、心配はいらない。すぐに仲間のところへ連れて行ってあげるから」


 傷心の勇者に嘲笑まじりの心ない言葉が浴びせられた。まるで傷口に塩を塗りたくるような行為だった。

 言葉の主である魔王は見下すような視線を勇者に向けて邪悪な笑みを浮かべる。


「俺たちはまだ負けていない。まだ戦える」


 勇者は魔法使いの身体を床に寝かせて静かに立ち上がる。そして、剣を高々と掲げて呪文の詠唱を始めた。


「おいおい、また同じ技かい? 冗談じゃないよ。ボクの暗黒闘気ダークスピリットにはその技は通用しなかっただろ? 少しは学習しないとダメだよ」


 魔王は両手を左右に広げると、「呆れた」と言わんばかりに肩をすぼめて首を横に振る。


 ただ、確かに魔王の言う通りだった。

 満を持して放った「聖なる矢セイクリッドアロー」だったが、魔王の身体から発せられる暗黒闘気ダークスピリットによって遮断されてしまった。

 魔王がパワーアップしているという話は聞いていたが、まさか邪悪な存在を滅する、聖なる矢セイクリッドアローを凌駕するほどとは思わなかった。


 しかし、ここで引くわけにはいかなかった。

 魔王城ここに辿り着くまで半年近く掛かった。もちろん無傷というわけではなく、その道中で多大な犠牲を払った。たくさんの人が傷つき、そして、死んでいった。

 パーティのメンバーとて例外ではなく、城の入口を突破する際一人が命をかけて仲間の進路を確保し、玉座の間では三人が強大な力の前に倒れた。勇者は、四人の仲間はもちろん、犠牲になった、全ての人の思いに応えなければならなかった。


 呪文の詠唱が進むにつれ勇者の剣が眩い光に包まれていく。光の量が前回より大きくなっている。そのことは魔王も気づいていた。


「さっきより魔力が大きいみたいだ……。そうか、あの魔法使いの魔力を取り入れたからだね。なんて素晴らしいチームワークだ。ボクは感動したよ」


 魔王は右手で目頭を押さえて涙を拭うような仕草をする。ただ、指の間からは邪悪な笑みが垣間見える。


「でもね、それはキミたちの世界の言葉を借りればこう言うんだ――『焼け石に水』ってね!」


 それが合図であるかのように、魔王の身体から再び暗黒闘気ダークスピリットがほとばしる。

 勇者の目は魔王に釘付けになった。なぜなら、暗黒闘気ダークスピリットが先程とは比べものにならないくらい強大だったから。聖なる矢セイクリッドアローは、本気を出していない魔王にさえ通じなかったことを理解したから。


「これでもまだ必殺技を使うのかな? キミには万に一つも勝ち目はないよ。じゃあ、慈悲深いボクから一つ提案をしよう。もし白旗を上げるなら、痛みもなく瞬殺してあげても構わないよ」


 魔王の言葉に呼応するように、背後から立ち上る、どす黒い暗黒闘気ダークスピリットがゾワゾワと不規則にうごめいている。勇者はこれまで感じたことのない恐怖を感じた。心が折れそうだった。


「お前がそんなんでどうするんだ? しっかりしろや」


 不意に魔王の方から聞き知った声が聞こえた。


「お前、いつの間に!?」


 魔王は後ろを振り向くや否や驚いたような声を上げる。

 そこには全身血塗れの僧侶が立っていた。ただ、暗黒闘気ダークスピリットに触れているため、身体が少しずつむしばまれていた。


「僧侶! 何やってる! 早く魔王から離れろ! 身体が溶けるぞ!」


「ボクの隙をついて勝った気でいるなんておめでたい奴だ。お前に何ができる? 一分も経たないうちに消し去ってあげるよ」


 勇者の心配する言葉と魔王の馬鹿にする言葉が重なる中、僧侶は息を吐き出すようにフッと笑った。


「話す力もほとんど残っちゃいない。だからお前ら二人に一言ずつ言う……。まず魔王、確かにお前の闘気はすごい。俺には為す術がない。ただ、俺の生命エネルギーをゼロ距離で一点にぶつければ、崩すことができる。それから、勇者……その一点にお前のすべてをぶち込みやがれ!」


 魔王の背中に触れた、僧侶の手から黄色い光が放たれる。しかし、次の瞬間、僧侶の身体は暗黒闘気ダークスピリットに覆われて消えていった。


「だから言ったのに」


 魔王の顔に勝ち誇ったような、嫌らしい笑みが浮かぶ――が、次の瞬間、それは驚きへと変わる。魔王の心臓の部分だけ暗黒闘気ダークスピリットが消えて無くなっていたから。


「僧侶、わかった。今から俺のすべてをそこにぶつける。見ていてくれ」


「ま、待て……待ってくれよ……頼むよ」


 魔王の命乞いのような言葉に耳を貸すことなく、勇者は光をまとった剣を思い切り振り下ろした。魔王の心臓目掛けて。


 無数の光の矢が魔王の心臓を貫く。胸にぽっかりと穴があき、そこから光が周囲に広がっていく。


「こ、こんなことあるわけがない! ボクは魔王だ! ボクが勇者風情に負けるわけがない! 何かの間違いだ! 間違いにぃ~~決まっているぅ~~!!」


 断末魔の叫びとともに魔王は消滅した。

 勇者は荒い呼吸を繰り返しながらガクリと膝を突く。


「魔王を倒したよ。みんなのおかげだ。ありがとう」


 ポツリと言葉が口を突いた瞬間、勇者の瞳から涙が溢れ出す。


「俺たちはゴールに辿り着いた。夢にまで見たゴールだ。でも、どうしてなんだ? うれしいはずなのに悔しくて堪らないのは……」


 誰もいない魔王城で勇者は声を上げて泣いた。ずっと、ずっと、涙が枯れるくらいに。


【エピローグへ】


★★


「糸井さん、どうですか? 今回は自分的にもかなり良い出来じゃないかと思うんですよ」


 丸川イセカイ文庫の編集部に原稿を持ち込んだ鈴木すずき 吾郎ごろうは、興奮した様子で担当編集者・糸井いとい 昭夫あきおの方へグッと身を乗り出す。

 普段であれば、原稿をメールで送って電話で打ち合わせをするのだが、この日は少し違った。直接会って話をしたいと糸井にアポを取った。理由は三年間執筆を続けてきた作品が完結を迎える運びとなったから。その記念すべきラストシーンについて、苦楽をともにした糸井とじっくり話をしたいと思ったから。


「鈴木ちゃん、これ最高じゃん。冗談抜きにジーンと来ちゃったよ。ファンも大満足すること間違いなしだ。僕が太鼓判を押すよ」


 糸井は、読んでいた原稿をテーブルの上に置くと、白い歯を見せてにこやかに笑った。


「良かったです。やっぱり糸井さんはわかってくれてますね。自分、無茶苦茶うれしいです。じゃあ、早速ですが、エピローグの内容の打ち合わせをお願いします」


「エピローグ?」


 不意に糸井が眉を潜めて怪訝けげんな顔をする。


「あっ、説明を端折ってすみません。次回は最終回になると思うので、ファンの心に残るような素晴らしいものにしたいと思って――」


「――鈴木ちゃん、ちょっと違うんだよなぁ」


 鈴木の言葉を遮るように、糸井が強い口調で言う。


「考えても見なよ。三年間で外伝も併せて十二巻が発行されてる大作だよ。ファンは勇者の冒険にまだまだ期待しているわけよ。ファンの期待に応えてあげるのが作者ってものだよね?」


「でも、勇者たちは魔王討伐というゴールに辿り着いて目的を果たしたわけで。それに、いっしょに戦ってきた仲間もみんな死んじゃったわけで。魔王も仲間もかなり丁寧にキャラ作りをしてきましたから、今更別の敵や仲間を作るわけにはいきません」


「なるほど。鈴木ちゃんの作者としての強い思いがあるわけだ」


 糸井はペットボトルのコーヒーを少し口に含むと、何かを思いついたように大きく首を縦に振った。


「わかった。間を取ってこうしよう。以前登場した、蘇生能力があるエルフを呼んできて死んだ仲間を生き返らせよう。それから、魔王は実は偽物……影武者みたいな存在だったことにして、別の場所で勇者の前に登場させよう。このどんでん返しはファンもビックリだよ。ネットで話題になって検索ワードに載っちゃうかもね。どう? バッチリだろ?」


「そ、それはマズイでしょう!? あのエルフの蘇生能力を残しておくとチートになっちゃうから力を失わせたんですよね? それに、仲間が魔王を倒すために命を犠牲にしたことが無駄になっちゃいます! 何より魔王が偽物フェイクって……これから何を書いても偽物フェイクだって思われて感動もヘチマもなくなります! それなら、夢落ちの方がマシですよ!」


「夢落ちか……その手もあるな。鈴木ちゃん、どっちがいいか考えておいて。僕は連載が続くならどっちでもいから。申し訳ないけど、これから別の会議があるから、新章のプロットができたらメールして。じゃあ、また」


「ちょっと、糸井さん! 待ってください! 糸井さん! 夢落ちって言うのは悪いたとえであって……!」


 鈴木の必死の説明もむなしく、糸井はそそくさと打ち合わせコーナーを後にする。仮に時間があったとしても、鈴木の意見に聞く耳を持つとは思えない態度だった。


 鈴木は椅子に背を預けて天井を見上げる。静かに目を閉じると、脳裏に勇者が魔王を倒したときの台詞が浮かんできた。


『俺たちはゴールに辿り着いた。夢にまで見たゴールだ。でも、どうしてなんだ? うれしいはずなのに悔しくて堪らないのは……』


「本当のゴールはどこにあるんだろうね?」


 鈴木は独り言のようにポツリと呟く。ただ、その問い掛けに答えてくれる者は誰もいなかった。



 RAY

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