グランドフィナーレ

高野ザンク

エピローグ

 私は会社を辞めた。


 この不況の折、会社が進める早期退職制度に賛同したのだ。まだ定年まで10年以上もあるというのに会社を辞め次のプランもない私に、妻は愛想をつかすと思ったのだが、「『病めるときも健やかなるときも真心を尽くす』って誓ったのに、ここで見放すのは罰当たりだから」と言って離婚されることはなかった。

「ソロ活も辛いだろうし、それに、もうちょっとあなたを見極めないとね」

 と妻はあっけらかんと言った。


 家賃の節約と心機一転のつもりで、一週間前に都心のマンションから郊外のアパートへと引っ越してきた。

 駅名にもなっている公園の桜が見頃だというので、日曜日の午後、私たちは新しく越してきた町の探検がてら、花見に出かけることにした。


 妻が、2時間ドラマの『心霊探偵 斑鳩透水いかるがとうすいシリーズ 血まみれの用水路、愛と希望を歌った尾道巡りで死者は三度蘇る?』を見終わった頃、二人でアパートを出る。21回目まで続くホラー系ミステリーの再放送らしく、私からすると何が面白いのかさっぱりわからないが、満足げな妻は見事なまでに上機嫌だった。


 彼女が公園で食べるおやつを買いたいというので駅前で別行動となり、私は本屋で暇をつぶしていた。地元では大きな本屋らしく、入口に「私と読者と仲間たち」という独自のセレクトをした特集コーナーがあり、Web小説出身者を中心に、若手作家の文芸書がずらりと並んでいた。

 せっかく本屋に入ったので、この地域近郊のガイドブックを買う。レジの定員の声が渋みのある、やたらと良い声なのが印象に残る。本人も自覚があるのか少し芝居がかった口調で、ニヤリとしてしまった。


 本を買い終わっても妻は姿を見せる気配がないのでスマホで連絡すると、どうやらたいやき店の列に並んでいるらしい。場所を聞いて店まで行ってみると彼女はちょうど会計をしているところだった。その後ろにはまだ10人ほどのお客さんが並んでいる。

「知ってる?ここ、ワタリ・ニノミヤがプロデュースしているたいやき屋なんだって」

 たしか先日『情熱大陸』に出ていた新進気鋭のパティシエの名前だ。妻いわく、この町の洋菓子店で修行していたそうで、いつかこの町に自分の店を出すのが彼の夢だったそうだ。ほとんどをおうち時間で過ごすせいか、テレビ中毒とも言える彼女はこういう話にやたらと詳しい。付き合い始めの頃はそれを少し面倒くさいと思っていたけれど、私が知らない情報を色々話してくれるので、夫婦としてはバランスが良いのかもしれないと思う。


 駅の反対側の商店街を抜けて左に折れると、公園が見えてきた。大きな池にはアヒルのボートもあって、予想以上に大きな公園であることを知った。池に沿って遊歩道があり、その脇の桜並木が、まさに満開になっていた。

 休日だからか人手も多く、私たちのような花見客、ジョギングで走る人々、サイクリングをするカップル、ベビーカーを押す夫婦の他、花見を取材するテレビカメラの姿も2、3あった。

「あのレポーター知ってる?」

 妻が指差したのは、大きな桜の枝をカチューシャにして、ハイテンションで花見客にインタビューをする女性だった。

「ああ、明海レイアだ」

 私が出した名前に、妻はあまりピンときていなかった。彼女は『レイアのド根性チャンネル』を開設し、元アイドル時代に培ったハングリー精神を武器に、あらゆる物事に挑戦する姿で人気を博して、今では売れっ子ユーチューバーになっている。妻が知らないということは、まだテレビ露出が少ないのだろう。

「そのうち、テレビのバラエティとかで見かけるようになると思うよ」

 そう言って人混みの反対方向に歩き出す。


 私たちは桜並木の下をのんびり散歩して、空いているベンチを見つけるとそこに腰掛けた。二人でたいやきを食べていると、子供が遊ぶビニール製のボールが転がってきて、私の足にコツンと当たった。

 小学校低学年ぐらいの女の子が走ってきて、目の前で立ち止まる。きっと持ち主だろうと、片手で拾って差し出すと、女の子は両手で大事そうに受け取った。

「花、ちゃんとお礼を言いなさい」

 母親らしき女性の声が聞こえて女の子が振り向くと、目線の先に両親が立っていた。父親のほうは赤ん坊を抱っこしていた。

「ありがとうございます!」

 大きなはっきりした声で“花ちゃん”がお礼を言ったので、私も

「どういたしまして」

 と丁寧にお返しをする。花ちゃんが両親に向かって駆けていくと、私と目があった母親が会釈をしたので、私も軽く頭を下げる。

「そういうとこ」

 妻がそれを見て私にむかって声をかけた。

「あなたのそういう律儀なとこ、けっこう好きよ」

 思わず赤くなる私をよそに、彼女はたいやきの餡を口元につけたまま何かをつぶやいた。口の形から「尊い」と言ったようだった。


 ベンチに腰掛けてしばらく桜を眺めていると、だんだんと日が落ちてきて、少し肌寒くなる。桜を見上げながら、妻が私の手を軽く握った。

「これまでお疲れ様でした」

 その言葉に私が彼女を見ると、彼女もこちらを向いて言った。

「ひとつのゴールだね、そしてスタート。これからもよろしく」

 その時、私はなぜか、プロポーズした時の彼女の泣き顔を思い出していた。

 直観で決めた結婚だったけれど、妻と一緒に歩んだ数十年に、いくつゴールとスタートがあったのだろう。そしてこれからは果たして……


 私が仕事を辞めたのは、それなりに大きなゴールだろう。でも、考えてみれば、誰でも毎日大なり小なりのゴールを迎え、そしてまたスタートを切る。

 この公園に集う人々、いや、この町の人々が皆そうやってゴールとスタートを繰り返しているのかと思うと、なぜだか急に自分の不安がちっぽけに感じられた。


 その想いを言葉にする代わりに、私は繋いだ手を少し強く握りしめる。


 今日というゴールを迎え、明日というスタートを切るために。


(終)

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