第2話

振り返ると猿がいた。それはもう憎たらしいほどの満面の笑みで、笑顔も嘲笑を具現化したようなエガオだった。「せやから、ジブンいつまでネガティヴに触れとんねん。」猿は器用に尻尾で跳ねながら僕に近付いてきた。猿が言うにはこの温泉に入って滲み出た嬉しみ、怒り、悲しみ、が集められていて、温泉の深海を泳ぐ鯨が毎回それらの感情を飲み込んでいるらしい。猿は昔にこの温泉に溺れて鯨に飲まれて以来、鯨の中の明るい部屋でギリギリ食べられる魚を探してなんとか生きてきたらしい。その際に流れ込んでくる感情がどうにも邪魔でエサを探すどころじゃなかったから外で匣作りの伝統工芸を経験したことがあったことから、しかたなしにその技術を活かして部屋にある端材で箱を作り感情を片っ端から詰め込んでいたのだ。猿は言う「でもな、悲しみだけは別格やねん。悲しみは悲しみっちゅう簡単なコトバじゃ言いくるめられへんねん。嫉妬とか憎悪とか、それこそ怒りよりもようわからへんぐっちゃぐちゃな感情とかもごちゃまぜやからな、他の感情とおんなじに入れよったら可哀想やねん。」「ええ!猿が喋った。」「ジブン今更かいな、リアクション遅すぎるで。」猿は嘲笑をふっと消して真顔で言った。

「そう言うけど、一体何が可哀想なんですか。」僕は気にしないふりをして真顔の猿に尋ねた。「ホンマに話聞いとったんかいな。ええか、この匣に詰め込んであるんは感情っちゅう壊れやすい物体やねん。ほんでまた、あれやろ。壊れやすいってなんやとかきいてくるんやろ、あんな、コトバってあるやろ、そのコトバっちゅうのは壊れやすい感情を壊れにくくわかりやすく伝えるために変化させたもんやねん。ゆうたら大元から素材作るみたいなかんじやな。村の外れにでっかくてごっつかたい木があってそれをどうにかして村のみんなに伝えようとして枝をとりあえず持って帰るやろ。でもただ枝だけやったら皆んなに伝わらへん。そこでコトバにすんねん。とってきた枝から大元の特徴活かせるような道具かなんかに作り替えんねん。」猿の話は全く何を言っているのかわからなかった。「ただな、話戻すけど壊れやすいっちゅうのはそれぞれの感情が複雑すぎるからやねん。ワシは猿やからえらいヒトのきっもち悪いポエマーみたいな感情はわからんけど、めんどくさい事にヒトっちゅうのは嫌なことばっかりおぼえるらしくてな。そこだけは可哀想に思うわホンマに。」猿は目で相変わらず人を小馬鹿にした感じだが口角は下がっていて変に悲しさを伝えようとしていた。「つまりや、感情は液体みたいに混ざり合うしコトバにすれば刃物みたいになったりもする、作りが複雑やねんけど、ごっつ簡単なもんにも変えられんねや。わかったか。」わかったと言うしかなかった。

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関西猿 in ホエール 槻 治/Osamu Keyaki @da31

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