ゴールの意味を考え過ぎて墓穴を掘ったヒモ男

真野てん

第1話


 ゴールといえば『虫こぶ』というのを知っているかな――。


 男はいつものようにソファーで寝っ転がり、スマホ片手に電子タバコをふかしながらそんなことを言い始めた。

 着古したダボダボのスウェットに突き出た腹。

 顔立ちはいいはずなのだが、しばらく手入れをしていない髭が野放図に生えている。


 女は鏡のまえでメイク中。

 さっきまで男と一緒にイモムシのようにゴロゴロとしていたが、サナギの状態をすっ飛ばしてみるみるうちに美しい蝶へと変わっていった。


 男はそんな彼女の背中を見やり、鏡を通して会話を続ける。


ちゅうえいとかゴールとか言うんだけど、植物の葉や幹なんかに、ちょっと異質な、明らかにその植物とは別のものだろうって感じのこぶを見たことないかな? そう、それが『虫こぶ』なんだ。おっと、下手に調べたりしないほうがいいぜ。きみはブツブツしたものが集合している画像とか嫌いだろ。いわゆるトライポフォビアってやつさ」


 男はソファーから身体を起こすと、さも自慢気に『虫こぶ』の解説を続けた。

 テーブルのうえにはぬるくなった飲みかけのビールと、散らばった柿ピーがある。

 彼は電子タバコを充電すると、今度はそれらで口さみしさを紛らわすのだった。

 髪も身なりもぼさぼさである。


「そのこぶの中には昆虫の卵が入っていてね。ようは巣というわけだ。しかし多くの昆虫がそうするように、外部から巣の材料となる土や枯葉を持ってくるんじゃなく、あくまでも寄生した植物の構造を変化させ、自分の好きなようにコントロールするんだ」


 偉そうな口ぶりでそう語ったのちに、彼は冷蔵庫へと所在を移す。

 取り出したのはキンキンに冷えた500mlの缶ビール。


 ぷしゅっという景気のいい音をさせ、その場で一気にあおる。「くあ~」と、喉からこみ上げる爽快感そのままの声を上げ、またソファーへと戻るのであった。


「凄いと思わないか? ハチやアリみたいにせこせこ働いて誰かのために家を建てるんじゃなく、家のほうから住みやすいように変化していってくれるなんてさ」


「ふーん」


「なんだよ」


「それってさ、ヒモってことだよね。あんたと一緒で」


 ほろ酔い気分だった男の顔に、冷たい汗がつつぅと落ちる。

 鏡越しですら女の顔を見ることがためらわれ、じっと手にした缶ビールを真上から眺めていると、開けられたプルタブの形が自分を笑っている口のように見えた。


「わたし、友達が彼氏と最近ゴールしたよって言っただけだよね。なんでそんな無理して違う話しようとすんの?」


 男はなにも答えなかった。

 まるでそれが答えであるかのように。


 女は鏡のまえでため息をひとつ。


「――わたし、もう行くね」


 ギギィ、バタン――。

 安普請のアパートのドアが閉まり、女は夜の街へと出掛けていった。


 残された男は静かになった部屋でスマホを片手に、再び電子タバコを吸う。

 そして何気なく『虫こぶ』の顛末を調べてみた。


 害虫として駆除されるほか、共生関係にある場合においても、成虫になればやがて巣である『虫こぶ』から旅立ち、再び産卵期になり新たな『虫こぶ』を生成する。


「害虫か――」


 そうつぶやいたまましばらくぼーっとしていたが、突如立ち上がるとテーブルのうえを片付けはじめた。

 台所に行っては洗い物を済ませ、つぎはユニットバスを綺麗にし。

 小一時間掛けて部屋中を掃除すると、今度は洗面台で伸ばし放題だった髭をそった。


 もともと整った顔立ちである。

 髭をそり、髪型を整えれば、すぐさま芸能事務所にでも入れそうな見た目になる。

 そしてクローゼットから取り出したスーツに身を包むと、女の財布から掴んだ裸ゼニをポケットへねじ込んだ。


 男は最後に指輪を外し、綺麗になったテーブルのうえにそれを置く。


「ワリィ。新しい『虫こぶゴール』見つけるわ」


 さっき彼女の出て行った安普請のドアが、再び古びた音を出した。


 ギギィ、バタン――。


 男は鍵をポストへ投げ入れ、夜の街へと消えてゆく。


 彼らのゴールはどこにあるのか――。

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ゴールの意味を考え過ぎて墓穴を掘ったヒモ男 真野てん @heberex

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