ウィング・レガシー

失木各人

”翼の遺したもの”

 青空に、砂塵が舞う。

 高度百フィートで音を置き去りにして黒い影が飛ぶ。ステルス性を意識した、電波吸収素材で覆われた暗灰色の機体。角ばった機首から流れるようにつながる、歪んだ六角形のデルタ翼。水平尾翼と垂直尾翼を兼ねる、大きく傾いた台形の尾翼。上下二〇度の推力偏向を行う、二枚貝の様なエンジンノズル。異様なのは、コクピットがあるはずの場所に透明なキャノピーはなく、のっぺりとした黒い覆いが、無機質にコクピットを覆っていた。

 炭素複合材でできた機体は、機体表面にかかる空気抵抗に真っ向から抗い、大気を切り裂いていく。しかし、翼の表面に規則的に突き出したボルテックスジェネレーターは翼の音をかき消し、その勢いからは想像もつかないほど静かに機体は空を切り裂いていく。

 機体はルックダウンレーダーの情報を頼りに浅い谷の中央を進み、対空レーダーの陰をまるで蛇が地面を這うようにして飛びぬけた。目標まで五キロ。アタックポイントに到達。マスターアーム、オン。エンゲージ。

 機体が急激に上昇した。九Gをかけて急上昇。地面を這う影から大空に踊り出た。監視衛星とのデータリンクで入力された座標に、機首を覆うセンサーが目標を赤外線、紫外線、マイクロ波、電波でもって、目標を補足した。ターゲット確認。ウェポンベイのハッチが開き、赤外線ミサイルに目標までの距離、相対速度、目標の速度など、必要な情報が一瞬で入力されていく。シーカーオープン。アルゴンガスが赤外線シーカーを数十ケルビンまで急速に冷却。熱雑音で濁っていたミサイルの視界が急速にクリアになった。機体のCPUはごくごく冷静に、そこになんの感情もなく命令を下した。

 フォックスツー。

 オフボアサイト位置においてミサイルがアームからリリースされ、即時に固体燃料に点火する。AGM-189“インフェルノ”対地ミサイルは事前に入力された目標に向かって数十Gで急旋回。目標に向けて超音速に一瞬で到達して突き進む。冷酷なシーカーに映るのは、デザートハイウェイを百数十キロで走る、鼠色の無人トレーラー。

 ミサイルの接近に無人トレーラーが気づく。フレアディスペンサーが数千度で燃え盛るフレアを、まるで噴水のショーのように空に向かってぶちまけた。強烈な赤外線がミサイルシーカーを貫き、画像が一瞬ブラックアウトするがミサイルのCPUはすぐさまに画像を再解析。フレアによるノイズの中に目標の輪郭を再補足。推力偏向ノズルが動いてミサイルが吸い込まれていくように無人トレーラーに突き刺さった。ミサイルが着弾し衝撃で、トレーラーは一瞬空中に浮きあがった。

 信管が作動し、弾頭の十キロの高性能爆薬が燃え上がった。トレーラーはまるで不格好な風船のように内側から膨張し、数ミリ秒のうちに内側から破壊された。炎が巨大な火の玉となってトレーラーの中身を巻き込みながら、砂塵舞う空へと、きのこ雲となって立ち上っていった。破壊された破片が、数百メートル先まで飛び散った。

 ミッション完了。対空攻撃を回避するためにフレアを放出しながら急旋回していた機体は、目標の破壊をセンサーで捕えていた。ソーティの達成を確認し、回避軌道を取りながらステルス性確保のために衛星リンクをシャットダウン。自機の位置情報をGPSと照らし合わせて、基地ねぐらへと進路を変えた。




 『デルタ』基地は年に数日の、珍しい雨の日だった。たたきつけるような雨が渇いた大地にしみこんでいく。雨が叩きつける中も、あわただしく地上整備員が地上に並んだ機体の下に潜り込んで整備を進めている。天気がどうだろうと戦争は待ってはくれない。整備不良が起きれば、割を食うのは自分たちであった。

 雨の滑走路に、遠雷の様な音が響き始める。空になったハンガーでそれを待っていた『少尉』は、防爆ハンガーの中から滝のような雨の中に身を投げ出した。

 一機の影が、滑走路へとアプローチをしている。翼端から糸のようなベイパーをたなびかせながら、人間の目には見えない、ILSが放つ電波の回廊に乗って、雨のせいで数百メートル以下にまで落ちた視程の中滑走路に向かって吸い込まれるように降りてくる。着陸の直前、機首をふわりと持ち上げ、垂直速度を殺す。まるで、優しく触れるようなキスをするような、丁寧な着陸。タイヤが摩擦で雨に濡れた滑走路から白煙を巻き上げた。

 大空から降りてきた猛禽がハンガーまで誘導路を通って自走してきた。わらわらと整備員があわただしく準備をする中、少尉は腰に下げていた交通整備員が持っている発光棒ほどの二本の棒を、それぞれ手に取った。機体がハンガーの前まで来ると、少尉はスイッチを入れる。スティックは特定の周波数の電波を放出し、機体のAIはそれを感知。ハンガーの中で自分の停止位置を探る。

 少尉がハンガーの奥でスティックを振るうと、まるでついてくるようにゆっくりと機体がハンガーの中に入ってくる。ハンガー内の投光器に照らされた、雨でぬれた機体はステルス素材の色のせいか、どこか距離感がつかめないように、のっぺりしていた。少尉はスティックを頭上に掲げ、左右に振る。機体の走行速度がそれに合わせて落ちる。そして、左右に振っていたスティックを、頭上でクロスさせた。『停止』の合図。機体は、素直にそれに従って停止。唸り声のように鳴っていたAPUが落ちる音。整備員が機体のコネクタに電源を差し込んだ。


「ずいぶん精を出しているな」

「少佐」


 少尉が機体のメンテナンス作業の一覧を確認していると、後ろから声がかかった。振り向くと、自分の上官がそこに立っていた。端末を脇に抱え、敬礼。上官もそれにラフな敬礼で返した。


「楽にしていい。ただの雑談をしにきた」

「はっ」


 少尉が敬礼を解いた。

 ハンガー内では機体の整備が進んでいた。解放されたウェポンコンテナ、開いたメンテナンスハッチ、フラップは待機位置へとだらりと垂れていた。ただ、そのキャノピーだけは、開かれていない。


「FQ27、か」


 少佐が機体名をつぶやいた。


「無人機も、とうとうここまで来たのか」

「少佐は元ファイターパイロット、でしたっけ」


 少尉が尋ねた。


「ああ、だが――」少佐が自分の左腕を持ち上げた。そこにあったのは、骨と筋肉と皮膚の代わりに、金属と人工筋肉とシリコンで作られた、義手。「あくまで元、だ」

「引退なさったのは、やはり怪我が?」

「まぁ、それもあるな。いくら高性能になったとはいえ、義手ではどうも昔のように操縦桿を握れなかった」


 少佐は機体に近づくと、右手で機体に触れる。雨でぬれていたはずの機体は、内側でCPUが放つ熱の為か、ほのかに温かった。


「こいつはいいよな。壊れても、その部位を交換すれば、元通りだ」

「元通り、と言うわけにはすぐには行きませんよ。場合によっては周りごとごっそり交換なんてざらですよ」


 少尉は機首の下にしゃがみこみ、機体の下部を覗いた。ランディングギアのハッチ。そこに小さな傷が、確かに残っていた。対空レールガンの近接信管の破片を浴びた際に、ついた傷跡だった。重要部位ではないため交換は行われず、再塗装で可能な限り補修を施したのだが、それでも跡が残ってしまった。

 綺麗に治してやれなくてごめんな。少尉はそう小さくつぶやく。


「君は、空に上がりたいとは思わないのかね?」

「そりゃ飛んでみたいですよ。こう見えて一応、パイロットですから」

「君の仕事を奪った無人機が、憎くはないのか?」


 そういわれて、少尉は難しい表情を浮かべた。横目で機体を眺めるが、こいつに憎しみやら憧れやら嫉妬やらの感情はどうも浮かんでこない。こいつはこいつで空を飛んでいるし、自分は自分の空がある。そこはなんというか――。


「別に、なんとも思っていませんよ。こいつは空を飛ぶ。おれはこいつを最善の状態にして空に送り出す。そしてあわよくば空に上がる。そこにいらん感情は不要でしょう」


 そういわれて、少佐はわずかに瞳を丸くした。


「ずいぶんドライなんだな」

「別に、ただ空を飛びたいだけですよ」


 少尉は笑った。その表情を、少佐は複雑な感情で見つめた。


「私は、どうもとの関係がわからないのだよ」


 少佐は機体から手を離した。


「私の様なファイターパイロットは、もうすっかり商売あがったりだよ」

「別に空で戦うのだけが仕事ではないでしょうに」

「いいや、最早パイロットの居場所はなくなってきている」


 少佐は、静かに語る。


「軍用だけじゃなく、商用も、貨物も、旅客も、今や無人パイロットが飛ばしている。彼らの方が、優雅に、美しく、正確に、空を飛ぶ」


 少佐の声には、抑えきれない何かが混じっているようだった。

 先程の無人機の着陸。有人飛行だったころは、視界の濁る中、ILSの見えないガイドラインに沿って目隠しで触れるように滑走路に降りていた。当然事故も起きたし、着陸をあきらめて別の滑走路に再アプローチすることだってあった。それが先程の無人機は、この難しい状況の中、完璧に正確な着陸をしてみせた。少佐には、それがまるで無人機の人間に対する誇示のように感じられた。

 だが、と少佐は続けた。


「よかったこともあったのだ。私は、今の職に就いて、無人機が主戦場になってから、しなくてよくなった仕事が増えたんだ」

「その、仕事とは?」

「部下の、KIA作戦中死亡報告を、しなくて済むようになったんだよ」少佐は、自嘲するように笑った。「棺桶を、用意しなくてもよくなった」


 少佐は語った。航空事故も、無人化により急激に減った。機械はミスをしない。航空事故のほとんどを占めていたのは人によるミスだ。機械が操縦桿を握って、それがなくなった。


「だから、わからなくなったのだよ。パイロットの価値と言うのが。何のために、空を飛ぶのかと言うことが」少佐は再び少尉に向き直る。「だからこそ、君に問う。何のために、空を飛ぶと思う?」


 少尉はしばし、思考する。自分の整備する機体に視線を移す。空を飛ぶために生まれ、空で生き、やがて空で散る運命の、無人戦闘機。しかし、彼にはそれはただのプログラムのようには感じられない。それは、なんというか、まるで――。


「楽しいから、なんじゃないですかね」

「なんだと?」

「別にいいじゃないですか。楽しいから空を飛ぶ。好きに飛んで、好きにくたばる。それで十分じゃないですか。小難しいことなんて、空じゃちっぽけなもんですよ」


 少尉は無人戦闘機の管制機となった、有人戦闘機で飛んだ高度十数万フィートの空を思い出す。そこにあるのは、人間の理解の外側にある、漆黒の世界。ギラギラとダークブルーの空に輝く太陽が、濁ったスカイブルーの地上を照らす風景。


「なるほど、楽しいから、か」

「そうですよ。だから、こいつも」


 少尉は、機首の下を撫でる。そこにあるのは、ステルス性のペンキでもって英語で小さく書かれた、『幽霊梟ゴーストオウル』の文字。


「きっと、楽しんでると思いますよ」


 少佐はそれに対して、そうか、とだけ返して、指令室に戻っていった。





 基地が騒がしくなった。少尉が廊下を駆け抜け、管制室に飛び込む。そこには少佐が画面の前に立っていて、管制官に指示を飛ばしていた。


「少佐、いったい何が?」

「ああ君か、君の担当していた機体、あるだろう」少佐は無感情に告げる「撃墜された。長距離対空ミサイルの直撃を受けて炎上。帰還が困難とAIが判断し、一〇三九にFL540で自爆した」


 自爆。無人戦闘機に脱出は必要ない。戦闘データの送信が終われば、待っているのは機密保持のための自爆だ。は、彼の務めを果たした。


「そう、ですか」


 少尉は答える。愛着がないといえば噓になった。だが、あいつはあいつの役割を果たしたのだった。

 少佐から次に配備される機体の説明を受け、報告を受け取って少尉は管制室から出る。だが、彼の脳裏には少佐の、どこか羨望をにじませた彼の青い瞳が、焼き付いて取れなかった。

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ウィング・レガシー 失木各人 @kakuvalc111

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