追憶 暗躍の影

 大きな音が鳴った。

 木が騒めく音、地面が揺れる音といった音たちもその現象にかき消される。——その正体を彼女は知っていた、否。感じていたという方が正しいのかもしれない。

 魔法を使う彼女にとって、それは日常的でごく当たり前の感覚。


「あれ……」


 フードの下から美しい赤い髪を覗かせた女、ユイ——彼女が音の鳴った方を指差す。

 彼女は同じくフードを被った五人——仲間と共に行動をしていた。

 だから彼女は勝手に行動が出来なかった。

 それでも彼女は好奇心を止められず見たくて見たくて仕方ない衝動がどうにも抑えられない。だから彼女は確認を取ることにした。


「見てきてもいい?」


 それに続けて「ちゃんと気配を消すから」と付け足す。


「……嫌、ダメだろ」


 端的且つ当然の結果だ。


「自分たちには時間が無いので」


 仲間たちは行くことを許さなかった。

 さらに「それに」と続けて仲間の一人が言った。


「もしそれがお前の殺したい相手だったら、お前殺意殺せるのか?」


「……うぅ」


 ユイは仲間の言葉に唸り倦ねる。


「確かに……」


 今回の作戦の舞台を私有している王はユイの最愛の相手を殺した男。

 殺したいほど憎んでいる相手だった。だからこの騒ぎを起こしている人物がユイの恨みを買っている人物であるという可能性が捨てきれない。

 さらに言うと相手にその殺意が気付かれたら作戦自体が失敗という恐れもある。


「ならば私が付いていきましょう」


「えっ……! ユダさん、良いんですかっ!」


 興奮した趣でユダに迫る。

 ユダは彼女に近寄られて少々引き摺った顔になりつつも、


「えっ、ええ……。私も気になりますし。それに私なら人の視線などに敏感だから、相手に気付かれたとしても即時離脱を伝えられます」


 と優しく答える。


「じゃあっ!」


 ユイは他の仲間たちを一瞥した。


「ユダ様が良いのなら……」


 ユイは思わず声を張り上げそうになった。だがそれではこの機会が全て白紙にされてしまう恐れがあったから、口を両手で抑え変わりに小さくガッツポーズを取った。

 このやり取りが終わってすぐ、二人は音のあった方へ行き遠くからその場所を覗いた。


「ここは見えずらいな……」


 だからユイは双眼鏡を出す。

 そこには大きな石で作られた城と戦う三人の男たち、それと……。


「——巨人! この世界に巨人なんて存在したんですか⁉」


 その声は実のところユイではない。

 赤髪はこの国の出身であったため会う機会、否。見る機会があった。だから巨人如きで驚きはしない。

 つまりこの驚きようはユダである。


「ユダさん……。あなたお目付け役としてきたのだから、もう少し静かにしてはいただけはしないでしょうか」


「うっ……。はい」


 視線が痛い。恥ずかしくなり咄嗟に顔を隠すユダ。


「あれがこれから戦う敵か。小さな女の子に向かってなんて大きな波を立てるんだあの悪魔は。嫌、魔王か」


 可愛い反応をしてくれたユダを放ってユイは戦いの観戦を続けた。


「それにしても凄いな。あんなに強い波を同じく水魔法の覆いを使って潰れないよう凌いでる。きっと私の魔法だとあれの半分を打ち消すくらいしか出来ないだろうな。まああのくらいなら交わせるけど」


「私はそれでも十分化け物だと思いますよ」


 背後からユダの声が不意にしてユイは少しだけ冷や汗が出す。


「戻って居たなら一言言ってくれよ……」


「フフ、その反応が見たかったんですよ」


 謙虚で真面目な美しい声の少女は悪戯っ子の一面がひょこんと顔を覗かせるユダ。

 その事を少し誇らしげに「まあ、これでも一年一緒に居るからな」とユイは小言を言い小さく笑う。


「何か言いましたか?」


「嫌、なんでも」


 何かをはぐらかされたことに気付いていたものの、それ以上ユダは問わず「そうですか……」と口を噤む。

 二人は真面目な雰囲気に切り替え本来の目的である観察を始めた。


「ユダさんはあの戦いをどう思いますか」


「あの男を殺せるかの勝目について聞きたいのであればそれは不可能と断言しましょう。力の差は歴然ですし、水魔法使いなんて戦い方が覚束ないじゃありませんか。素人丸出しですし、そんな素人に勝てるような相手では彼はありません」


「あの……。気になっていたことがあるんですが……」


 ——どうして2キロも先の光景を双眼鏡も使わずに詳細に把握できてるの……。


「嫌、やっぱりなんでもありません」


 ユイはその後、あんたも十分過ぎるくらい化け物だよ……と心の中で呟く。


「私のこれは魔法では無くただの生まれ持った才ですよ」


「今の、私は声に出してましたっけ?」


「——」


 どうやら彼女には心を読める能力が備わっているようだ。元ではあるものの傍観者の名は伊達ではない。


「話を脱線し過ぎましたね。話を戻しましょうか」


 そう声を掛けたのはユイだった。

 それは彼女ユイのこれ以上は突き詰められたくないという思いを読み取ってのものだった。


「はい。そうして貰えると助かります……」


 ユイは「では」と言葉を続けた。


「さっきユダさんはこの戦いがあの男——つまりレイを殺すための物だったら、勝てないと言っていましたが。これが殺し合いでは無く、もっと他の目的を達成させるための行い、例えば、あの城がゴールでそこを越えたら勝ちのものだったら、どう思いますか」


「3、7くらいでしょうかね。あっ、勝ちが3ですからね」


「ならばきっとあの闘いの勝率は3ですね」


「そうでしょうか? あの水色の少女は少なくとも何も考えていないように見えますけど」


「でもニトの方が逃げようとしています。あの子は勝目の無い闘いに逃げるなんて発想はしません。何もしないはずです」


「まあそうですね……。そうなんですね」


 ユダはそれ以上何も言わなかった。闘いが終盤に差し掛かって来たからだ。

 新しい剣で結界を破り押し出されるように二人は門の中に入る。


「あっ、通過した。二人とも満面の笑みを浮かべていますね」


 二人で必死になって手にした勝利にユダはどこか嬉しそうに「よし」と声を出した。


「ニトも笑ってる——あっ、レイが跳んできてニトの頭を蹴って起こしたっ。あれは少し面白いですね……」


 笑っている。笑っているはずなのに彼女からは全く喜の情が感じられなかった。

 それ以上になぜか怒の情の方が強く感じる。


「笑ってませんね」


「笑えているわよ。怒りの方が強いだけ」


 そこにユイは言葉を続ける。


「ニト、あなたはまだそこに居たのね。その兄が怖くて逃げられないのね。でも大丈夫よ。私が全て終わらせてあげる。あなたのためにも。私のためにも」


 ユイは恐ろしい程研ぎ澄まされた殺意をレイに向けた。


「——ッ!」


「あっ、こっち気付いた」


 嘘だろと二人はその確かに向けられた目にギョッとした。


「ヤバいヤバい。離脱っ離脱っ」


 ユイは鼻歌交じりでウキウキと走った。


「今のはユイが殺意を向けた所為でしょ。これで捕まったらユイのせいですからね」


「だって、仕方ないじゃないですか。気付かれると思わなかったもん……」


「どうします。これ追いつかれちゃうんじゃないですか」


 まさか。二キロあるんですよ! とユイは言いたくなったけど、あの男ならそれすらもやって見せる気がする。


「なら、私の魔法で」


 次の瞬間、ユイは左目の眼光を輝かせる。


「我、ほのおの管理人、ユイが命じる。破滅の未来を変え、新しき過去から始める希望の日の和を与えよ。炎魔法≪りん!≫」


 魔法を唱えた彼女の背中には青の炎で象られた日輪が出現。それによりユイの身体能力は底上げされ今より大分体が軽くなる。

 そのままユダを背負い彼女は全力で走った。


「その魔法って、空飛ぶもんじゃ無かったのですか?」


「まあ、それの真似は出来るけど。でも彼みたいに本当に空を飛ぶことは出来ないわ。だって魔法の資質が違い過ぎるもの」


「魔法の資質が違う……。つまりあなたの方が劣っていると?」


「——はい」


「そんな男を倒した相手ですよ。それでもあの王を倒せる勝算はあるんですか?」


「愚問。この染めた赤髪に誓って、絶対。それにもう手は打ってます。更に言うと、あれはあの子たちの勝利であると同時に私たちの勝利を確実にするものでもあったのですよ。まあ今回は獲物を殺せないことが難点だけど」


「やっぱり……」


 ユダは小さく溜息を零す。


「ユイさん。あなたは私たちにさえも隠し事をしていました」


「その事については本当に深く感謝します。あなたが私の心を読んで察してくれなきゃ。私もあの場を見れませんでした。——でも、なるべく心は読まないでくれると助かります」


「——なるべく遵守します」


 と小さな可愛らしい声が耳元で囁かれた。


 *


 2キロ先から視線をレイは感じていた。


「最初はただの見物人かと思ったが……」


 あれは確かな殺意だった。その殺意のした方向からは多量の魔力マナが漏れ出てすぐに消え去った。


「俺より早いか?」


 と呟く。するとそこに後ろから、


「いいえ。あなたの方がお早いですよ、王よ。それよりも……」


 門の端から清楚な服を着こなす美男子が現れた。


「大丈夫。どうせ奴らはもうすぐ俺の目の前に現れるよ。投票日が近い。だから今夜か明日かにこの過去派未来派の決まっていない101人目を捕まえにね」


 少年を片手で持ち上げるレイ。後に「あとついでに俺を殺しに」とも付け足す。


「本当に……あなたは敵をたくさんお作りになる。自粛してください。良くないですよ。そういうの」


 目を線のようにしてその男はレイを睨みつける。


「まあ俺の目指しているのは、全知全能ではあるが優しい神では無い。むしろその逆、魔王のようなものだからな。ホント、こんな愚王で本当にすまないな……」


「ならば私たち魔王の配下をどうぞ、存分にお使いください。王よ、あなたのためなら我らは例え相手が神であっても落として見せましょう」

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