ソロ焼肉

華川とうふ

全日本男子ソロの部

 焼き肉がオリンピック競技に取り入れられたのはつい最近のことだった。


 焼き肉というのは昔はただの食事だった。

 ちょっと特別なときの。

 文献によると、小説を書く人々は賞をとったときは仲間に焼き肉をごちそうしなければいけなかったともある。

 どうやら、焼き肉とは今も昔も特別な食べ物であることには変わらないらしい。


 俺が焼き肉の選手になろうとしたきっかけは、高校生の頃、彼女との初めてのデートがきっかけだった。

 その頃の俺は焼き肉の選手になろうなんて全く考えたこともなかった。ただ、初めてのデート。健全で楽しく特別にしたいと思っただけだった。


 七輪の下の方でオレンジ色の墨が煌煌と燃え、その上に銀色の網を王冠のように輝かせていた。そこに黒い制服を着た店員に恭しく運ばれて着た肉を載せると、世界が変わった。

 赤くたれをまとった肉が、じっくりとこの世で最高に美味しい瞬間を迎えるのを俺とデート相手の女の子と静かにみとどけた。

 それは確かに特別な時間だった。


 それから時を経て俺は焼き肉の選手になった。


 そして、俺はこれから初めてのソロ戦に挑む。


 俺にとって今まで焼き肉は団体競技だった。

 焼き肉という協議は主に団体、デュエット、ソロというように部門が分かれる。

 俺が今までやってきた焼き肉は団体部門だった。

 団体戦は楽しかった。チームプレーでみんなでわいわいと楽しく焼き肉をした。厳しいことをいうこともあったかもしれない。だけれど、それは皆がよりよい焼き肉をするために仕方がないことだった。

 なのに……俺はある日、チームからの追放クビを言い渡された。

 最初は他のチームに移籍しようと思っていた。

 だけれど、どうやらもといたチームが俺の悪評を広めたらしい。

 移籍どころか、俺にはデュエットすら組んでくれる相手もいなかった。

 そんな俺が焼き肉を続ける道はソロとしてやっていくしか無かった。


 名前が呼ばれた。俺の演技の順番が来たらしい。


 大丈夫……。


 自分で自分にささやきかける。

 俺は人にも厳しいけれど、自分にはもっと厳しかった。

 それもこれも最高の肉を焼くためだ。

 俺は堂々と胸を張りテーブルに付く。

 衣装はソロの部では伝統的なスーツにネクタイだ。

 匂いはつきやすいし、汚せないし、動きに制限が加わる。

 だけれど、その中でいかに優雅に焼き肉をするかが問われる。

 今、世界で一位のソロを演じるといわれているロシアの選手もこのスタイルを好む。そして、彼は素早く網の上で肉を焼き、最後はトレンチコートを颯爽と羽織って、道行く人には焼き肉の匂いを感じさせないという技が有名である。

 以前の大会の映像をみたことがあるが本当に優雅なものだった。

 日本人がきると野暮ったいスーツも彼が着ればお洒落でとってもチャーミングだ。

 日本人にはとうてい彼の真似などしても勝てっこない。


 だけれど、俺はあえてスーツで選んだ。

 なんでだろう。

 もしかしたら、今日の試合に負けたらそのまま焼き肉という競技をきっぱりやめてちゃんと就職をしようと思っているというのも理由の一つだ。

 もう、何時までも夢を追っていられる年でもないんだ……。


 椅子に座ると店員がメニューを見せる。

 俺はカルビ定食を注文した。

 本当はハラミなどの方が好きだ。

 だけれど、ここはあえて値段も安く国民誰もが親しみやすいカルビにした。


 もしかしたら、最初で最後になるかもしれない俺のソロとしての焼き肉。誰かの心に残って欲しかった。


 店員があっという間に焼き肉定食をもって来る。

 白いライスに胡麻ドレッシングのサラダ、ワカメスープにたれを絡めた赤い肉。


 さあ、俺のステージの始まりだ。


 最初で最後かもしれないソロ焼き肉。俺は最高の肉を焼き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ソロ焼肉 華川とうふ @hayakawa5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説