エピローグ

 冬の水都は雪が積もる。自転車で知進堂に行くのは困難だ。自宅から徒歩三十分はかかる。その道程を文佳と歩いた。

「やあ黒井くん、そちらの娘は?」

「東雲文佳です」

「東雲? もしかして奏佳さんの妹か何か?」

「いえ、親戚ですよ」

少しおせっかいが過ぎる店主に挨拶を済ますと、文芸の棚に向かった。文佳も慧も、瀬水仁の顔出しは基本的に断っている。そもそも学生だし、文佳の素性は面倒なので隠しておいたほうが良いのだ。

 ルミナリアの装丁は、紺地に白抜き。最終巻もそのスタイルで、白に銀を少し混ぜている。帯には、「天国からの贈り物」と書いてある。あれから慧は加筆し、結局シリーズで一番分厚いものになった。表紙、背表紙、中表紙とすべて、作:蓋井天とだけ書いており、後付のところだけ、補作:瀬水仁と書いてもらった。いったいどれだけこの書店が頼んだのかは知らないが、縦横三冊×五冊でタワーを組んでいる。店の入り口、文芸書コーナー、レジ上にも置かれ、いったいどれだけ発注したのかわからない。しかし、二人が店に入ってからすでに二冊売れている。

 その横に、赤地に白抜きの本が並んでいた。フォントも一緒の筆字。厚みもほぼ一緒で、こちらは二冊×三冊とこじんまりしている。それでも新刊としては破格の扱いだ。クオリア。「ルミナリアの次の世界」と帯に書いてある。こちらは正々堂々と瀬水仁の名前が出されていた。一体これは何なんだ? とルミナリアを買ったうちの一人はレジに持っていく。

 二人共、それぞれ一冊ずつレジに持っていく。献本はもらったが、誰の書いた本であろうと、書店で買うこの時間が楽しいのだ。


クオリアは、それなりにファンタジーという言葉がよく似合う。文佳が適当に言ったのに、キャッチフレーズにまでなってしまった。

基本的に、ルミナリアとのつながりはない。だが、対になる物語だ。ルミナリアは、電子のセカイと思っていた本物の世界。ミクロの中にあるマクロだ。しかしクオリアの主人公、青年マルコが本物の世界と思っていたものは電子の世界。まわりと隔たりのある彼の瞳が見ていたのは、『ミュシャの姉妹』と呼ばれるコンピュータウィルスだった。なんだかSFチックな話だが、ルミナリア同様王道のファンタジーに変わりはない。最終巻を含めたルミナリアが好きな人が読めば、その随所に散りばめられた蓋井天のきらめきを感じることができるだろう。


「ファンレターだぞ」

春休みに入った頃、慧の家に大きなダンボールが届いた。

「おお! いっぱい来てる!」

「ルミナリアの作者とクオリアの作者の分がかなりごっちゃらしくてな。すごい枚数だ」

「全部読むのに時間かかりそうですね」

慧は読んでいいのか、と思う。ルミナリアはそもそも奏佳さんのものだし、クオリアは文佳の書いたものだ。

「どうだろうな」

そう言いながらも、昴も含めてしばらくファンレターを読む。読んでいて、ああ、自分もルミナリアが好きだなあとしみじみ思えてくるのだ。

「あれ?」

文佳がダンボールを漁っていると何かに気づいたようだ。

「これ、先生宛です。封筒の中に小さな封筒が」

ファンレターの入った封筒は瀬水仁宛。しかし、便箋とともに入っていた更に小さな便箋は黒井昴宛になっていた。

「俺に? なんでだよ、この字……、奏佳の字だ」

「うそっ?」

文佳も驚いている。五百川は知っていたら直接来るはずだ。

じゃあ、一体誰が。

「兄さん、開けてみて」

「いやあ、いたずらでしょ」

「嘘だね、奏佳さんの字だって」

文佳が昴の手から便箋をひったくった。そのまま封のシールを破る。

「おい、文佳くん!」

「拝啓、黒井昴さま」

静止も止む無く、読み始める。


 拝啓 黒井昴さま

 私が亡くなって、一年がたちました。

 あなたの生きるセカイは辛いですか? 私がいなくとも、生きていますか? この手紙はこっそりと病院長に預けたものです。一周忌が過ぎたら投函してくれ、そう頼みました。

 そこに、妹の文佳はいますか?


 先日、しめやかに営まれた一周忌では、多くの作家がルミナリアの最終巻について感想を言ってきた。誰もが、自分ではあの結末に辿りつけなかったと賛美していった。

「いるよ、ここにいるよ、お姉ちゃん」


 あなたに託した金庫の中身はどのような形になりましたか? あの形のままにルミナリアは完結しましたか? それならそれでひとつの形なので、良かったと思います。でも、本当はハッピーエンドにして、ルミナスとサイオンが幸せになるように終わらせたかった。あなたが決意して、書き継いでくれたなら、必ず素晴らしいゴールを迎えられたと思います。姉として、見届けられないのが残念ですが、自分では手に負えないものを妹に押し付けるとはひどい姉ですね。


「そんなことない。そんなことないよ」


 そして、昴くん。はじめてルミナリアを書き上げた時言いました。対になる物語を書きたいと。覚えてるかな?


「もちろんだ」


 その夢はサチに頼みます。良い作家が出てきたら、【ラピシア】という題名で本を書いてもらえませんか? 登場人物の誰もが幸せに生きるそんなほんやかなお話です。


「ごめんね、お姉ちゃん。そうはならなかったよ」


 昴くん、私の物語に最後まで付き合ってもらえたら、ルミナリアが最終章を迎えたら、私のことを忘れてください。約束を守ってくれたのだから、いいお医者さんになって多くの人を救ってください。作家は紡ぎ出す物語で人を救うと前に行ったことがあったはず、でも、その物語で人を地に落とすことも、殺すこともできるんです。お医者さんは違います。救うことだけに一生懸命に生きられるのですから。そして、良かったら作家になっても良いんですよ(笑)


「何がかっこわらいだよ……。忘れられるわけないだろう」

忘れないし忘れられない。忘れちゃいけない。

 

 そして、慧くん。君が文佳に気があるということはわかっていました。私がいなくなった今、文佳とはいい感じになりましたか? わたしのいない昴くん、サチ、そして文佳を支えてあげてください。君の双肩に期待しています


「そりゃあどうも」

その期待に答えなくてはいけないようだ。特に文佳について。


 まだまだ未練はありますが、この辺りで筆を置きたいと思います。いつか将来、光ある世界(ルミナリア)で皆さんを待っています。

 敬具

 二〇一五年一月二十三日 東雲奏佳

Good night my sister



手紙を読む文佳の声は、最後の方はまともに聞き取れはしなかった。

「奏佳さん、すべてわかっていたんだな」

黙りこむ昴と文佳を元気づけようと慧が口を開く。

「ああ、結局俺たちが奏佳のシナリオどおりに踊らされたんだ」

あれだけ面倒なことをやって、結局は奏佳さんのエゴだった。さすがルミナリアを書いた小説家、稀代なストーリーテラーだ。

「それより、文佳くん」

「はい、なんでしょうか」

「君、いつから記憶が戻ったんだ? どうして言ってくれなかった?」

「記憶? さてなんでしょうね?」

ごまかせるものか。お姉ちゃん、ってあれだけ言っていたんだ。

「クオリア書いたら戻ったんだよきっと」

「そうです。クオリア書いたからですよ」

「嘘だ! もしそうならクオリア書いた記憶ないだろうが! さてはお前らはじめから」

 その時電話が鳴る。五百川からの着信が天使のラッパに聞こえた。

「はい。五百川さん。そうですか? ありがとうございます! やります! がんばります!」

文佳はにっこりと笑った。かねてから話に上がっていた、クオリアの続きのオッケーが出たようだ。

「更に、クオリアの増刷も決定しました!」

「それより、お前たち何があったんだ!」

そのうち話すから、と慧は文佳の手をつかみ、退場することにする。

「兄さんはいいから! 読者がお待ちかねですから! ね?」


おわり

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パブリッシュ・エゴイズム 井守千尋 @igamichihiro

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