私たちの卒業式

白木錘角

第1話

 私のランドセルにはおねえちゃんが付いていました。いえ、正しく言うならおねえちゃんの人形ですね。

 私には双子のおねえちゃんがいました。彼女は1歳の時、お風呂で溺れて死んでしまったそうです。

 彼女、なんて他人行儀な言い方になってしまうのは、私自身はおねえちゃんの事なんて全く覚えていないから。ものごころがつく前の事なので当然と言えば当然なのですが、それを言ってしまうと、なんて薄情な妹だと思われてしまいそうなので何となく覚えている事にしています。

 正直、お父さんとお母さんからおねえちゃんの思い出を語られても、「ふーん、そうなんだ」という感想しか出てきません。でもおねえちゃんの話をする2人の、泣いているような笑っているような顔を見ると、とてもそんなことは言えませんでした。



 私が小学校に上がる時、お母さんは私のランドセルに手製の小さな布人形をつけてくれました。


「これでおねえちゃんも学校に行けるわね」


 私にそっくりな人形を見て、お母さんとお父さんは笑顔でそう言いました。私も笑顔で頷きました。

 一応言っておくと、私はおねえちゃんと、おねえちゃんに拘る2人が嫌いだったわけではありません。お父さんとお母さんは、もういないおねえちゃんではなく私をちゃんと見てくれましたし、おねえちゃんの分まで私を大切にしてくれました。

 それでも、時折2人はここにいないおねえちゃんを見ていた気がします。それは私の隣の空いている席だったり、遊びから帰ってきた私の後ろだったり。時には私自身に重なっている事もあって、そういう時のお父さんとお母さんの目は嫌いでした。

 小学校に入ってからは、どこに行くにも私と布人形のおねえちゃんは一緒でした。おかあさんのいってらっしゃいとおかえりなさいは私とおねえちゃんの2人に向けられるようになり、雨に濡れて帰ってきた時には大きいタオルと小さいタオルの2つが玄関先におかれました。

 それだけでなく、人形のおねえちゃんは梅雨の時期にはレインコート、運動会の日には赤白帽といった具合に装いを変え、その様子は本当に学校生活を楽しんでいるかのように見えました。

 さすがに声掛けまではしなかったものの、私も遠足の時に山の上の景色をおねえちゃんに見せてあげたり修学旅行で訪れた遊園地で一緒にアトラクションに乗ったりと、そこそこ「思い出作り」に協力した気はします。

 


 嫌な事もありつつも、それ以上に楽しい事がたくさんあって。こんな時間がずっと続けばいいなんて思っても6年という時間はあっという間に過ぎてしまいます。

 満開の桜が学校を彩るその日は、私たちの卒業式でした。

 雲一つない空は私の門出をお祝いしてくれているようで、お父さんとお母さんと歩く道すがら、わけもなくスキップをして春の穏やかな空気を胸いっぱいに吸い込みます。髪が乱れるぞと注意するお父さんの口調も普段より柔らかいです。

 学校の側まで来たところで、私はランドセルに付けられたおねえちゃんの人形をお父さんに渡しました。

 2人としては、おねえちゃんには私と一緒に卒業式に参加してほしかったと思いますが、私は最後のクラスの最後の番号。ただ卒業証書を貰うだけでなく両端に並ぶ偉い人に挨拶をしなければなりません。もしポケットにおねえちゃんを入れていたとして、その時にポロリと落ちてしまったら大変です。だからおねえちゃんの人形はおとうさんとおかあさんに任せる事にしました。

 それから数十分後、予定通りに卒業式は始まったのですが、途中まではリハーサル通りに式は進みました。下級生のリコーダー演奏で入場し、校長先生のお話を聞いて偉い人の話を聞いて(唯一の誤算は、この話が想像の3倍長い事でした)、いよいよ卒業証書授与です。

 荘厳なクラシック音楽の流れる中、皆が次々壇上に上がり証書を受け取っていきます。それを見ながら、私は頭の中で何度も証書を受け取った後の流れを反復し、必死に胸の鼓動を抑えていました。


「…………証書授与。卒業おめでとう」


 私のすぐ前の男の子が校長先生と握手しました。いよいよ私の番です。

 焦らない、焦らない。なるべく自然に校長先生の前に立ちます。


「―—―—」


 校長先生が何かを言って証書をこちらに差し出しました。私はカチコチになりながらそれを受け取り、校長先生の節くれだった手をぎゅっと掴みます。

 さぁ後は壇上から下りて挨拶をするだけ。一度深呼吸した私が振り向きかけたその時。

 流れていたクラシックの音がふつりと消えました。証書授与が終わって音楽を消すのならだんだんフェードアウトさせていくものだろうし、第一まだ私は壇上にいます。

 どう動くべきか、私が戸惑っていると、再びスピーカーから音が流れ出したのですが、ノイズ交じりでとても聞けたものではありません。

 明らかな異変に皆顔を見合わせています。視界の端で、何人かの先生が音楽を流している放送室に走っていくのが見えました。


(このまま下りて、挨拶しちゃおうか)


 今なら多少の粗相をしても見逃してもらえるでしょう。私は急いで壇から下り、両端の賓客席におざなりな礼をしてさっさと席に戻ろうとしました。


 ―—ろ、ろくねねん、ごくみ――


 今度こそ、私は固まりました。黒板をひっかくような音に変わったクラシック音楽の中、甲高い女の子の声が聞こえます。


 ―—しゅせせせきばんごう、よんじゅういちばん――


 私は6年5組の出席番号40番です。41番なんて存在しません。


 ―—※♪§Δでででででです。おめでっっっっっっハハハハハハァとぉぉぉ――


 ……後に仲の良い友達数人に確認したのですが、皆には聞こえたのは出席番号41番までと最後のけたたましい笑い声だけで、その間の部分はノイズがひどくて聞き取れなかったそうです。

 でもお父さんとお母さん、私にははっきり聞こえていました。騒然とする体育館の中、甲高い声で私のおねえちゃんの名前が呼ばれたのが。

 当然卒業式はすぐに中止になり、教室に戻った後も皆大騒ぎで収集がつかない状態でしたが、私にとってはどうでもいい事でした。

 トイレに行きたくなったと嘘をついて教室を抜け出した私は、急いで体育館に引き返します。

 保護者も生徒もいなくなって大量の椅子だけが残された体育館では数人の先生が忙しなく動き回っています。その中には、あの時放送室に走っていった先生の姿もありました。

 私に気づいた先生が何かを言いかけましたが、それより早く質問をぶつけます。

 放送室に人形が落ちていなかったか、と。

 人形……? と一度首をかしげた先生でしたが、思い出したようにポケットの中をまさぐり、何かを取り出します。


「もしかしてこれか?」


 果たして、その手の中にあったのは、あのおねえちゃんの布人形でした。



 

 結局、その日のうちに布人形はお寺に引き取ってもらいました。

 すぐに行動に移せたのは、私とお父さんとお母さん、家族3人の意見が一致したからです。

 あれはおねえちゃんじゃない。あの甲高い声の持ち主は、おねえちゃんじゃない何かだ。

 あの人形に何がとり憑いていたのか、あるいは人形の中で何が育っていたのか。それを知る気はありませんし、知る必要もありません。

 卒業式は散々でしたが、私は無事に中学生となりました。あまり実感はありませんが。

 実感と言えば、あれ以降お父さんとお母さんがおねえちゃんの話をあまりしなくなりました。もちろん全く話題に出ないわけではなく墓参りにも一月に一度欠かさず行っていますが、おねえちゃんの話が出る頻度は前に比べてグッと減ったと思います。

 おねえちゃんの死を吹っ切る事が出来たのか、最近では大事にしていた赤ちゃんグッズも処分しようとしているようです。一応布人形の1件もありますし、特に大事にしていた物はお寺に預ける事になるでしょう。

 どことなく晴れやかな顔になった2人を見ると、どうやらあの卒業式で卒業できたのは私だけじゃなかったみたいだなと思えました。


 

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