3月のゴールライン

薮坂

舞い散る桜と見送るゴール


「まさか最後までコレやとはね。あんたと2人で最後まで、帰りの電車をこのホームで待ってるとは思いもせぇへんかったわ」


「オレも驚いてるで。全然成長せぇへんかったな」


「まぁ、ウチららしくてええんちゃう?」


「珍しく同意やわ。マリアナ海溝より深く同意してるわ」



 そう言って、ベンチの隣に座るコイツはクスリと笑った。それはいつもの笑顔に見えるけれど、付き合いの長いウチにはわかる。少しだけ、ほんの少しだけ。寂しさのようなモノが混じった、そんな笑みであると。


 思えば、幼稚園から数えて15年間。ずっとウチらは一緒だった。家が近所で生まれ年が同じと言うだけで、ずっと一緒だった。

 幼稚園も小学校も中学校も高校も。当たり前のようにコイツが隣にいた。だから。

 それが今日で最後になるなんて。わかっていたけれど、それは今日になっても実感がわかないことだった。



「驚くようなハナシやけどさ。今日で最後なんやな。あんたとこうして、帰りの電車を一緒に待つんも」


「そらそうやろ。高校卒業したのにどうやってこの駅で一緒に電車待ちすんねん」


「いや、何て言うかさ。今日という日が来るんはわかってたけど、実際今日になっても実感がわかんっていうか。何か、明日もあんたとここで一緒に電車待ってそうな気がすんねん」


「そんなけオレと離れづらいんか」


「そんなワケないやろ、アホ」


 と、ウチはいつものウソを吐く。本当は、明日も明後日もその先もずっと、コイツと一緒に電車を待って、そして一緒に家に帰りたかった。でも時間は未来に進んでいくだけのもの。これからウチらは、お互い別々の未来に向かって進んでいく。

 ウチは府内の大学へ。コイツは東の方の大学へ。お互い、一人暮らしの新生活が始まる。

 勉強したいものが全く別だったから、大学まで一緒とは行かなかった。自分の未来を決定する選択を、他人任せにはできない。それはお互いが一番嫌うことだから。


「思えば長かったなぁ。幼稚園の頃から数えて15年か。お互いもう18歳や。驚くほど歳とったな」


「世間的にはまだまだ若いで。それお年寄りのセリフみたいやん」


「いや、なんていうか。電車が1時間に1本しか来ぉへん駅のホームで、ほんで桜が綺麗に咲いてて。穏やかな春風に包まれてるとやな、自分が高校卒業したって感じがせぇへんねん」


「言わんとすることは、まぁ何となくわかるわ」


「おぉ、わかってくれるか。さすが15年の付き合いなだけあるわ」


 桜の花を見上げながら、コイツは笑った。太陽の光が、そのメガネに反射する。キラリと光るそれを受けて、ウチは一瞬目を閉じる。するとコイツとの今までの思い出が、鮮烈に蘇ってきた。

 ……どれも、本当にしょうもないことばかりだけど。


 どうして、ウチは最後まで言えなかったんだろう。「好き」っていうたった一言が、どうして最後まで言えなかったんだろう。



 あれは、中学2年生の時。ちょっとしたことでクラス内でいじめられ始めたウチを、コイツはさらりと救ってくれたのだ。

 中学2年にもなると、みんな色恋を覚え始める。その時もウチは、コイツとずっと一緒だった。だからウチはコイツと噂されることになった。

 悔しいことに何故か女の子にモテるコイツのことを、良いなと言うクラスの中心的な女の子がいて。そして影響力のあったその子は、いつもコイツと一緒にいるウチのことが気にいらないという風になり。そしてクラス中の女の子が、ウチのことを無視するという陰湿ないじめが始まった。

 同じ小学校出身の友達にも無視される始末で。その時は本当に悲しくなった。たったそれだけのことで、ウチの中学時代は暗黒に塗りつぶされ始めたのだ。


 そんな時だった。クラスの中心的なその女の子は、取り巻きと一緒にコイツに言い放ったのだ。


 ──浮いてるあの子と一緒におったら、キミも浮いちゃうよ? 距離おいたほうがええんちゃう? と。


 それに対するコイツのセリフは、今でも鮮烈に憶えている。


 ──お前らガキか。オレがアイツのこと好きやから一緒におるんや。他人に言われて付き合うヤツ変えるなんか、主体性ないボンクラやんけ。そんなしょうもない人間になるくらいやったら、クラスで浮いてたほうが遥かにマシやわ。咲也子サヤコ、帰るで。



 その後ウチは、涙を流しながらコイツと一緒に帰った。その時、何も言わずずっと手を繋いで帰ってくれたコイツ。あの時から、ウチはコイツに恋をしている。

 ずっとコイツと一緒にいたい。それが、ウチの小さな恋だった。



「……ほんでどないしてん。桜なんか見上げて物思いに耽って。文学少女気取りか」


「気取ってへんわ、純然たる事実や。それに先に桜見上げてたんはあんたやろ」


「まぁ、感慨深くもなるわな。これがお前と見る最後の桜って思うとな」


「最後……か。そう言われると、ちょっと寂しいもんがあるな」


 最後の桜。コイツからそう言われると、胸にくるものがある。これからウチらはどうなるのだろう。

 お互い、別々の道を歩み始めて。たまに実家に帰って来た時に、タイミングが合ったら会えたらいいとは思う。でも。

 そんな未来は来るのだろうか。お互い新しい生活を始めて。付き合う人間もガラリと変わってしまって。それでもコイツはウチのことを少しでも考えてくれるのだろうか。会いたいってウチが連絡をしたとして、会ってくれるのだろうか。


 今まで、コイツに「会いたい」なんて連絡をしたことはない。だっていつも一緒だったから。それが当たり前だったから。だから。

 ウチがそんな連絡をして、コイツがそれに付き合ってくれる未来を描くのは、なかなかに難しいことだった。



「──お、ついに来たな。最後の電車が。これがオレらの、高校生活のゴールやな」


「そうやね。これがウチらの、最後のゴールやわ」


 警笛を鳴らして、遠く、電車が滑るようにプラットホームに入ってくる。アレに乗ってしまえばウチらの高校生活は完全に終わる。ここがゴール。コイツとウチのゴールで、そして別々のスタートなのだ。


 本当に、こんなゴール最後でいいのだろうか。やり残したことはないだろうか。言い残したことはないだろうか。

 そう考えると、ここがゴールだなんて思いたくなかった。コイツに言いたいことはあった。でも。今言ったって仕方ないとも思う。もっと前に、言っておけばよかったと後悔してももう遅い。 


 だからウチは、その悩みを断ち切るようにして。隣に座るコイツより先にベンチから立ち上がる。そうしたらきっとコイツからは見えない。ウチの目に浮かぶ、うっすらとした涙も。


 電車から何かの排気音が聞こえて。そして目の前で完全に止まる。ついにゴールがやってきたのだ。

 いつもの電車。3年間、ウチらを学校へと送り届け、そして家に帰してくれたこの電車。コイツと一緒にコレに乗るのも、これが最後だと思うと不思議と切なくなる。

 

 でも時間は待ってくれない。常に未来へと流れ続ける時間を止めることはできないし、まして巻き戻すことは叶わない。だからウチは、スライドしたドアに向かって歩き始める。この最後を、後悔なく噛み締めるために。



 ──その瞬間だった。ウチの左手が、コイツに引かれたのは。


咲也子サヤコ。1本だけ、電車見送ってくれへんか」


「──え?」


「お前と制服着て電車待つんが最後って思うとやな。正直ちょっと、胸にくるもんがあるねん。ほんでオレ、お前に言いたいこともあんねん。でも、ちょっと時間かかりそうなんや。そやから、」


 そう言って。春隆ハルタカはウチの手を握ったままで続ける。


「そやからな。あと1時間だけ、オレと一緒におってくれ。15年も一緒やったんや、1時間なんか誤差のレベルやろ?」


「……まぁ、確かに誤差のレベルやな。ほんで、ウチに何を言いたいんよ」


「話せば長なる、言うヤツや。それこそ、1時間じゃ足りんかも知れんわ」


「端的に言うてよ。1時間も待ってられへんで」


 電車のベルが鳴る。でもウチらは手を繋いだまま、そこから動かない。ドアが閉まって電車が動き出した時、春隆の声が後ろから聞こえた。


「──オレな。咲也子のこと、好きや。これから別々の道に進んでお前とは一緒におられへんようになる。そう思たら、お前にこれだけは言わなあかんと思てん。好きや、咲也子。今までオレと一緒におってくれて、しょーもないハナシに付き合うてくれて、ほんまありがとうな」


「……ウチのどこが好きなんよ。クチも悪いし乳もないし友達もロクにおらんし、面倒くさいことばっかりやで。そんなウチのどこが好きなんよ」


「全部言うたら、次の次の電車待つことになるけど、それでもええんか?」


 春隆はクスリと笑った。ウチの手を強く握ったままで。それがどうしようもなく嬉しくて。涙が出るほど切なくて。

 ウチらを置いて走り去った電車が、巻き起こした桜吹雪の中。ウチは涙を流したまま、振り返って言った。


「……待つわ。それに、ウチも春隆の好きなところ言わなあかんし。そやから次の次の次の電車になるかも知れんけど、そっちこそええの?」


「全然ゴール出来へんやんけ。まぁ、これで終わりにしたないけどな」


「あ、ええこと考えた。一駅、歩いて帰ればええねん。そしたらこれがゴールにならへんで?」


 ウチの言葉に、春隆は笑う。そしてウチらは手を繋いだまま、駅の改札を後にする。



 決めたはずのゴールを見送って。

 そして、2人で新しいスタートを切る。


 線路沿いの桜並木の下、2人で未来に向かって進んでいく。これからは別々の道を歩むことになるけれど、それでも。

 いつかまた、2人並んで歩ける日が来ることを。ウチは誇らしげに咲く桜に、切に願った。




【完】



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