君の虹は未だ七色か
この世に初めて生を受けた生物は、ただ外界と自らの間に壁を取り付けただけのものだったと聞く。私達とて身体構造こそ複雑怪奇にはなったがしかし、その原則は変わらぬままである。他者との境界を作り、己を確立させること。これが生物の生物たり得る条件であると考えるのも、そう不自然な事ではない。
……一説によれば、赤子は泣きじゃくるうちに他者と自分が違うものであると知覚するらしい。つまり成長と共に自他の境界の認識はアップデートされていく、というわけだ。
さて。我々は、有限区間のうちに無限の情報を内包するアナログデータを記録する為にデジタルデータを利用する。キリの良いところでそれを割り切ってしまえば、少々の劣化こそあれど、世界を圧縮保存することが出来るという寸法だ。例えば画素で区切って出力するデジタル・カメラ、例えば音を電気信号へ変換するコンバータ、それら全てがこの理念の産物である。そして時に、技術の進展によってデジタルはアナログへと限りなく近付いている。それは普通の人間がそれをアナログかデジタルか判別できないほどに、だ。
ではそもそもとして、我々は本当に世界というアナログデータを目に入るだけ理解しているのだろうか?
答えは勿論、ノーである。
目に映る全て、感覚へと伝わる全てをありのまま処理するには、人間の脳はあまりに小さく性能不足であるだろう。現に私達は視界のうち見ようとしたものしか“見る”ことができない。“目に映る”と“見る”はそれぞれ別の概念であって、例えば可視光が降り注いでいたとしても、私達の目は紫外線のみを捉えることができない。
そう、見るという行為一つを取ってもそうだ。注意を向けたものに対してのみ256*3=16,777,216色の原則に沿い色を当てはめ、そして反射的に理解しようとする。それでようやっと私は世界を見ることができるわけで、そう考えると、ある意味で私達は既にデジタル化された世界を見ている気すらしてくるわけだ。
……要するに、ある事象が包括する情報量がヒトの理解できる範囲を超過していれば、それ以上はどれほど大きかろうとあまり大差はないという話である。「限りなくアナログに近いデジタルデータ」とはつまり、「ヒトが処理できる限界に近い(あるいは限界を超えた)デジタルデータ」ということだ。
前置きが長くなったがここからが本題である。ここまで長々としてきた例え話は、私の「低レベルの処理能力が必ずしも不幸であるとは限らない」という持論に繋がってくる。
しばしば高次元の処理能力を持つ、或いはそう自らを評する人間は、自分より劣る人間を見下す傾向がある。つまるところ、自称・視野の広い人間は、自分より視野の狭い人間を「愚かだ」と評するだけでなく、「こんなに広い世界の一部しか知ることができないなんて、なんて不幸なのだ」と考える。それは優秀な彼もしくは彼女にとってはある意味で真理で、彼らは低次の者の境遇を彼ら自身の物差しで想像して憂い慈しむだろう。しかし、その相手にとってはどうだろう。……必ずしも、彼らの考えるとおりとは限らないのではないだろうか?
人間は有限な天井の下で、その天井へと近付く努力をしている。その天井の高さは人それぞれで、けれど人は自分の天井のみを指針とする。そしてこれは完全な私見だが、幸せの価値は相対的である。絶対量ではなく、天井と比較した相対量。見知った世界が増えれば増えるほどに欲望は増長されていき、『満たされていない』という感覚を覚えることが多くなってゆくだろう。……ここからは完全な私見だが、無知が幸せを呼ぶこともあるのだと私は思っている。無知故の幸福と賢さ故の不幸。そのいずれを優れた人生と呼ぶかは、あくまでもその人生を生きる当人の判断次第ではないだろうか、と考えているわけだ。
まあ、難しい話をしたので少し脱線しよう。
今の君は虹色を七色と信じて疑わないだろうが、幼子の頃はどうだった? 私は初め、三色だと思っていたが。……君もそうか。では何故今、虹は七色に見える?
……ときに言の葉というものは、見える色の幅を縛ることがあるそうだ。ある国では虹はたった二色で、別の国では八色に見えるらしい。
まずもって色の名称とは、無限のグラデーションからある色を認識するためにとある幅を特定の『色』として定義したものである。その間の微細な違いを無視した便宜上のタグとして言葉が存在しているので、ある意味では言葉もデジタルデータに近しい、と言えるかもしれない。ともあれ、文化圏や言の葉の指すものの違いは処理能力の違いと似通っていると私は思う。
ここまで長々と話をしたが、正直なところ、まあ、難しい話は忘れてくれても構わない。ただ、
「貴方は二色の虹しか見られない者達よりも幸せか?」
「八色の虹を見られる者達は貴方より幸せか?」
……たったこれだけの問いを覚えておけばよい。これだけ覚えておけば、この話は十二分に理解できるはずだ。
文學的索引 Garm @Garm
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